2006年10月29日

新しい認知心理学から自閉症を考える(14)

前回にひき続き、自閉症児が示すさまざまな困難、症状について、一般化障害モデルから説明していきたいと思います。

1) 自閉症の三つ組の障害(続き)

b.ことばの障害
 ことばほど、「一般化」の能力が問われるスキルはありません。
 白い犬、黒い犬、テレビの中の犬、犬のぬいぐるみ、犬のイラスト、私たちは子どもの前でこれらすべてを「いぬ」と呼び、その一方で「犬」とは何であるかの百科事典的な説明など一切しません(大人自身、「犬」を定義しろと言われたら返事に困るでしょう)。子どもは、いろいろな対象が「いぬ」と呼ばれる、あるいは呼ばれない、という経験を繰り返していきながら、「犬とは何であって、何でないか?」という一般化されたルールを取得します。そして、このルールが取得されて初めて、「いぬ」という言葉を理解し、使えるようになるわけです。
 ですから、一般化モジュールが機能不全に陥った場合、ことばに障害が出るのは自然なことだと言えます。

 さらに、このモデルでは言葉のないカナー型自閉症と言葉のあるアスペルガー型自閉症の違いも説明できます。

 カナー型は、先の「弱い一般化処理」のモデルが当てはまります。ことばの獲得に重要な役割を果たす「一般化処理」の能力自体が弱いために、ことばの獲得が非常に困難になります。
 アスペルガー型は、先の「強すぎる抽象化処理」のモデルが当てはまります。こちらのモデルでは、一般化処理能力自体は維持されているため、ことばを獲得することができます。しかしながら、「強すぎる抽象化処理」による「過剰な適応」傾向のため、ことばの獲得は健常児の場合とは異なり、多義性の低い(ルール化が容易で過剰な適応に邪魔されにくい)ものから始まります。これが、コミュニケーションのためのことば(多義性が高い)よりも、アルファベットやひらがななどの「書き文字」や数字など(多義性が低い)を先に覚えるという、自閉症児独特のことばの獲得傾向につながるのではないかと考えられます。

 ここから先は、やや高度な議論になります。

 「ことばを理解する」ためには、多義性のある個別事象を一般化することが必要になりますし、「ことばを発する」ためには、一般化され獲得された「ことば」を、今度は多義性のある個別事象に対して自分から使っていく必要があります
 ことばの理解よりもことばを発するほうが、かなり難しい課題です。健常の子どもの発達でもそうですし、コネクショニスト・モデルのシミュレーションでも示されていますが、ことばの「理解」のほうが「発話」よりも早期に獲得されるのです。

 実は、同じことばに同じ反応をするだけであれば、一般化がほとんどできなくても学習できます。行動療法的な強化により、特定の人が話す特定の指示に対して反応するというトレーニングは比較的容易です。ただし、ここにはことばの言語としての理解はなく、犬のしつけと同じレベルでしかありません。

 一方、いろいろな人が、いろいろな場面で、いろいろな表現・構文で指示することが理解できるようになるためには、適切な一般化(ルール化)が必要です。ですから、障害の重い自閉症児はこの段階でつまづくことが多いのだと思われます。

 さらに、この段階をクリアできる(比較的高機能の)自閉症児であっても、ことばを「発する」段階にいたるにはまだ困難が残されています。
 ことばを理解するだけなら、個別経験とことばとの間に「過剰な適応」をしていても何とかなりますが、それを新しい事象に適用するためには、「過剰な適応」が邪魔になるからです。
 例えば先の例で、「犬」ということばを、自分が知っているさまざまな「犬」の集合体(でも一般化はうまくできていない)として理解している自閉症児は、外からは「犬」という言葉を理解しているように見えるでしょうが、初めて見る犬を犬だと理解し、「いぬ」と呼ぶことはできないでしょう。
 実際、発話は、健常児にとっても簡単な課題ではありません。最初のことばが獲得されてから、いわゆる「ことばの爆発」が起こるまでに1年ほどの時間がかかるのです。その間の「停滞期」は、子どもの脳内で個別経験と一般化されたルールとの間の「格闘」が繰り返されれていると考えられます。
 自閉症児が発話を獲得するためには、この「一般化の格闘」を、トラブルをかかえた「一般化処理」でこなさなければならないわけですから、非常な困難があるのはむしろ当然でしょう。

