当ブログではこれまで、自閉症児に対する療育の働きかけについて、さまざまなテーマをさまざまな切り口で書いてきました。
その結果、トピックごとの記事は非常に充実させることができたと自負しています(ブログ右の「記事検索」ボックスをぜひご活用ください!)が、その一方、自閉症の療育についてまとまった内容を知りたいと思ったときに、記事があまりに多すぎて目的の情報にたどりつけない、あるいは把握できる領域が中途半端になってしまうのではないかということがずっと気になっていました。
また私は、療育「技法」のプロではありませんから、本来は、必ずしも個別の療育技法のトピックを取り上げて何か詳しく言いたいというよりは、自閉症という障害をどう考えるべきか、家庭での療育はどんな風に取り組めばいいのか、そして少し大げさですが、親と子のこれからの人生を最大限幸せなものにするためにはどうすればいいのか、そういったことにより強い関心と問題意識があります。
自閉症の原因について追いかけているのも、それで自閉症を治そうといったことではなくて、原因を究明することが自閉症児の療育をより適切な方向に導くと確信しているからです。
そろそろ、個別の話ではない自閉症児の療育全体について、書いてみたいと思いました。
もともと、このブログに「そらまめ式自閉症療育」なんていう大仰なタイトルを付けたのは、自分なりの療育の進め方・考え方についてまとめていこう、という思惑があったからですが、正直なところ、私自身の中で療育についての全体像が見えてくるまでには、予想していたよりもずっと長い時間がかかりました。
この1年くらい、がむしゃらに読書をして、一生懸命頭をひねって、その過程をブログに綴っていく中で、自分の中であいまいだった部分が明確になり、余計な「ぜい肉」もそぎ落とされて、ようやく「これが私の自閉症療育に関する考え方です」という内容が書けそうな気がしてきました。
今回のシリーズ記事では、これまでに娘に対して取り組んできたこと、これまでに学んだこと・経験したことを振り返りながら、自閉症児の療育のうち「幼児期」、つまり1歳半検診あたりで自閉症の可能性を疑い始めた頃から、幼稚園なり小学校といった、ある程度独立した集団生活に入る前あたりまでの療育についてまとめていきたいと思います。
私自身の実感として、療育というのは理論も非常に重要ですが、やはり経験・実践してみないと分からないことがたくさんあります。どちらか片方では不十分で、バランスが大事だと思います。ですから、一定の責任と自信を持って「全体論」を書ける守備範囲として、幼児期という期間にフォーカスを当てることにしました。
これまで書いてきた数多くの記事の内容も盛り込み、新しい内容も加えて、通読すれば自閉症児の療育についてすっきりした見通しが持てるような、特に、初めて「自閉症児の療育」という問題に直面する親御さんにとって役に立つシリーズ記事になるように頑張りたいと思います。
ただし、単なるまとめ記事を書こうと思っているわけではありません。むしろ私の隠れた目的は、自閉症に関するあらゆる問題意識を、療育という側面から浮き彫りにすることです。
自閉症児の療育を突き詰めて考えていくことは、自閉症についてとことん考えることとほとんど同じであるだけでなく、障害を持った子どもをどう受け止めるか、親としてこれからの人生をどう生き、何を優先するのかといった人生観にさえつながる問題です。
それらの問題について、私なりに出した答えを書いていくことで、この記事を読む皆さんにとっても、そういったことを考えるきっかけになっていけばと思います。
(次回に続きます。)
我が家は歯磨きは大丈夫ですね。
多少嫌がりますが、基本的には妻が「歯みがきするよ!」と言っていつもの歯ブラシを見せれば、近寄ってきて寝そべります。
極端に嫌がる場合は、感覚がだめなのかもしれませんね。
これが一般的かどうかは分かりませんが、もし私が同じ状況なら、恐らく「歯みがき」にはこだわらないと思います。
まずはガーゼで歯を拭くようなことから始めて、「口の中に何かを入れてこすられる」という感覚を受け入れられるようにしていくことを考えるのではないかと思います。
これはアドバイスではなくアイデアの一例ですが、「これをやらせなければならない」と考えずに発想を転換することが有効なんじゃないかな、と思います。
今日は。
これからどのような事をお書きになるのか、
療育させていただいている側として
とっても緊張しながら読ませていただきます。
実はこの記事を読んでいる間もどきどきしてしまいました(笑)。
私は、一体日本の皆さんがどのようなことを知りたいのかが返ってわかっていません。自分の中で色々なことが当たり前になってしまって、かえってこんな事書いてもつまらないかな、と思うようなことが結構評判よかったりして、正直困惑しています。
私も今沢山の本を買って日本から送ってもらいました。がむしゃらに読書、はとても良い言葉だな、と思いました。
これからの記事をとても楽しみにしております!!
