例えば、子どもが名前を呼ばれて振り向く、という一連の行動を学習することを考えてみます。
子どもは、視覚・聴覚その他さまざまな環境から入ってくる入力(例えば「そらまめちゃん」という音声が聞こえること)、それに対する子ども自身の反応(例えば「振り向く」という行動)、その反応に対するフィードバック(頭をなでてもらえた、おやつがもらえた)などの事象を、それぞれ「情報」として抽象化し、脳に蓄積していきます。(抽象化モジュール)
そして、同様の経験を繰り返していくことで、「名前を呼ばれたら、振り向く」というより一般化されたルールを学習し、例えばまったく初めての環境で、初対面の人に名前を呼ばれても振り向くことができるようになります。(一般化モジュール)
なぜ、「個別」の経験を繰り返すだけで、特に教えられなくても「一般」化されたルールが獲得できるのでしょうか?
ここで、「ヘッブの法則」という脳神経科学における古典的法則をご紹介します。それは、
・同時に活性化されたニューロンの結合は強化される。
というとてもシンプルなルールです。この現象が脳で実際に起こることは脳神経学的に確認されており、脳が学習したり適応したりするための基本的なしくみとして、コネクショニスト・モデルにももちろん取り入れられています。
この法則を「抽象化された情報」がどう処理されるかに置き換えて考えてみると、「同時に起こりやすい事象どうしは関連付けられる」ということを意味します。これが、一般化処理を可能にするしくみの出発点です。
先ほどの具体例に戻ってみましょう。
子どもが名前を呼ばれるときには、実際には「名前を呼ばれる」という事象だけが単独で存在しているわけではありません。
例えば「居間で」「絵本を読んでいるときに」「お母さんが」「手を叩きながら」「名前を呼ぶ」といったように、「抽象化」されうる事象は「名前が呼ばれる」こと以外にもたくさん起こっています。
ここで、「同時に起こったことは関連づけられる」という法則をそのまま適用すると、子どもはこの全ての個別事象と「振り返る」という行動を、関連のあることとして理解することになります。
これでは全然、「名前を呼ばれたら振り返る」という一般化されたルールにはなりません。
でも、このような個別の経験を、何度も繰り返したらどうなるでしょうか?
そうすると、「名前が呼ばれる」こと以外の事象は、経験するたびに違ってくるはずです。
つまり、「名前が呼ばれる」ことと「振り返る」ことの組み合わせは非常によく起こるのに対して、「特定の人から呼ばれる」ことや「居間で呼ばれる」ことと「振り返る」ことの組み合わせは相対的には起こる頻度が低くなります。
このように、個別事象を繰り返し経験する中で、繰り返し同時に起こる事象(ここでは「名前を呼ばれること(音声)」と「振り返る」という行動)に対応するニューロンのつながりは強化され続ける一方、あまり同時に起こらない事象(ここでは、名前を呼ばれること以外の個別要素と「振り返る」という行動)に対応するニューロンのつながりは弱められていき、やがて有意なつながりがなくなります。
その結果、個別の経験を繰り返しているだけなのに、「脳ネットワークの関連付けの自己組織化」が起こり、脳は誰から教わることもなく、「名前を呼ばれたら振り返る」という一般化されたルールを獲得することができるわけです。
これこそが、「一般化モジュール」がやっていることです。
このような「一般化」は、情報の圧縮であると同時に、情報のクリーニングでもあります。
私たちは、個別の経験を「一般化」することによって、より少ない脳の容量で「環境」を知覚・学習できるのと同時に、重要でない個別要素を取り払った、より包括的で適応的な「ルール」を自然に習得することができるわけです。
補注(やや専門的な補足):
ここでは、「抽象化」「一般化」のどちらも、非常におおざっぱに解説しています。実際には、抽象化のモデルはコホネンの自己組織化ネットワークもしくはホップフィールドネットワーク、一般化のモデルはフィードバックのある多層パーセプトロンないしその発展形をイメージしています。さらに両者は実際には独立してばらばらに動作するものではなく、極めて密接に相互作用すると考えられます。ジェフ・ホーキンスのモデルに準拠するなら、まさにこの2つの処理は脳の同一の柱状構造の中で同時に進行し、「抽象化されながら階層を登って一般化されていく」ということになるでしょう。
ここでのモデルは、こういったアルゴリズムの実装レベルより1段上の、機能レベルでの情報処理モデルであり、また単純化のために明確なモジュール形式で表現しています。
(次回に続きます。)
HPも拝見させていただきましたが、すごいボリュームですね。
とても全体はつかめていませんが、ご紹介いただいたトップページの最初に、まず最初の段階で脳の中に外界の写像が作られる、という説明があるのを拝見し、私個人の考えとはかなり違う考えをお持ちの方だとお見受けしました。
このような考え方は、私が現在共感している知覚心理学者のギブソンの理論では、真っ先に否定されているものです。
脳の情報処理についてはさまざまな仮説がありますが、脳の中に「情報」を「解釈」する小人(ホムンクルス)を仮定せずに知性を説明することはなかなか難しいですね。そういったことを考えさせられました。
これからもよろしくお願いします。