例えば、「心の理論」に基づくモデルは、「心を読む」という、あまりに高次の認知スキルに焦点を当てていて、そこに至る、あるいはそれを構成する、より低次の認知構造に問題の本質を置き去りにしているように思えます。バロン・コーエンが「マインド・ブラインドネス」で主張する4つのモジュール構造を見ても、その問題は消えるどころか、むしろある種の「泥沼」にはまっているように思われます。
また、ハッペやフリスが提案している「中枢性統合の障害」という考え方は、自閉症の障害の特徴をそのまま「中枢性統合」という概念に置き換えて、さらにそれをそのまま「脳の中のモジュール」として仮定しているだけのように思われます。
脳の認知過程にある種の情報処理モデルを仮定して、そこから自閉症の認知障害を説明しようとするアプローチは認知心理学の得意とするところですが、上記のような自閉症に関わる認知心理学の新しい研究成果を見ても、モデルの構築がうまくいっているとは残念ながら思えませんし、率直にいって、わからないもの(自閉症の原因)をわからないもの(十分に解きほぐされていない複雑な情報処理モジュールの仮定)のせいにする、という、心理学が陥りがちなトートロジー(同語反復)の落とし穴にはまっているように感じます。
従来の自閉症研究において、なぜ認知心理学がこんなにもあっさりと弱点をさらけ出してしまっているのかといえば、これらのアプローチがいわゆる「古い人工知能」、つまり「脳は私たちが使っているようなコンピュータと似ている」という出発点に立ってしまっているからだ、と感じられてなりません。このような考え方を「古典的計算主義」とも呼びます。
人工知能の世界においても、かつては人間の脳はコンピュータとほとんど同じものと考えられていた時期があり、そこからひるがえって「コンピュータの研究を進めればやがて脳にたどりつける」と期待されていました。
ところが、このアプローチによる人工知能研究は挫折し、残されたのは「いかに人間の脳はコンピュータとは違うか」といういくつかの発見でした。それが例えばフレーム問題であり、バインディング問題であり、クオリアだったといえます。(この辺りについては「心をうみだす脳のシステム」あたりが入門書としては分かりやすいでしょう)
いま、人工知能の研究はロボット研究と融合し、脳科学とロボット工学とが交わった領域で研究が続けられています。
「知性」というのは、①環境の中に場を占め、②環境から情報を受け取り、③環境に働きかける能力を持つ、「からだ」なしには存在し得ないと考えるのが近年の人工知能研究の主流で、ここにはアフォーダンス理論の影響も強く感じられます。
そして、環境から情報を受け取り、環境に働きかけ、その働きかけの結果を新たな「環境からの情報」として受け取る(フィードバックする)という「知性」を実現するために採用されている脳の情報処理モデルは、「古い人工知能」で考えられていた「完成されたプログラムにデータが入力される」といったノイマン型の(古い)コンピュータモデルではなく、入力された情報が脳の神経ネットワークの中を伝わり、ネットワーク自体を変化させて自己組織化する「コネクショニストモデル」(コネクショニズム、PDP、ニューラルネットワークなどとも呼ばれます)です。
端的にいえば、「『からだ』の発見」と「コネクショニズムの採用」、この2点が、挫折した「古い人工知能」研究から脱却し、「知性」の核心に迫るために必要だった、ということが言えるのではないかと思います。
「からだ」の発見、というと観念的に聞こえますが、要は「環境とのフィードバック・ループが決定的に重要だということへの気づき」ということです。ここでいうフィードバックループとは、①環境からの入力→②環境の知覚→③環境への働きかけ→④環境からのフィードバック→①に戻る、という循環(サイクル)の中で、能動的に環境を知覚・学習することをいいます。
↑環境とのフィードバックループのイメージ
このような「人工知能研究の挫折と復活」という視点から現在の認知心理学的自閉症研究を考えると、問題点が明らかになります。
[関連文献]
1) 「従来型」の自閉症への認知心理学的アプローチ
自閉症とマインド・ブラインドネス
著:サイモン バロン=コーエン
青土社 (レビュー記事)
自閉症の心の世界―認知心理学からのアプローチ
著:フランシス ハッペ
星和書店 (レビュー記事)
自閉症の謎を解き明かす
著:ウタ・フリス
東京書籍
2) 脳認知科学および人工知能・ロボティクスの動向
心を生みだす脳のシステム―「私」というミステリー
著:茂木 健一郎
NHKブックス (レビュー記事)
知能の謎 認知発達ロボティクスの挑戦
著:けいはんな社会的知能発生学研究会
講談社ブルーバックス
シリーズ心の哲学〈2〉ロボット篇
編:信原 幸弘
勁草書房
→ 内容の一部がこちらで読めます。
(次回に続きます。)