↑「一般化障害仮説」に基づいた自閉症の障害モデルの例。
この仮説に関連する記事の数が非常に多数にわたり、一覧性に乏しくなってしまったので、まとめページを作って整理することにしました。
※この仮説を解説した本を書きました。
1.仮説に関するシリーズ記事
導入
新しい認知心理学から自閉症を考える(1)
私がこの仮説に到達するきっかけとなった出来事と、私自身のこの仮説に対する意気込み。
新しい認知心理学から自閉症を考える(2)
自閉症の謎の中核をなす「4つの二重解離」と、それを解くためのアプローチについて。
新しい認知心理学から自閉症を考える(3)
これまでの認知心理学的アプローチの問題点と、過去の人工知能研究の挫折と復活について。
新しい認知心理学から自閉症を考える(4)
新しい認知科学のアプローチである「コネクショニスト・モデル」の特徴と強みについて。
理論の骨格
新しい認知心理学から自閉症を考える(5)
この仮説の中核概念である、脳の「抽象化処理」と「一般化処理」について。
新しい認知心理学から自閉症を考える(6)
「抽象化処理」と「一般化処理」について、具体例からさらに詳しく考えます。
新しい認知心理学から自閉症を考える(7)
「一般化処理」がうまくいかないケースについて考え、自閉症の本質が「抽象化処理が強すぎることによる一般化の障害」にあるのではないかと推測します。
新しい認知心理学から自閉症を考える(8)
このような「一般化の障害」という仮定から、自閉症の第1~第3の二重解離がすべて解けることを示します。
新しい認知心理学から自閉症を考える(9)
残された、自閉症の第4の二重解離問題もこの仮説からきれいに解くことができます。
理論の拡張
新しい認知心理学から自閉症を考える(10)
私の従来の仮説「環境知覚障害仮説」の内容も盛り込み、この一般化障害仮説を、環境との相互作用の中に位置付けます。
新しい認知心理学から自閉症を考える(11)
自閉症を表す2つのモデル「弱い一般化処理のモデル」と「強すぎる抽象化処理のモデル」を解説。
新しい認知心理学から自閉症を考える(12)
健常者のモデル、自閉症のモデル、さらに自閉症でない精神遅滞のモデルの違いについて整理し、「自閉症スペクトラム」とは何なのかについて再考します。
新しい認知心理学から自閉症を考える(12-b)
「考える脳 考えるコンピューター」でジェフ・ホーキンス氏が提唱している大脳の情報処理モデルをベースに、一般化障害仮説を大脳の情報処理レベルにまでさらに拡張します。
新しい認知心理学から自閉症を考える(12-c)
「ジェフ・ホーキンスモデル」によって拡張された一般化障害仮説のうえで、自閉症の抱える障害の本質についてさらに突っ込んで検討します。
自閉症状の解釈
新しい認知心理学から自閉症を考える(13)
新しい認知心理学から自閉症を考える(14)
この仮説から、いわゆる自閉症の3つ組の障害がうまく説明できることを示します。
新しい認知心理学から自閉症を考える(15)
新しい認知心理学から自閉症を考える(16)
続いて、3つ組の障害以外の自閉症のさまざまな謎についてもこの仮説から説明を試みます。
療育について
新しい認知心理学から自閉症を考える(17)
コネクショニスト・モデルによる過去の研究から導かれる、学習についての基本原則について解説します。
新しい認知心理学から自閉症を考える(18)
カナー型自閉症と対応すると思われる「弱い一般化処理」のモデルへの働きかけのうち、特に重要な「構造化」について考察します。
新しい認知心理学から自閉症を考える(19)
続いて、残る2つの療育原則である「行動療法」と「無理な汎化を求めない」について考えます。
新しい認知心理学から自閉症を考える(20)
最後に、アスペルガー症候群に対応すると思われる「強すぎる抽象化処理」のモデルへの介入方法について考えます。
まとめ
新しい認知心理学から自閉症を考える(21)
上記のシリーズ記事全体をコンパクトにまとめた記事です。
2. 関連図書レビュー
コネクショニスト・モデルに関連する本のレビュー記事です。
脳 回路網のなかの精神(ブックレビュー)