今回書いているのはあくまでも「私の意見」で、一般論ではないと思っていますので、一般的な意見の参考にはならないと思います。
ただ、勉強すればするほど、自分が面白い、有意義だと感じる話題と、初めて話を聞く方がそう感じる話題がずれてくる、というのはまったくそのとおりだと思います。(これは自閉症の話題に限ったことではありませんね。)
今回のシリーズ記事では、「中立性」をある程度度外視して、私の感じている価値観に基づいて書いていこうと思っています。
実は、ABAの早期集中介入については今後批判的な記述も出てくる予定です。
そのあたりも含め、一人の個人的な意見として、多くの方に「批判的に」読んでいただければいいな、と思っています。
再びお邪魔しています。
私は早期介入はそんなに悪い事だとは
思っていませんが、早期集中介入に関しては
成果のあがる子どもと、返ってストレスとなる子どもがいると思っています。
また、集中介入は週40時間と、非現実的でもありますよね。アメリカに住んでいる子ども達でも、週40時間を維持している子ども達は少ないのではないでしょうか?(今まで見た限りですが...)
私が強調したいのは、あくまでも子どもの学習スタイルを的確に見抜き、それにそったカリキュラムを提供すべきだ、という点です。
一日2時間毎日やれば効果が上がる子どもなのか、そうでない方が良いのか。机に座ってお勉強できるのおか、そうでないカリキュラムが必要か。家庭の協力は得られるのか、など色々な要素がただ単に「療育」するといっても関わってきます。
ですが基本的なスタンス・信念は、一日2時間療育を行うことは、やり方とプログラムがきちんとしていれば効果的だというものです。早期介入も、効果があると思っています。
ちなみに、私が今直面している障壁は、日本語という言語そのものです。この、時と場合と話し相手や場面等によって多様化する言語をどうやって自閉症と言われる子ども達に教えて行くか。漢字もです。これは英語にはない難しさですね。
そらまめパパさんの早期集中介入の批判がとっても楽しみです♪
それでは、また。
早期集中介入について、今後書くであろう内容とは少し違う角度からコメントさせていただきたいと思います。
私も早期介入は意味があると思っています。
それは、このシリーズ記事でも繰り返し強調している点ですね。
ただそれが、ロヴァースとその系列をたどる、いわゆる「早期集中介入」がベストなのか、と言われると、やはりそれは子どもによると思います。
ある種の不幸は、早期集中介入が一部でほとんど神格化されてもてはやされているために、自分がそのレベルの療育に取り組めないことに対して自責の念にとらわれる親御さんがいることだと思います。
非常に冷酷な言い方に聞こえるかもしれませんが、私は、子育ては親の義務だと思いますが、高いレベルの療育に取り組むのは親の「自由意志」だと思っています。
だから、療育は、「ここまでやらなきゃいけないんだ」という義務感を出発点にするのではなく、「どこまでなら前向きに取り組めるか」という自発意志を出発点にして考えるべきものだと思っています。
だとすると、最も重視すべき要素は「効率」ということになります。
1日2時間の療育は恐らく効果的だと思いますが、私がもっと関心があるのは、例えば1日30分とか、あるいは「放っておいても」効果のある療育というものはないだろうか、ということです。
毎日2時間なり5時間の課題を継続できる熱意、あるいは金銭的余裕、あるいは行政の援助があれば、もちろんぜひチャレンジすべきでしょう。でも、それができない親御さんをどうサポートするかということに、私はより強い関心を持っています。
最後に、日本語って英語と比べてそんなに難しいでしょうか?
日本語はひらがなは1文字1発音の対応関係のあるシンプルな表音文字だし、漢字は文字自体に意味のある表意文字なので、文字セットという観点からは、自閉症児にとっては英語よりも分かりやすいのではないかと思っています。
日本語は構文があいまいという指摘もされますが、これは恐らく文法論自体が英語からの輸入品であるために、日本語の構文がうまく整理されていないことが原因なのではないかと思っています。
塩田です。
ここにどんどんコメントしてもいいのでしょうか?
