考える脳 考えるコンピューター
著:ジェフ・ホーキンス
ランダムハウス講談社
第1章 人工知能
第2章 ニューラルネットワーク
第3章 人間の脳
第4章 記憶
第5章 知能の新しい定義
第6章 新皮質の実際の働き
第7章 意識と創造性
第8章 知能の未来
かなり面白いです。
それだけじゃなくて、私自身の直感として、自閉症のことを考えるために、けっこう参考になるんじゃないかという印象も受けます。
というのも、本書は自閉症のことは直接には何も語っていませんが、自閉症者が障害を持っていると思われるまさにその領域、つまり大脳新皮質から海馬あたりまでがどのように環境からの情報を処理し、「知性」を宿らせているのかという問題について語っているからです。
著者はシリコンバレーで大成功を収めた起業家にしてIT技術者でもあるジェフ・ホーキンス氏。本書によれば、彼はもともと脳科学の研究者になりたかったけれども、自分の研究に理解を示してくれる大学や企業がなかったので、まずは起業家として成功し、財をなして自分で研究所を作る道を選んだということです。(まあ、これは多少美化されているようには思いますが)
ですから、本書はバリバリの専門家が書いたというより、むしろアマチュア・スピリットによって書かれた本だと言えます。また、起業家ということもあって、自分の研究がいかに独創的で、従来の研究よりも優れているかを一生懸命「売り込む」ような文体になっているのも目につきます。
アマチュア「的」研究家が一人で頭をしぼっても、数え切れない専門家が多額の資金をもらって研究してなかなか分からないことに答えが出せるとは思いにくい、自信満々な文体にだまされないようにしよう、そう思って、かなり眉につばをつけながら読み始めたのですが・・・
予想していたよりはずっとまっとうで、しっかりした本でした。
著者の主張をまとめると、こんな感じでしょうか。
・大脳新皮質(ヒトの脳の大部分を占める「知能の源泉」)の主たる機能は、記憶と予測にある。
・大脳新皮質の情報処理方法は、どこをとっても基本原理は同一であり、その最小単位は大脳新皮質の柱状構造である。
・大脳新皮質は階層構造をもっており、それぞれの階層はシーケンス(時系列の刺激)を記憶し、繰り返し現われるシーケンスに「名前」をつける(特定のシーケンスにのみ興奮するニューロンが生成される)機能を持っている。
・上位階層では「感覚刺激のシーケンス」ではなく、下位層で名づけられた「名前」のシーケンス(シーケンスのシーケンス)が扱われるため、階層を上がるにつれ、長いシーケンスが短い名前に置き換えられ、情報圧縮・一般化が進む。
・情報には上向き、下向き両方の流れがあり、下位層からの刺激によって上位層が「記憶」されたシーケンスを下位層に戻すことで脳はこれから起こることを「予測」する。
・これらの情報の流れは確率的、かつ隣接するニューロンを巻き込みながら行なわれる(連想記憶)ため、学習は汎化し、新しい事態に対しても過去の似た「記憶」を引き出し「予測」することで適切に対応できる。
・従来説とは異なり、大脳新皮質のさらに上の最上位階層に「海馬」を位置付ける。海馬の機能は、大脳新皮質の階層を経由することで高度に抽象化された「エピソード記憶」を短期的な保存に関与することである。(海馬を介して一時保存された記憶はそこからゆっくりと大脳新皮質に貯蔵される)
この主張には、共感できるところがたくさんあります。
まず、大脳新皮質の動作するしくみがどこをとっても基本的に同じだ、と考える点。
脳についての入門書などを見ると必ず、大脳のどの部分がどんな機能を持っているか、という「機能局在マップ」が載っていて、あたかもそれが固定的なものであるかのように扱われていますが、私からみてもこれはナンセンスです。
先天盲の人が点字を読むとき(触覚)に一般には視覚野と呼ばれている脳領域を使っていたり、やはり目が見えない人にカメラを装着し、その情報をなんと舌への電気刺激として入力するようにすると、やがて舌の刺激を通じて外界が「見える」ようになったりということが当たり前に起こります。
このような現象を「脳の可塑性によってそれまでなかった新しい処理システムが構築されたのだ」と考えることは、新しい現象に新しい概念を追加して説明しているだけで、一種の二重解離に陥っているといえます。