本格的にコネクショニスト・モデルを学ぶためには欠かせない導入書。
自閉症に働きかける心理学(1)理論編
現在日本語で入手できる、コネクショニスト・モデルによる自閉症の最も深い研究の書。
認知過程のシミュレーション入門
コネクショニスト・モデルを実際にコンピュータシミュレーションするための本。
他人の心を知るということ
記事自体はコミュニケーション論の本についてですが、最後にコネクショニスト・モデルに関する本が紹介されています。
考える脳・考えない脳―心と知識の哲学
ロボットの心―7つの哲学物語
コネクショニスト・モデルに刺激された哲学=コネクショニズムに関する入門書2冊。コネクショニスト・モデルの考え方を知る入門書としても好適。
鉄腕アトムと晋平君/ロボット化する子どもたち(ブックレビュー)(1)
鉄腕アトムと晋平君/ロボット化する子どもたち(ブックレビュー)(2)
この仮説と同じく「人工知能の挫折と進化」に着目した自閉症論ですが、結論の導かれ方は正反対です。なぜそのような結論の相違が生まれるのかを検証しました。
3.その他の関連記事
この仮説に関連のあるその他の記事です。
卒論の話。
私の大学時代の卒論は、コネクショニスト・モデルに関する研究でした。
汎化と分化と側抑制
コネクショニスト・モデルによる過去の自閉症研究をまったく知らない頃から、私はこの「一般化障害仮説」にかなり近づいていました。それを示す記事です。
気になるニュース(ディーゼル粒子とプルキンエ細胞と自閉症)
「一般化」の障害が、具体的に脳のどのような障害とつながるのかは、これからの研究課題ですが、それに多少関係しそうな話題です。
自閉症は情動コントロールの障害なのか?
自閉症と「情動のコントロール」との関係について、一般化障害仮説の視点から考察しました。
4.過去の仮説
今回の「一般化障害仮説」にたどりつく前に、私は2つの仮説(知覚の恒常性障害仮説・環境知覚障害仮説)を公開していました。
これらの仮説は、今回の一般化障害仮説よりも高次の現象に着目して仮説を構築していたという点が最大の違いであり、今回の仮説によって必ずしもこれらの仮説が完全に放棄されるというものではありません(特に環境知覚障害仮説)。
1) 知覚の恒常性障害仮説 → まとめページ
2) 環境知覚障害仮説 → まとめページ
卒論といっても,記録文のような駄文です。
しかし,当時,この子に対して考えたのは,『「概念形成」(言葉が不適切かもしれません)が不得手である』ために,このような傾向が見られるのだろうということです。
この認識は,自閉症児を担任している今も,ほとんど変わりません。
というより,この見方で担任している子と対しても,不都合を感じないのです。
http://www3.ocn.ne.jp/~ohaaa/umenoheya2/hitorigoto/siken.htm
心理学もまともに学んだことのない素人ですが,そらパパさんの書かれた仮説を読んでいると,『概念形成』を指すのが『一般化処理』と考えると,私の中ですっきりと全ての文章が読めるのですが,間違いないでしょうか?
ただ,私は抽象化処理が一般化処理より,『もともと』強い場合を考えていませんでした。
自閉症の方は一般化処理自体が不得手であるために,それを補完する形で抽象化処理が強くなる場合が多いのではないかと考えていました。その意味で,
「脳内での情報の抽象化の能力が、その脳の一般化能力に対して過剰に強いことによって一般化が障害されることが自閉症の原因である」
という考え方は仕組みとしては非常にわかりやすい反面,自分の考えていたこととはまったく違っていたため,非常に新鮮に感じました。
まだ,一般化障害仮説のページは一読しただけなので,誤解がありましたら,申し訳ございません。
もっと勉強しなければ・・・と思いながら,あらためて学生時代の気分になって読ませていただきました。
ご指導のほどよろしくお願いいたします。
確かに、梅田さんのおっしゃっている「概念形成」と、私がいっている「一般化」は、かなり近い概念であると思われます。(ここにも「概念」という言葉が出てきますね!)
