難病女児の募金に批判 ネット掲示板
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060928-00000015-san-soci
重い心臓病におかされた女児の救済募金が、インターネット上の巨大掲示板「2ちゃんねる」などで激しい批判の対象になっている。女児の両親と有志が手術に必要な1億3600万円を目標に募金活動を始めたが、ネット上では父親がNHKに勤務していることなどを理由に募金が必要なのかなど疑問を投げかける声が続出している。(以下略)
私たちもニュースなどでときどき見る、「○○ちゃんを救う」といった募金の中のあるケースが、巨大掲示板「2ちゃんねる」で激しい批判にさらされているという記事です。
上記で引用したニュースは全国紙(産経新聞)のもので、さすがにトーンは抑えられていますが、「まとめページ」などを見ると批判は熾烈を極めていることが分かります。
http://news.80.kg/index.php?%BB%E0%A4%CC%BB%E0%A4%CC%BA%BE%B5%BD
http://sinu-sinu.info/wiki/
http://megalodon.jp/?url=http://www2.realint.com/cgi-bin/tarticles.cgi%3fhiroba%2B22876&date=20060924084156
↑今回の件がただの誹謗中傷ではないことはこの議論でよく分かります。
まず端的に感じることは、こういうときの2ちゃんねるの情報収集力はタダゴトではない、という率直な印象。情報の質が玉石混交であること、対象のプライバシーがほとんど考慮されないことなどは憂慮すべきですが、もうこれはある種のジャーナリズムと呼んでもいいのではないかと思えます。
私も情報源はこれらのまとめページだけですが、恐らく真実だと思われ、かつ問題を考えるのに重要だと思われる事項をピックアップすると、
①4歳の娘の難病が発見され、海外で手術するしか助かる途がない。
②そのために必要だとされている費用は、手術費9000万、予備費3600万と渡航費。
③ただし手術費はデポジット(保証金)で、順調に手術が終われば2000万ほどで済むらしい。
同じく予備費も順調に終わればかからない。(つまり予備費は単純に手持ち予備資金)
④両親はNHKの要職者(父親:チーフプロデューサー、母親:ディレクター)
⑤自宅は吉祥寺駅徒歩7分、一種低層、井の頭公園に囲まれた「超」をつけてもいい高級住宅地に約200㎡の庭付き一戸建てを所有(時価1億超)。
⑥NHKには共済会があり、不動産を担保に相当の借り入れができる可能性が高い。
⑦「募金活動」を支援している団体(トリオ・ジャパン)の資金の流れが不透明。
過去の同様の募金活動で余剰金?が発生しているはずなのに、そういった金は一切出ない。
この辺りでしょうか。
少なくとも、募金の始め方に問題があるのは間違いないところでしょう。
他にいくらでもお金を集める方法がありそうなのに、ある意味最も安易な「必要かもしれない最高額を全額募金で集める」という選択肢を選んだ(ようにしか見えない)ことについては、批判されてやむなしだと感じます。
ただこれが、2ちゃんねるで指摘されているような、悪意に基づいた「死ぬ死ぬ詐欺」とまで言えるものかと言われれば、そうではないと信じたいです。
きっと、この家族は最終的には資産を処分し、貯金を取り崩してでも子どもに手術をさせようという意図はあるのだと信じたい。ただそこで、そういった「痛みを伴うやりかた」を「最後の手段」として保留して、それより先に募金活動を始めて、あわよくば資産の処分を免れたいと考えた(と思える)点をどう評価すべきなのか、という問題なのではないかと思います。
まず、好意的に考えた場合。
言うまでもありませんが、心臓移植というのはやったら終わり、ではなくてその後も継続的な投薬・入通院が必要になります。恐らく手術も必要になるでしょう。普段の生活においても配慮が必要で、そのための費用もかかります。
そういったことを含めた長い目でかかる費用のことを考えたとき、単純に資産を全部売り払って手術することにはリスクもあるでしょう。そこで、目の前の手術は、よくある「救う会」のスタイルで募金を集めてまかなって将来にも備えよう、という思考回路が働いたことは容易に想像できます。
恐らく、資産を持っていればいるほど、そう考えるのではないでしょうか。
それに対して、批判的な立場をとるとするならば・・・
「救う会」募金というのは、人の「かわいそう」とか「助けたい」といった善意の情に訴えて、利害関係のない不特定多数の金銭を集めるものだから、そもそも本質的に「最後の手段」なのであって、「余裕資金」を集めるために活用するのは極めて不誠実だ、とは言えるでしょう。
また、長期的な費用についても、心臓移植をした子どもは自動的に身障者1級になるという情報が事実なら、恐らくほとんど心配しなくて大丈夫なはずです。
また、1人の命を救うために1つの家族が1億円を超える金銭を独占的に集めるというのは、その金額で貧困国の子どもたちをどれだけ救えるのかということを考えると独善的であり、倫理的には必ずしも「善」とは言えないのではないか、という批判もあると思います。