一日30分でも効果のあること、とても興味深いと思いました。「効率」は仰る通り、まさにキーポイントですね。
次に日本語ですが、私は難しいと思います。
たとえば、「が/の/に/を」の使い分け、
女の子の言葉、男の子の言葉、療育者が女性で
男の子を教えた場合に発生する女言葉の習得、
目上の人への敬語、丁寧語で教えると、今度は友達と話すときも丁寧語になってしまう、また漢字の場合は、組み合わせによって音が変わったりするので、何をどこまでどのように教えるかという判断が問われます。でも、これは私の経験だけの話で、もしかしたらそうでない子どももいるのかもしれません。
ただ、おっしゃるとおり、音の読みは簡単で、漢字も理解しやすいのかもしれませんね。あいうえお表でコミュニケーションを取っている身体に障碍のある人ですが、そういう成人を何人も見てきました。ひらがなは便利です。
というわけで、何度も済みません。
でも、このレベルで会話が’できることがとても嬉しいです。これからもよろしくお願いします。
塩田玲子
そらまめちゃんパパへ。
こんにちは。
そらまめちゃんが通っている病院の療育でご一緒させて頂いております哲ママと申します。
奥様には親子共々お世話になっております。
いつもブログを拝見させて頂いていておりますが、本当に療育に熱心なお父様で、
療育仲間の間では 『そらまめちゃんママ、羨まし~い♪♪』の大合唱(笑)。^^
本当にいつも参考にさせて頂いております。m(u u)m~♪
今回から始まるこのシリーズで、そらまめちゃんパパ的な幼児期療育に対する考え方の
まとめを読ませて頂くのがとっても楽しみで、ワクワクしています。
とは言いつつも、お仕事に、子育てに、ブログと、
大変お忙しいそらまめちゃんパパなのでお体が心配です。
寒さも増してまいりましたので、どうぞご自愛下さいませねっ。^^
それから奥様にはお伝えしているのですが、ご夫婦のブログ、
私のブログのブックマークに貼らせて頂いております。
そらまめちゃんパパには事後報告になってしまってごめんなさい。m(_ _)m・・・
これからもどうぞ宜しくお願い致します♪
塩田さん、こんにちは。
日本語についてのご意見を伺って、まさに視点の違いだなあ、と感じました。
私は、自分の娘の障害が重度だということもあり、「生活できる程度に適応できればいい」という視点ですので、とりあえずひらがなが読めて簡単な漢字の意味が理解できれば十分、という観点から、「日本語は簡単」と書きました。
塩田さんの視点は、健常のレベルを目指すというものですから、そのレベルで評価すると、日本語の文法の非線形性(ルール化のしにくさ)が際立ってくるということだと思います。
この辺りは、実は掘り下げていくと、TEACCH的視点とABA的視点の違いにもつながるのかな、とも思っています。
(それと、もちろんコメントは自由に議論に使っていただいて構わないですよ。活発な議論は大歓迎です。)
哲ママさん、はじめまして。
いつも妻がお世話になっています。
実は既に妻から話は聞いておりまして、ブログもたまに見させていただいていました。
今回ご挨拶をいただいたので、「Visitors' Pages」にリンクを貼らせていただきました。
今後ともよろしくお願いします。
こちらでの情報量はとてつもなく多く、すべて理解するのは私は素人なので難しいのですが(以前こめんとをさせていただいた者なのですが、3歳半の自閉症の娘がいます)是非そらまめパパのご意見がお聞きしたく、書かせていただいてます。
娘は現在ASD専門の幼稚園に通っています。この幼稚園は小学校に隣接していて、一対一でのタスクのほか、ジムでの感覚療育や、普通クラスというか、普通の学級との交流があったり、音楽クラスやとにかく、ソーシャルスキルをあげることに重点を置いている幼稚園で、ABAだけをベースにしているのではなく、時にはその要素もふまえた上でとてもフレキシブルに対応しているといった感じなのですが、ここにきて、ABAスクールからお声がかかり、入れるかもしれないという話が上がり、果たしてABAに重点をおいた学校がいいのかどうか迷っています。
すべてを読ませていただいた訳でもなく、理解できている訳でもありませんが、そらまめぱぱの見解では、一つの療育をプッシュするのではなく、臨機応変に、問題行動にはABA,構造化が必要なものには構造化、言葉の習得といったような内面的なものには有効なペックスといったような、いろいろな物をとりいれるのがベストという感じでしょうか?
是非、ご意見をうかがえればと思います。よろしくお願いします
ご質問については、残念ながら本来お答えできる立場にはないと思っています。
私はアマチュアですから、迷っている方に対して安易にアドバイスをすべきではないと思っていますし、また、実際の指導場面を見ているわけでもないので、そういう意味でもどちらがいいかは断言できません。
以下は個人的な感想で、アドバイスではないと理解ください。
お話を伺っている限りでは、現在の幼稚園は非常にオーソドックスな「何でもあり」の療育をやっているように見えますので、「無難な」印象を受けます。
ABAについては指導する側のレベルもピンキリですし、子どもにとって相性がいい場合と悪い場合がはっきり分かれるでしょうから、しっかりその辺りを見極めて選ばないと、ギャンブルになってしまうと思います。
ABAのスクールは体験入学とかはできるのですか? できるとすれば、まずそれをやってみるのが一番でしょう。
その上で判断するのであれば、大きな間違いはないと思います。
もし私が同じ立場なら、ABAを体験させてみて、うまくいきそうであればABA、それほどでもなければ現在の幼稚園を選ぶと思います。
体験する機会がないとすれば・・・もうこれは何ともいえませんね。
他の子どもを教えているのを「見学」して教える側のスキルを判断し、療育などでのABA的なフォーマルトレーニングへの子どもの適応を加味して決めるくらいでしょうか。
少なくとも私は、ABAだから素晴らしい、とは考えていませんので(ABAは素晴らしいテクニックだと思いますが、すべてのABA的療育法やABAスクールが素晴らしいわけではない、という意味です)、とにかく目で見たり、体験させたり、そうやって判断の手がかりをできるだけ多く集めて決める、それが大事だと考えています。