一点違うとすれば、私の「一般化」という言葉は、コネクショニズム・モデルでのパターン認識実験において、似ているけれども多少違っている刺激に対して同じ答えを返す学習能力を念頭において、かなり広い概念として使っている、ということです。
(つまり、「概念形成」は、私のモデルでは、「一般化」の一部である、という関係になります。)
抽象化(拙著では分かりやすさのため「抽出」という呼び方に変えています)の能力が「強すぎる」というモデルを考えることは、言い換えると、自閉症というのは端的に能力が劣っているという問題というよりは、バランスの悪さの問題であると私が考えているということです。
・・・ちなみに、拙著「自閉症-『からだ』と『せかい』をつなぐ新しい理解と療育」は、基本的に1冊まるごと、この「一般化障害仮説」について掘り下げた本です。
お恥ずかしい話,自分が考えていたパターンであれば,すべての場合,劣ってる部分があるという見方になっていました。しかし,「バランス」という見方にすると,非常に優れている場合も障害になってしまうことがあるということですよね。
自分の考えの浅さに気づかされてしまいました。まず,本を読んでみます。ありがとうございました!
こちらこそ、コメントありがとうございました。
「一般化」というのは、ある種の情報処理機能ですので、そこに送り込まれる情報量が(そこまでの情報処理が強すぎるために)相対的に「多すぎる」ことで問題が発生すると考えるのが「一般化障害仮説」です。
これからもよろしくお願いします!
私が思うには、一般化以前の抽象化の段階で既に障碍があって、写真記憶に示唆されるような抽象化されないままのデータを扱わざるを得ない為に一般化がうまくいかないのだと解釈をしています。言ってみれば文字情報を画像データとして記録しているようなイメージでしょうか。
以前ニキリンコさんの講演で、一度話しかけられた時に聞き取りそびれると相手は言い換えをしてもう一度言い、次に怒りながら繰り返すので、計三種の”別の事”を話しかけられたと思ってパニックになる事がある。というような事を話されていました。
口調が違うだけで内容についても”別の事”に思えてしまう。あるいは、ちょっとした細部の違いで同じものと認識できなかったりする現象と整合性があるように思えます。
また、視覚優位という傾向も視覚情報ならば、抽象化が入り込む余地が少ない事が影響しているのではないかと考えます。
いきなりで失礼かとは思いますが、感じたことを書かせていただきました。ご容赦ください。
コメントありがとうございます。
ここでの「抽象化」というのは、映也の父さんが考えられているものとは、違うものを指していると思います。
映也の父さんがおっしゃっているような意味(ニキリンコさんの話題も含めて)での「抽象化」という処理をするのが、このモデルでの「一般化」です。
抽象化、というのは、英語のabstractionの訳なのですが、これは、日本語でいう「具体的なものを抽象的にとらえる」という意味以外に、「情報処理すべき対象を、情報処理が可能な形にデータ変換する」といった意味もあり、こちらの意味で使っています。
ただ、ご指摘いただいたような誤解をされる可能性がある、ということで、拙著「自閉症-「からだ」と「せかい」をつなぐ新しい理解と療育」では、この「抽象化」という名前を「抽出」という名前に置き換えています。
言い換えるならば、外界からの入力情報を脳で処理できる情報に変換、あるいは不要な部分を刈り込み、必要な部分のみに「抽出」する機能こそに障碍があるのではないかと考えているという意見です。
自閉当人にとって外界の音がどのように聞こえているかを体験させる為に雑踏の音を録音して聞かせるというパフォーマンスがあったりしますが、これもまた、写真記憶と同じく、情報の取捨選択ができない事をあらわしてはいないでしょうか。