極めてデリケートで、難しい問題です。
この話題は、もちろん私たちにとっても、いろいろな意味で、無関係ではありません。(だからこそ取り上げました。)
自分の身にこんなことが具体的に起こったとして、私ならどうするのか、と考えます。
もちろん、1億円もの現金を独力で用意できるとは思えません。
でも恐らく最初は、処分できる資産を処分して、親戚回りもして、さらに借金をすることを考えるでしょう。金融機関が貸してくれないなら、「借金」させてくれる人をネットで募集するかもしれません。
あわせて、資金計画を慎重に練ります。
当面必要な費用と将来的に必要な費用、借金の返済、それに対する収入のバランスを計算して、どうしても当座の費用をまかなえないと判断したら・・・
募金活動をするかもしれません。
私も、募金活動は「最後の手段」だと思います。単なる余裕資金を集めるためにやったとしたら、やはり限りなく詐欺に近い極めて不誠実な行為でしょう。
でもそれは、すべての資産を手放し、借金を限界までしてスッテンテンにならなければやっちゃいけない、ということではないと思います。そうではなく、「どんなに努力してもトータルで絶対に足りない」という結論が出たときに、その「絶対的不足額」について、情に訴える手段をとらざるを得ないときがあると思うのです。
1人の子どもを救うためだけに1億円の「浄財」を使っていいのかという「命の重さ」についての議論については、「そんな風に使うべきでない」という批判的意見に分があると思います。
貧困国の1万人の子どもの命よりも自分の子どもの命や障害治療のほうが大切だ、というのは、明らかに当の親だけの主観的価値であり、同じ「募金を集める」という観点からすれば、とてもエゴイスティックで無駄な使われ方だということは間違いありません。
ですからこの部分については、「私が多額の募金を自分の子どもに使いたいと思うのは、私のエゴです」とはっきり言い切ってしまって、それに対する批判を甘んじて受ける覚悟が必要だと思います。そして最低でも、余剰金が出たら全額、「よりエゴイスティックでない」方面に、浄財を浄財のままで使い切るべきでしょう。
本当に必要な金額だけ集めること、本質的にエゴイスティックな行為であるということを自覚すること、そして徹底的な情報開示をすることが、「救う会」型の募金を実施するための最低限の誠意だと思います。
そして残念ながら、巷にあふれる「救う会」募金は、こういった最低限の誠意と覚悟を感じられないものが多いのが事実だと思います。
その歪みが、今回、極めてはっきりした形で露呈してしまったからこそ、今回2ちゃんねるで大騒ぎになっているのだと思います。
今回の件でも、本当に「誠意」のある善意の募金活動であるのなら、当事者はこれらの批判を甘んじて受けるべきだ、と思います。募金活動というのが本質的に社会の善意に「甘える」行為である以上、「甘えている」という声が上がるのはむしろ当然であり、当事者はそれを受け止めることまで含めて、「誠意」と「覚悟」を見せる必要があると思うのです。
そして、今回の件は、やはり客観的にみて「甘えかた」の度がやや過ぎていると見られるのも仕方がないでしょう。いろいろな事情があるでしょうから一概にそれが悪いとは言い切れませんが、だからこそ、その批判に耐え、誠実に対応し、情報を開示し、余剰金が出たら使途を明確にし、そういう「やるべきこと」をすべてやって、そして初志貫徹して「子どもを守る」という親の姿を見せて欲しいと思います。
以前『奇跡の詩人』の件が問題になったとき、哀しくて、ネットの書き込みを見ながらため息ばかりついていた記憶があります。本人のつらさ、たぶん絶望と希望の繰り返しの末に境界を踏み越えてしまったと思われる両親、とても哀しい話でした。そして「たかり」ではないかとも思える周囲の人間の醜さも浮かび上がってきました。
同時に、自分は安全な場所にいながら、当事者の状況を全く考えずに「正論」を振りかざして攻撃材料を「嬉々として」(そう思ってしまいました)集めてきているようにすら見えるネットの住人達にも、少なくともその一部に対しては、決して好感を持てませんでした。その中には、明らかに障害を有する人に対する差別的な視線を感じ取れるものもありました。一般論として「義憤」ほど信用できないものはないと、個人的には思っています。
ですから今回の事例で、あくまで当事者の立場に寄り添おうとしながら、「自分だったら」と照らし合わせて省察しておられるそらパパさんの意見に、感銘を受けました。
コメントありがとうございます。
ネットの論調というのは、基本的には相当に保守的で他罰的なバイアスがかかっているので、もちろんそこは割り引いて読み解いていかないといけないですね。
差別的であるのも事実ですが、ある意味、世間体のオブラートにくるまれない剥き出しの意識が表に出てくるので、いろいろな問題に、世間がどういう「ムード」を持っているのかを率直に知るためには参考になることも多いと思っています。
この「救う会」募金でもう1つ知った話ですが、こういう募金はかつては総額数千万というのが相場でした。 それが最近は1億超えになっているのは、順番待ちをしている患者のリストに割り込んで優先的に手術を受けられる「VIP待遇」の高額医療をわざわざ選んでいるからなんだそうです。
