「折れ線現象」は、端的には「ことばの折れ線現象」として、一度出た(獲得しかけた)ことばが消えることを指し、さらにはそれとほぼ並行して自閉的傾向・行動が強まり、一種の「退行」的様相を呈する現象のことをいいます。
この現象について語る親御さんの話などを総合すると、「ことばがいっとき増えていたのに、だんだん話さなくなった」とか「最初は合っていたモノと名前の対応が合わなくなって、やがてことばが消えていった」といったように、ことばの使用や適応が一旦上がって、それから落ちてくる、という変化を見せていることが分かります。
実は、このような「一旦上がった成績が、さらに試行を続けるとむしろ下がってしまう」といった現象はコネクショニスト・モデルのシミュレーションによって再現可能です。しかもそれは、「抽象化>一般化」というアンバランスによって「一般化のオーバーフロー」が発生したときに起こるのです。
↑「過剰な適応」によって、学習回数を増やしたほうが汎化能力が悪くなる「折れ線現象」が起こりうることをシミュレーションしたグラフ。「自閉症に働きかける心理学 1 理論編」初版173ページより。
ことばを獲得するためには、非常に高い水準で一般化処理がうまく行なわれる必要があります。
「抽象化>一般化」というアンバランスのある処理系で、ことばの獲得のような難しい一般化課題を解こうとした場合、最初は、覚えることばもそれに対応する事象の数も少ないので、弱みを持った一般化処理系であってもパンクせずにことばの獲得が進みます(ことばが増える段階)。ところが、覚えるべきことばの数が増え、事物との対応が複雑になってくると、一般化処理系がオーバーフローを起こし、おかしな挙動を取り始めます。
少し前に書いたとおり、この「おかしな挙動」とは①過剰な適応、②誤ったルール化、③ルール化の失敗、のいずれかになります。これをことばの学習にあてはめると、③はそのまま「ことばが消える」ことを意味し、①と②はモノとことばの対応が正しくなくなることを意味します。いずれにせよ、子どもはことばが話せなくなるか、話すことばが意味をなさなくなります。その結果、発話は物理的・社会的にも強化されなくなり、結果としてことばが消えていくと考えられます。(ことばが消えていく段階)
このモデルでは、「折れ線現象」という2つのフェーズを持つ複雑な現象を「ことばが増えていく段階」と「消えていく段階」に分けることなく、1つの学習モデルで説明できるところに強みがあります。そして、このような「ことばの折れ線現象」とほぼ同時に各種の自閉的症状が現われるのも、赤ちゃんの「シンプルな環境」の中で一旦は成立していた社会的適応状態(脳のネットワークの適応的な反応傾向)が、より複雑な環境にさらされることによって再構成を余儀なくされ、その結果「一般化処理」がオーバーフローを起こして適応性が崩壊していく過程としてとらえることができるのではないかと思います。
ここで簡単なまとめとして、
抽象化>一般化の アンバランス | |||
あり | なし | ||
全体的な | 低い | (低機能) 自閉症 | 精神遅滞 |
高い | アスペルガー 症候群 | 正常 |
前回ご紹介したこの表をさらに拡張して、自閉症スペクトラムの全体像をマッピングした図をご紹介したいと思います。
↑自閉症スペクトラムマップ。
このマップは、これまで考察してきた以下のような要素が考慮されて塗り分けられています。
・「弱い一般化処理」を特徴とするのは「カナー型(低機能~高機能)自閉症」です。
・「強すぎる抽象化処理」を特徴とするのは「アスペルガー症候群」と考えられます。
・いずれにせよ「抽象化処理>一般化処理」となることが自閉症発現の条件と考えられます。
(「抽象化処理<一般化処理」の場合は一般化処理に余力が出るだけです。)
・抽象化処理、一般化処理どちらも弱い場合は「精神遅滞」となると考えられます。
・ことばの有無は「一般化処理」能力の高さによって決まると考えられます。
なぜなら、ことばの獲得にはかなり高い一般化処理能力が必須だと思われるからです。
・知能の高さは抽象化処理と一般化処理、いずれか低いほうによって決まると考えられます。
両者には密接な関係があり、弱いほうが全体の処理能力の「上限」となると考えました。
・このように「自閉症」の領域が広く分布し、かつ「健常」領域と連続的につながっていることが
「自閉症スペクトラム」であると考えられます。
[関連文献]
自閉症に働きかける心理学〈1〉理論編
著:深谷 澄男
北樹出版 (レビュー記事)
(次回に続きます。)
このシリーズをとても興味深く拝見しています。わくわくします。それにしても、専門の研究者ではないパパさんが(もちろん専門教育を受けておられるわけですが)これほどの論を立てられることにただただ感心しております。
日頃自閉症児者と接している教員の私たちももっとがんばらないといけませんね。こうした自閉症への理解や自分なりの考えをもって接するかどうかで、教育の質は変わってくると思います。今後の展開を楽しみにしています。
ちょっと内容が専門的になってしまっているので、楽しみに読んでくださっている人がいると分かって嬉しく思います。
もともと、興味を持ったテーマにはとことん取り組むタイプなので、自閉症についても当初は手当たり次第にいろいろな本や資料を読み漁っていました。
それを2年くらい続けていた結果として、最近になってようやく1つの仮説に焦点が合ってきた感じがしています。
自閉症について考えることは知性のあらゆる側面について考えることとほとんどイコールです。私も、必要な情報や知識を求めて本を読んでいたら、心理学のみならず哲学から脳科学からロボットから動物学まで、ありとあらゆるものを読まなければならない羽目になりました。(笑)
私自身、自閉症の自分の娘と向き合うとき、そうやって勉強して、自分なりに再構成した「知識」でもって子どもに接することができるので、以前よりも迷いのようなものを感じなくなった気がします。
外食できなくなるといった一時的な適応の悪化も、発達の一過程として理解できるものですし、そういった理解を家族で共有することで、不要な不安を避けることもできますし、おかしな療法に手を出すことも避けられます。
このシリーズ記事は、実はもう書き終わっているのですが、全部で21回分にもなってしまいました(^^;)。
まだまだ続きますが、よろしければお付き合いください。
↑この時点では「新しい認知心理学から自閉症を考える」の記事を読んでいなかったのですが、下記を読んで大いに納得しました。拙速なコメントはいけませんね。大変失礼しました。
>逆に「『抽象化処理』を担う脳が発達しすぎて、健常者と同等の処理能力を持つ『一般化処理』でも間に合わない」という、「強すぎる抽象化処理のモデル」を考えることもできるのです。
4年送れですが、大変興味深く読ませていただいています。
コメントありがとうございます。
そうですね、「ライブ・自閉症の認知システム」のほうでは、講演時間の問題もあって、「弱い一般化処理」のケースだけを取り上げているのですが、実際には抽出(このシリーズ記事では「抽象化」)と一般化のバランスの悪さが問題なので、「強すぎる抽出」というもう1つのモデルを考えることも可能なわけです。
ちなみに、この辺りの議論については、拙著の1冊め「自閉症-「からだ」と「せかい」をつなぐ新しい理解と療育」で詳しく取り扱っていますので、もしご興味をお持ちいただけたら、機会があればご覧いただければと思います。