息子の行動を見ていても、物事の優先順位を考えて行動する事がひどく不得手ですし、与えられた指示の要点を理解するのも苦手です。もしかすると、抽象化というよりも「情報の取捨選択」の部分でつまづいていて、「記号化」の部分以前の問題かもしれませんね。
どうも、言葉の定義が合ってこない感じなので、このまま議論しても平行線になるように思います。
今回のコメントで、映也の父さんが書かれている「抽出」の話も、私からみるとすべて「一般化」についての話になっています。
情報を「取捨選択」するのは、私のモデルでは「一般化」がやっていることです。
恐らく、映也の父さんがイメージされている「一般化」は、「一般化されたものがさらに一般化されたもの」だと思われます。
(抽出→一般化というプロセスは、1回で終わってしまうものではなく、多層構造をもっていると考えています。このシリーズ記事では、12-b、12-cあたりで書いています。)
映也の父さんがおっしゃっているような意味で端的にいってしまえば、「抽出」というのは「感覚情報そのもの」です。
感覚情報そのものは、ただの神経の興奮でしかありませんが、それにしても、その「興奮情報」を、その先の情報処理の「ネタ」として拾ってくる、という処理が必要です(取捨選択などせずに、です)。
それが「抽出」です。
なので、このモデルでそちらが弱い場合を考えると、「感覚情報を拾ってこない」ということなので、雑多な感覚刺激に翻弄される、という状態にはならないことになるわけです。
ニューラルネットでいえば、ニューラルネットに入力するためのデータ(まだ取捨選択とかされる前の、ただ雑多なデータ)を用意するところ、それを「抽出」と呼んでいるわけです。
>本論での「抽象化」「一般化」は、どちらかというと、
>個別のユニット内での抽象化/一般化の議論ではなく、
>この、よりグローバルな脳全体の階層構造による抽象化
>/一般化に着目した議論になっています。
というようなくだりからは、そうは読めないのですが?
なにかいいがかりをつけているようで申し訳ないので、このへんで終わりにしますね。
どこからの引用か分からず、自分で自分のブログを探してしまいましたが(^^;)、この引用はシリーズ(5)の記事のコメントからのもののようですね。
ただ、その引用箇所が、なぜ私のコメントに対する反論になるのか、いまひとつ分かりません。
どうも、どこまで行っても、私がこのモデル(仮説)で使っている用語の定義について、映也の父さんは誤解されているように思います。
今回のような問題提起については、いきなり「モデルが誤っているんじゃないか?」という投げかけをされるのではなく、「用語の定義はどうなっているのか?」という議論として始められるべきだったと思います。
そもそも、このモデルにおいて、「抽象化(抽出)」と「一般化」という用語は、一般的な意味での「抽象」とか「一般」の意味と同じではなく、私が考察した新しい概念に対して、便宜的に既存のことばを当てはめているにすぎません。別に「処理A」と「処理B」でもいいわけです。
そして、下記のコメントからは、映也の父さんが考える「抽象化」と「一般化」という概念の定義は、私がこのモデルで使っているそれとは大きく異なっていることが分かります。
>抽象化というよりも「情報の取捨選択」の部分でつまづいていて、
>「記号化」の部分以前の問題かもしれませんね
このコメントからは、まず「情報の取捨選択」があって、次に「記号化(これが映也の父さんの考える「抽象化」だという記述もありました)」があって、さらにその後に「一般化」がある、という風に読めます。
これは、私のモデルとはまったく異なる考えかたです。
私のモデルでは、まず、このプロセスに「情報」そのものが雑多なまま入ってくる=用意される、それを「抽象化(抽出)」と呼び、それを「取捨選択」するのは、既に「一般化」の処理と考えているのです。
そういう意味では、このモデルが想定している情報処理は、おそらく映也の父さんがイメージしているよりも、ずっとプリミティブなレベルのものです。