c.興味の限定と特定の事象への固執
 一般化処理が阻害されている状態とは、言い換えれば「役に立つ(有効な)環境との関わりかたのルールの手持ちが少ない」「単純なルールしか獲得できていない」「異常なルールが獲得されている」といったことを意味します。
 生物というのは、どんな状況下にあっても、その中で最大限に環境に適応しようとします。それが、生き残るためには必要だからです。自閉症児が特定の事象に固執したり、限られたものに強い興味を示すのは、数少ない手持ちの「環境との関わりかた」を最大限に利用することによって辛うじて社会に適応し、生きていこうとする姿だと捉えることができるでしょう。

 記号や数字などにこだわりを持つのは、それらが多義性をほとんど持たず、自閉症児にとって知識として獲得しやすいものであることから、それらの限られた情報に強く依存して生活しているのだと考えられます。
 また、ものの配置にこだわりを持つのは、自閉症児が能動的に「環境の複雑さ・非線形性」を低減して環境を理解しやすいように操作しているのだと考えられますし、聴覚よりも視覚優位な自閉症児が多いのは、視覚なら目を近づける等の工夫だけで重要な情報を絞り込むことができ、脳に入ってくる情報の量と質を調節し、ノイズを排除することができるからなのではないかと思います。

※社会性の障害で説明した「線形分離・非線形分離」という言葉を使って補足すれば、これらの行動も、本来「非線形」な環境を線形分離で理解し、その理解に合うように環境に働きかけ、再構成しようとする行動としても理解できます。
 言い換えると、自閉症児は線形分離の枠組みの中でなんとか環境に適応しようとしている、と考えることができるのではないでしょうか。


 常同行動や自己刺激行動なども、環境との複雑なかかわりを獲得できず、より自分の体に近接的で単純な刺激やパターンに関連する行動に依存している状態(大脳でいえば、感覚野・運動野、そしてせいぜい運動連合野までで学習された行動に支配されがちな状態)としてとらえることができると思います。

(次回に続きます。)
posted by そらパパ at 18:01| Comment(2) | TrackBack(0) | そらまめ式 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そらぱぱさん

今日は!塩田です。
いつもじっくりこちらでお勉強させていただいております。
今日の記事、とても面白いと思いました。

私の教え子にアスペルガーの子どもがいますが、一般化が極端で、今は静かに手を挙げて先生に呼ばれるまで待つ、という練習をしていますが、最近は全てに手を挙げるようになってきました。いつ何処で手を挙げて、いつ挙げないかという区別が難しいようです。

また、私もカリキュラムを書き上げる時、できるだけ一般化を念頭に入れた物を書くようにしています。例えば、マッチングなら、課題の最後にかならずビンゴゲーム、神経衰弱(簡単な物)やババ抜きなど一般の遊びを課題として行う、などです。

認知心理学は面白いですね。
スッゴク参考になりました。
ありがとうございました。それでは、また。
Posted by 塩田玲子 at 2006年10月30日 07:06
塩田さん(一応呼び名はこっちに戻させていただこうと思います)、こんにちは。

条件つきで手を挙げるのが難しいというのは、まさに一般化の障害ですね。「先生の注目が必要なときだけ手を挙げる(そうでないときは挙げない)」という非線形課題を、無理やり線形分離で解いてしまっていると言えると思います。

コメントの後半で紹介されているようなアイデアは、一般化とはいっても「非線形分離」を伴っていないので、療育として効果的だと思います。

一方、「一般化」をするつもりで、線形分離で学習したスキルを非線形分離の課題に応用しようとしてしまうと、自閉症児にとって極めて難しい「汎化」トレーニングになってしまいますし、最悪の場合、スキルが崩壊してしまうリスクもあると思います。
Posted by そらパパ at 2006年10月30日 23:21
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