①自閉症児は広い意味での抽象能力は劣っているのに、細かい記憶などは優れている(ことがある)という問題。
②自閉症児の大脳のある部分は萎縮しているが、海馬や扁桃核のような『学習・記憶』に関わる部位はむしろ発達しているという問題。
なぜなら、「抽象化される情報が多すぎる」ということは「細かい個別的なことをよく記憶している」ということと矛盾しませんし、海馬や扁桃核(記憶や学習に関連する脳領域)が発達していることとも整合性があります。それでいて、自閉症の問題である「一般化能力(社会に適応する能力)の障害」もきれいに説明できるのです。
私が追加した、残る2つの二重解離についても考えてみます。
③自閉症児の多くが『ことば』に致命的な遅れを持つ一方で、アスペルガー症候群の子どもにはことばの遅れがない。しかし他の多くの『自閉的症状』は共通しているという問題。
④自閉症児の多くは発達の途中まで一見『正常』に育つのに、ある時点から社会適応性が急に伸びなくなる。むしろ退行することもあり、『折れ線現象』と呼ばれるという問題。
③に関連するポイントは、この仮説で自閉症の原因と考えられている、「『抽象化』され蓄積される情報量が多すぎて、『一般化』処理能力を超えてしまう」という記述の「抽象化される情報量が多すぎる」という部分は、あくまで相対的なものである、ということです。
つまり、「脳にダメージを受けて『一般化処理』の力が(健常者と比べて)弱い」という、「弱い一般化処理のモデル」を考えることもできますし、逆に「『抽象化処理』を担う脳が発達しすぎて、健常者と同等の処理能力を持つ『一般化処理』でも間に合わない」という、「強すぎる抽象化処理のモデル」を考えることもできるのです。要は、「抽象化処理能力>一般化処理能力」というアンバランスが発生すれば自閉症になる、と考えているわけです。
そして、前者が典型的なカナー型自閉症、後者が典型的なアスペルガー症候群(高機能自閉症)のモデルだと考えることができるのではないか、というのが私の考えです。
もちろん「抽象化処理が強すぎる」ということと、「一般化処理が弱い」ということは、それぞれ「正常範囲内」から「著しく異常」な状態まで、あらゆる段階をとる可能性があるでしょう。つまり、「抽象化処理」と「一般化処理」のアンバランスの度合いも、さらには全体としての脳の情報処理能力も、さまざまなレベルを持つことが考えられます。
このように、絶対的な脳の情報処理能力の高低と相対的な抽象化/一般化処理のアンバランスの組合せにより、自閉症がさまざまな態様を取ることが、「自閉症スペクトラム」なのだと思われます。
ここで再び思い出すのが、以前、「『こころ』の本質とは何か」に出てきたこの表です。
関係の発達 | |||
遅れあり | 正常 | ||
認識の発達 | 遅れ あり | (低機能) 自閉症 | 精神遅滞 |
正常 | アスペルガー 症候群 | 正常 |
この表自体は「関係の発達」という概念が結局同語反復だという問題がありましたが、私はこの表には何かピンと来るものがあり、時々意識に上っていました。
今回の仮説で、やっとこの表の上と左に、脳の機能レベルにまで下りた記述を書き込めます。(ここまで来るのは長かった!)
抽象化>一般化の アンバランス | |||
あり | なし | ||
全体的な | 低い | (低機能) 自閉症 | 精神遅滞 |
高い | アスペルガー 症候群 | 正常 |
長くなったので、残る④の二重解離については、次回触れたいと思います。
[関連文献]
「こころ」の本質とは何か
著:滝川一廣
ちくま新書 (レビュー記事)
(次回に続きます。)