それ以外の部分で書かれている、映也の父さんの「抽象化」「一般化」の議論も、残念ながら用語の定義の段階で、すべてずれています。
>写真記憶に示唆されるような抽象化されないままのデータ
写真記憶に示唆されるようなデータは、私の定義では「抽象化処理後のデータ」です。
>口調が違うだけで内容についても”別の事”に思えてしまう
これは、私の定義では、「抽象化はできているが一般化ができていない」状態です。
>視覚優位という傾向も視覚情報ならば、抽象化が入り込む余地が少ない
これも、私の定義では、「視覚情報ならば、一般化が必要な余地が少ない」となります。
>写真記憶と同じく、情報の取捨選択ができない
これも、私の定義では、「抽象化はできているが一般化ができていない」状態です。
私の定義が「通じにくい・分かりにくい」ということがあれば、その点においては私に責めがあるでしょう。
でも、私が「その処理はこのモデルでは一般化がやっていると定義している」と反論したことに対して、「いや、私の定義では抽象化だ」という再反論をするのは、私が定義してているモデルに対する議論としては、不毛です。
くり返しますが、このモデルにおいては、「情報の取捨選択」とか「優先順位を考える」とか「指示の要点を理解する」とか「ちょっとした細部の違いを気にしない」といったことは、すべて、抽象化(抽出)処理ではなく一般化処理の機能だと定義されています。
それと違う定義をして、「その定義はおかしい」と批判するのは、自分で自分を殴っているだけで、議論になっていないことをご理解ください。
ただ、一般化の処理の結果がさらに上位の一般化の材料として(抽出)されるとすると、一般化がうまくいかないのにデータが多くなるというのが納得いかなかったのですが、処理がうまくいかないがために、結果が冗長になると仮定すると(抽出)の処理がどういうものであれ、情報の量を変化させない処理だという事なので、必要以上に多いデータがそのまま上位の一般化の材料として流れ込むという事になり上位にいけばいくほど処理が困難になるのが納得できます。また、冗長なデータはそれが扱いきれるならば、高品位な結果を生み出すわけで、サバン的な現象が起こり得る説明がつきます。
すみません。勝手に自己完結してますが、(抽出)については記録保存や比較に関する部分かなとも推測しましたが、深入りしないことにしました。情報の量を変化させない処理もしくはほぼ生のデータという事なので、処理のアンバランスを生み出す原因からは無縁のように思えましたので。
一般化の障害を情報を簡略化、要点の発見、或いは単純化する能力という様な事に限定して想定すると、(抽出)される情報が多くなる原因となり、自閉の実態と納得できる相関が認められるように思えました。
そらパパさんの説を正しく理解したかどうかはかなり怪しいものですが、言葉の定義のずれはある程度認識できたようです。お騒がせしました。
それぞれについて考えたことがあるので
まず梅田さんとのやりとりについて。
RainMan(1988)に落としたマッチの数を一瞬で当てるエピソードがありましたね。
今思えば自閉症者に関わるこうしたエピソードは「イデオサヴァンだ」「記憶力が優れてる」「視覚優位だ」程度の解釈で片付けられ、ぞんざい扱われて来たような気がします(私の不勉強だけかもしれませんが・・・)。
もしそれが「抽象化能力の過大」の直接的な現れならば、三つ組みよりも自閉症の本質に直接迫りうる現象といえるのではないでしょうか?
(三つ組みの説明は正直煩雑ですよね。ex.社会性の障害→非線形課題の失敗→一般化能力障害→抽象化能力過大)
次に映也の父さんとのやりとりについて。
私も当初は抽象化の意味を一般化と混同していました。
やはり、一般の人にとって捉えづらい概念ではあるようですね。
高い抽象化能力を「高いサンプリング周波数」に当てはめるのはそらパパさんのイメージとかけ離れるのは承知の上で、説明用の簡便法としての価値はないものでしょうか?