そうではなく、あくまで大脳というのは「外界からの刺激を自己組織化して意味を理解する」という一般的能力を持っていると考えれば、新しい「意味のある」刺激が外界から入ってくれば、それがどんなものであれ、大脳はシステムを変えることなくその刺激を自己組織化して意味を与えることができる、と考えることができます。アイデアとしてはこちらのほうがいいに決まっています。
そして、「外界からの刺激」と、「記憶からの予測」が脳内で相互作用し、「予測が当たっている」ことを随時確認しつつ、予測が外れた場合は記憶を上書きして適応度を上げていくことが大脳新皮質=知能が果たしている役割だ、というのが本書の仮説の核心です。
この本は間違いなく、ニューラルネットワーク、コネクショニズムについての基礎知識を持っていたほうがずっと面白く読めます。著者は本書のなかでニューラルネット研究を盛んに批判していますが、著者の主張も、実際にはそれほど「異端」とも言えない、正統派のニューラルネット研究だといえそうです。
つまり、彼が主張している「シーケンスの記憶」というのは、恐らくホップフィールド・ネットワークというニューラルネットの応用形によって実現できるものだと思われますし、情報が階層を上がっていくにつれて情報が圧縮・一般化されていくというのは、フィードバック付き多層ネットワークの基本機能です。そして、大容量だが学習がゆっくりな大脳新皮質と、容量は少ないがすぐに学習できる海馬とが、情報が圧縮された最上位階層で相互作用して短期エピソード記憶を処理するというのも、役割分担として非常にリーズナブルな構成だと思います。
↑私なりに整理した本書の提示する脳の情報処理モデル。
つまり、彼が言っているような情報処理モデルそのものは、ニューラルネット上でおそらく実現できます。その実現可能性に思いをはせれば、本書が非常にエキサイティングな本であることが実感できると思います。
そしてもう1つ、個人的に重要なことは、この「シーケンスの記憶と階層構造による一般化」というモデルが、自閉症の脳損傷のモデルにヒントを与えてくれるかもしれない、と感じられる点です。
この「ホーキンスモデル」に準拠して考えると、自閉症の脳のモデルとして考えうるのは次の3つでしょう。
1. 記憶できるシーケンスの長さが短い。
2. 階層構造が乱れている。
3. 情報の下向きの流れに異常がある。
この中でもっとも有力なのは2.でしょうか。
1.は、長いことばを丸暗記したり、円周率を延々と言えたりする自閉症児がいることを考えると矛盾します。
3.は、強い自閉性を示す子どもでも運動の不器用さ(本書の理論では、これも下向きの情報の流れが重要だとされています)が必ず現われるわけでもないので、やはり矛盾しそうです。
2.は、まさに自閉症の特徴である「情報の一般化の能力の弱さ」と直結しますから、つじつまが合っています。また、階層が「少ない」のではなく「乱れている」のなら、低次の一般化されない個別情報はむしろ豊富に記憶できるという、自閉症児の特徴とも一致します。
ただ、ここまでは肯定的に書いてきましたが、本書が真に「脳の本当のアルゴリズム」に肉薄しているのかと聞かれると、私の知識レベルではちょっと分からない、というのが正直なところです。
少なくとも、大脳新皮質と海馬以外は「事実上無視していい」、あるいは「感情や欲求は知能とは無関係」という著者の立場は単純すぎるように思いますし、知能を単独の脳という「箱」の中に押し込めるのは、少し古くさいように思います。
とはいえ、脳(特に大脳)に対する新しい見方・パラダイムを提示している点、あるいはコンピュータ上に表現できる(かもしれない)、脳を単純化したユニークな人工知能アーキテクチャを提示している点において、高く評価できる本だと思います。
何度も読んでじっくり中身をかみしめたいと感じた、数少ない本の1冊です。
※その他のブックレビューはこちら。
この記事で、「舌に視覚情報を入力すると、舌を通じて外界が『見える』ようになる」という話題をとりあげていますが、まさにそういう装置が、市販されそうだという情報です。
http://japanese.engadget.com/2009/08/19/brainport/
視覚障害者のための舌で「見る」装置 BrainPort - Engadget Japanese
こういう話題にはわくわくしますね。
掲載されている動画には感動さえ覚えます。
本当に、人間(とその脳)の持つ潜在能力って素晴らしい。