自閉症
著:玉井 収介
講談社現代新書
第1章 自閉症とは何か
第2章 自閉児のコミュニケーション
第3章 自閉児の自我の構造
第4章 自閉児の行動をどう理解するか
第5章 自閉からの脱却
この本が「かつての名著」であったことはよく分かります。
文章も読みやすいですし、書いてあることも時代背景を考えるとかなり的確、読めば自閉症についての理解が深まります。(最近出た本でも、読むとむしろ混乱するものがあることを考えれば、この点は素晴らしいと思います)
ただ、初版が1983年、もう発刊されてから20年を優に超える本ですから、内容の古さは隠すべくもありません。
特に、第2章、第5章あたりは、現代の私たちからみると明らかに「間違っている」と言わざるを得ない内容となっています。(自閉児はことばは獲得しているが話さないだけだ、とか、「自閉の世界に入り込む」ことで子どもと心を通わせる、等)
ですから、自閉症について知りたい、といった一般的ニーズからは、もう時代遅れで、読むべき本ではないと言えるでしょう。
でも、ちょっと違った観点から読むと、本書にはなかなかちょっと他の本では見たことがないようなユニークな内容が含まれていて、個人的には非常に参考になりました。
それは、第3章に登場する、「自閉症児が理解できない指示や文脈にはどんなものがあるか」という大量の実例集です。
この第3章は、タイトルは「自閉児の自我の構造」であり、地の文で書かれているのはこれもまた古くさいと言わざるを得ない「自閉症児は自我が弱い」という議論なのですが、それを無視して「実例集」としてみると、非常に面白いことが見えてきます。
1) 母親に「宿題はどこ」と聞いた自閉児は、母親の「それは先生に聞かないとわからない」という返事がまったく理解できなかった。その子は、大人は聞かれれば誰でも何でも答えられると考えているのである。
2) 先生がある子を叱ると、別の自閉児が怖がったり自傷したりする。先生の叱責が誰に向かっているという区別がないのである。
3) あるとき先生が自閉児の手を握り「冷たい」と言ったが、そのとき自閉児にとってみれば先生の手は逆に暖かかった。その子は後日ストーブにあたって「冷たい」といった。
4) ある自閉児は「食べ物以外は口に入れてはいけない」「一度口に入れたものは出してはいけない」と教わったが、ガムはどうすればいいのかで混乱した。
5) 「うそをついてはいけない」と教わった自閉児は、お客さんからもらったおみやげを見て「つまらない」と言って放り投げてしまった。うそをつくべきときがあることを理解できないのである。
6) ある自閉児は、「水虫は虫ではない」と教えられ、「虫でないものを虫と呼ぶな」と怒った。
7) ある自閉児がビニールに火をつける遊びをするので、母親が「火事になるからやめなさい」と叱ったところ、「火事になっていないからママはまちがいだ」と反論された。
8) おしっこをもらす自閉児に「パンツがぬれたら脱ぐのよ」と教えたところ、プールで水にぬれたとたんパンツを脱いでしまった。
9) 自閉女児に、痴漢防止のため男性が触れてきたら「やめて」というように教えたところ、病院で男性医師の診察を「やめて」と拒絶するようになった。
10) 劇を見ていて、善人のふりをしていた悪人が本性を現したところ、ある自閉児が「あれはまちがいだ」と言った。
11) カルタとりでいい成績をあげようと、堂々と「次の札」を見てしまう自閉児。「カンニングはこっそりやる」ということが理解できないのである。
12) 電車の好きな自閉児が博物館に行き、既に廃止になった市電が走っているのを見た。彼は車掌に「この市電は廃止になったのか」と聞き、車掌が「廃止になった」と答えるのにどうしても納得できなかった。博物館で動いていることと、実際の市電としては廃止になったことがどうしても同時に理解できないのである。
13) 「明日雨が降ったら遠足は中止」と聞いた自閉児は「行かない、行かない」と言い出した。前半の条件を飛ばして最後だけを聞いたわけである。
14) ある自閉児に「文化祭に来てください」と言われて「都合がつけばいくよ」と生返事した著者は、文化祭前に督促を受けて行く羽目になった。
15) 「12時の電車に乗りましょう」と言ってでかけたところ、乗り継ぎがよくて1本前の電車に間に合ったのだが、自閉児は頑として乗らなかった。
16) 「これは妹だ。なぜ女の子か」という質問をした自閉児がいた。同じ対象が複数の名で呼ばれることが理解できないのである。
17) ある自閉児は、先生が家庭訪問したら不思議な顔をした。先生は学校にいるもので、他の場所にいたら違う人だと思うらしい。
・・・ああ、疲れました。(笑)
だいぶ長い引用になってしまいましたが、これでも一部省略しています。
どのエピソードも、いかにも自閉症児がやりそうな失敗、誤解ですね。
これらのエピソードは、本書の中では「二重の構造が理解できない」とか「矛盾や例外を統合できない」といったくくりで紹介されているのですが、もう少し難しい定義をするとすれば、「非線形分離の課題を解決できない」という現象だと理解できます。
非線形分離というのは難しい概念ですが、単純な論理で解けず、条件を組み合わせた場合に「例外」が存在するような課題のことをいいます。
具体例でいきましょう。例えば、上記の5)の例で考えてみると、
①うそをついてはいけない。
②もらったおみやげはつまらないものだった。
③おみやげをもらってつまらないものだったときは、うそをつかなければならない。
というのが、学習すべきルールです。これをマッピングすると、次のようになります。
おみやげが | |||
嬉しい | つまらない | ||
うそを | つかない | OK | NG |
つく | NG | OK |
※ちなみに、この表に1本の直線を引いて「OK」と「NG」をきれいに分離することはできません。ですからこのような課題が「非線形分離」と呼ばれるわけです。
これをもう少し一般化すると、こうなります。
①大きなルールがある(うそをつくな)
②その大ルールを適用しうる個別ケースがある(おみやげがつまらない)
③ところが、特定の個別ケースに関しては、大ルールが適用されない(つまらないと正直に言ってはいけない)
ここで、もし③のルールがなければ、このルールを学習することは線形分離課題となり、③のルールが含まれると非線形分離課題となります。
ご紹介したさまざまな事例をよくよくかみ砕いて考えてみると、すべての事例が、ある種の「非線形分離課題の失敗」であることが分かります。(立場を入れ替える、例外がある、条件がある、確率事象である、あいまいさがある、ことばの意味どおりでない、多義性がある、etc)
別の言い方をすると、自閉症児の失敗というのは、非線形分離課題を線形分離で解こうとしたために起こっているといえるのではないかと考えられるのです。
そしてこの事実を、私がいま研究しているコネクショニスト・モデルの知見に照らし合わせると、「非線形分離課題を解くためには、フィードバック機能を持つ多層ネットワークが必要である」という研究結果に思い当たります。
そして、このようなネットワークは、学習システムのなかではまさに「一般化処理(ルール学習)」のために存在します。
私がこれから書こうとしている「一般化障害仮説」では、自閉症児の脳では一般化処理能力が不足しているというのが理論の骨格になりますが、本書で紹介されている事例は、この新しい仮説のアイデアをより強固なものにするために役立ちました。
ここで省略したものも含め、本書の第3章には25もの事例が掲載されています。自閉症についての仮説を考えるときに、この事例を持ち出してきて「この25の事例すべてが整合的に説明できるか」という検証をする、そんな目的のために本書は活用できると思います。
※その他のブックレビューはこちら。