サンプリング周波数が高ければデータ容量が増えます。結果、記憶装置(海馬?)や処理装置(一般化能力?)に負担をかけるというのは分かり易いように思います。
コメントありがとうございます。
あとでこのコメントをご覧になった方のために、この議論がこちらの記事からの続きであることをまず触れておきます。
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/122004855.html#comment
で、いただいたコメントについてですが、
イデオ・サヴァンは、自閉症の人に常に現われる「症状」とまでは言えないですね。
もちろんそれが自閉症のある本質を示している可能性もありますし、一般化障害仮説から一応の説明を与えることはできますが、やはり一部の人にだけ現われる「例外的な症状」に留まると思います。
ですから、やはり自閉症の症状を語るときは「三つ組」から始めるほかないんだろうな、とは思います。
ちなみに、社会性の障害についての一般化障害仮説からの説明が複雑だ、というご指摘についてですが、そこでいう「複雑さ」は、仮説からの説明の部分にあるというよりはむしろ「社会性」という概念のあいまいさからきているのではないか、と考えます。「社会性」って、脳の情報処理という観点から考えると、要はどういう「機能」のことを指しているのか? そこをまず考えなければいけないから、複雑に見えているわけです。
このシリーズ記事(や拙著)では、社会性というものを仮に、「社会性とは、難しい非線形分離課題を解くことだ」と「変換」しました。こういう変換をしないと、情報処理の議論として扱えないからです。そして、非線形分離課題は多層パーセプトロンという基本的なニューラルネットに解かせることが可能ですが、層の数が多い=情報を一般化する力が高くないと、難しい問題は解けません。ですから、社会性を「非線形分離課題」と置きかえた瞬間に、実は「理論」という観点からは、一般化障害モデルで比較的シンプルな説明ができていると思っています。
後半部分については、コメントが難しいです。
それも1つの理解のありかたかな、と思う一方で、あくまでも自閉症の問題は「一般化」にあって、「抽出(抽象化)」は、一般化に対するコインの表と裏のようなもの、一般化のためのデータを用意しているからこそモジュール的に記載されているものに過ぎない(言い換えると、この仮説で「一般化」の部分が壊れてしまったら、そもそも「抽出」という概念自体に意味がなくなる)というのがこのモデルなので、抽出処理そのものをモジュール的に考えると、その時点ですでに私の意図とはズレが生じているなあ、とも思ってしまいます。
ちなみに、シリーズ記事の途中でも出てきますが、ジェフ・ホーキンスの本「考える脳 考えるコンピューター」が考える脳の情報処理モデルが、私が「一般化障害仮説」で想定している脳のモデルと極めて近いです。そこでの文脈において、脳の情報処理単位であるカラムに「入ってくる」信号が「抽出処理された情報」で、「出ていく」信号が「一般化処理後の情報」に相当します。
大人のアスペルガーの知人が何人かいるのですが、問題に直面した時「どうしてこれがこうだと分からないの?」と聞くと、決まって「だって、そうとは限らないじゃないか。違う場合もあるじゃないか」という答えが返ってくるのが不思議でした。
貴ブログの記事を読んで、そうか、彼らは「一般化」に失敗しているんだなーと非常に納得しました。
コメントありがとうございました。
ここで書かせていただいている「一般化障害仮説」については、考察してからかなりたっている現在でも、私の中で自閉症を理解する基盤となっています。
また、本文の中でも書いていますが、拙著「自閉症-『からだ』と『せかい』をつなぐ理解と療育」は、この仮説について書き下ろした本となっていますので、よろしければ参照いただければと思います。
一般化障害仮説を大変興味深く読みました。抽出処理を縦軸、一般化処理を横軸としたチャートは納得し易い気もしますが、この「抽出」とはどういうものでしょうか?
この仮説のページを読みました。関連した御著書も入手しましたが、まだよく読めていません。
すでに、映也の父さんとのやりとりで説明されていることから考えると、
1)感覚器官からの入力
2)ネットワークの一部を切り出して考えたとすると、その取り出したネットワークへの入力
というような様に理解しました。如何でしょうか?
1)の感覚器官からの入力ということだとすると、味覚や臭覚の感覚子の数などが自閉症者と正常者で異なっている可能性はあるにしても、それは縦軸の違いでは無いような気がします。自閉症者の感覚異常は感覚子というよりは中枢の問題なのではないでしょうか?
2)だとすると、どの部分ネットワークを考えるかが重要で、結局、言語処理関連とかに注目することになり、言語処理能力の不完全性、みたいなことになりませんか?
もう一つ、神経ネットワークによる一般化というのはかなり下等な生物でもそれなりにやっていると思います。人間以外の高等な動物で、抽出vs一般化のバランスの崩れたような場合があれば、自閉症のモデルになりうるのでしょうか?
コメントありがとうございます。
コメントをいただいてたことに気づかず、公開が遅れてしまい、すみません。
ところで、「抽出」ですが、このシリーズ記事でも拙著でも書いていますが、感覚「からの入力」を感覚「入力信号」に変換する機能のことを指しています。
感覚器そのものの多寡でもなく、中枢機能でもありません。また、一般論としてのネットワークへの入力でもありません。
ですので、おっしゃっている1)とも2)とも異なります。
また、抽出と一般化のバランスが通常と異なることによる環境への適応方法の変化は、ある意味非常に高度な知的領域でのみ現れると考えられます(実際、人間でもことばや社会性、コミュニケーションでのみ現れるわけです)。
ですので、動物のなかでそれを見出すのはあまり簡単ではないように想像します。
御著書(「自閉症―「からだ」と「せかい」をつなぐ新しい理解と療育 」)のp85に、『脳内の情報処理で扱えるような「情報」に変換し、蓄積すること」と説明されていたことに、ほどなく気づきました。大変失礼いたしました。
こちらのBLOGでは
新しい認知心理学から自閉症を考える(5)
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/24618400.html
にも述べられていました。
2歳くらいまでは定型発達児も自閉症(スペクトラム)の子供も、ある意味、違いは少ないと言われます。一般化障害仮説で考えてみると、どちらも、一般化能力が不足していて、癇癪起こしたりするが、定型の子供はその後、一般化能力が発達し、やがて言語も獲得していく。そんな感じでしょうか? しかし、自閉症(スペクトラム)の場合は目が合わない、などのコミュニケーションの不都合が幼いうちからみられることが多い。それは定型の乳幼児ではできるわけですから、一部のコミュニケーションは定型では一般化能力が低くてもできる、ということでしょうか?
ところで、自閉症に関わる遺伝子の探索や自閉症モデルマウスを用いた研究なども進んで来ているようです。しかしながら、この雑誌(「自閉症の生物学」細胞工学 Vol.34 No.5 2015年5月号)を眺めてみても、関与する可能性のある遺伝子の羅列のような感じて、療育のヒントはもとより、原因メカニズムの理解も難しそうでした。
イヌとオオカミ、社会性が高いのはどっち?
http://www.dogactually.net/blog/2013/06/post-391.html
というのが見つかり、大変興味深く読みました。
単純にまとめると、オオカミ同士は模倣することができるが、イヌはできない。イヌは人間の指差しに反応するが、オオカミはできない。
といったことがあるそうです。イヌとオオカミのゲノムを比較することで、関連する遺伝子を検索し、イヌに遺伝子改変を行ってその遺伝子の機能を確認する、というようなことがすでに行われているかもしれません。
糖尿病の多数の原因遺伝子のように人類の進化の過程では役に立っていた、というようなストーリーが自閉症の場合にもありうるのかどうか、もし将来、進化医学的な発展があって、それが療育につながっていくならば、期待したいところです。
コメントありがとうございます。
ご質問いただいている、「途中までは似たような発達をする」という点ですが、一般化障害化仮説のポイントの1つは「一般化処理がキャパオーバーであふれる」ことが障害につながる、ということで、ごく幼い間は、バランスが悪くてもまだキャパオーバーにはならない、そういう時期があるんじゃないかと思っています。
いつも沢山の情報をありがとうございます。
日本からようやくそらパパさんの書かれた本(自閉症-からだとせかいをつなぐ新しい理解と療育)が届き、ワクワクしながら読んでいるところです。ちょうどP80を読み終えたところで、全身にゾクゾク感が走りました。
このような系統の本を読んでこんなにゾクゾクしたのはあまりなかったので、途中の感想ですが書かせて頂きました。
コメントありがとうございます。
そんな風に読んでいただけるのは本当に恐縮です。(^^;)