(これは今回の「さくらちゃん」の件で、関係者と思われる人が思わず口を滑らせていますから、事実なのでしょう)
ですから、「募金は1人の命を救うために使われる」というのは、厳密には正しくないのです。 そうではなく、「募金は順番待ちをしている誰かの代わりに私の子どもを救うために使われる」ということになるのです。
このことを知って、ますます考え込んでしまいました。
「奇跡の詩人」の件は、実は割と最近知ったのですが、これってTerpomoさんの指摘するとおり、障害児を育てるということに関して親はどこまで自分を強く保って、ありのままのわが子を愛しきることができるか、突き詰めていくとまさにその一点に絞られる問題だと感じています。
そういう意味では、私や、このブログをご覧いただいている多くの自閉症児の親御さんにとって、まったく他人事とは思えません。
実は、この「奇跡の詩人」で問題になっているドーマン法、FC(Facilitated Communication)は、いまだに自閉症向けの民間療法として生き残っています。私はそれにも憂慮を感じています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%87%E8%B7%A1%E3%81%AE%E8%A9%A9%E4%BA%BA
↑Wikipediaの「奇跡の詩人」の項目
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kbys_ysm/doman/
↑ドーマン法とFCを考える
>親はどこまで自分を強く保って、あ
>りのままのわが子を愛しきることが
>できるか、突き詰めていくとまさに
>その一点に絞られる問題だと感じて
>います。
それが本当に大変なことだろうな、というのは、私ですら容易に想像できます。その「重さ」を理解しないままの外野からの批判は控えるべきだと思います。
他方で、ドーマン法が本人にどれだけの負担をかけるかを考えれば、当事者がいかにやむにやまれぬ思いから行っていることであっても、正当な批判にさらされるべきではないか、とも思います。
疑似科学って、トンデモと笑えるものもあれば、あらゆる意味で笑えないものもありますね。
親をふくめた外部から見ると、子どもは「障害を持った者」として、「標準」みたいなものと比較する中で見てしまいがちですが、子どもにとってはまさにその人生、世界がすべてなんですよね。
例えば、親から見れば「肢体不自由」あるいは「自閉症」でも、その子にとってはその身体、心を通して、見える、できることが世界のすべてなわけです。
私たちがすべきなのは、そこにある世界、人生をゆがめて「普通」の幻を追うことではなく(もちろん、適切な努力によって引き上げるべきは引き上げるべきですが)、そこにある世界、人生をどうすれば楽しく充実したものにできるかを考えることだと思うのです。
http://www.j-cast.com/2006/10/03003219.html
多少前向きな方向に動きつつあるようです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071101-00000163-mai-soci
<心臓移植手術>京大ちゃん「救う会」代表が父親脅かす(11月1日22時51分配信 毎日新聞)
難病男児のための募金活動を巡り、男児の父親に暴行し現金を脅し取ろうとしたとして千葉県警香取署は1日、「けいた君を救う会」代表で同県多古町一鍬田、自動車板金工場経営、水沢滋容疑者(45)を傷害と恐喝未遂の疑いで逮捕した。
調べでは水沢容疑者は9月1日、成田市の元専門学校講師、松田祐樹さん(37)を自宅工場に呼び出し、押し倒すなどして左腕打撲の軽傷を負わせ、木刀で脅して現金800万円を要求した疑い。
松田さんの長男京大ちゃん(2)は難病の拡張性心筋症で、松田さんの友人の水沢容疑者を代表に「けいた君を救う会」を結成。渡米して心臓移植手術をするため、約1億円の募金を集めた。06年11月に移植が成功し、今年帰国していた。
その後、松田さんの妻の妊娠が分かり、夫婦の活動姿勢に不満を抱いた水沢容疑者が、ボランティア活動で仕事を休んだ自分とメンバー6人の損失として現金を要求したという。調べに対し水沢容疑者は「自分が得るべきものを要求しただけ」と供述している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071101-00000188-jij-soci
心臓移植児の父親脅す=「救う会」代表を逮捕-千葉県警(11月1日21時0分配信 時事通信)
難病の拡張型心筋症のため、米国で心臓移植手術を受けた千葉県成田市の松田京大ちゃん(2)の父親に暴行し、現金を脅し取ろうとしたとして、県警香取署は1日、恐喝未遂と傷害の疑いで「けいた君を救う会」代表の自動車板金業水沢滋容疑者(45)=同県多古町一鍬田=を逮捕した。
調べによると、水沢容疑者は9月1日夜、自宅脇の板金工場内で、京大ちゃんの父祐樹さん(37)の首を絞めるなどの暴行を加え、木刀のような物を振りかざして800万円を支払うとの念書を書かせ、現金を脅し取ろうとした疑い。祐樹さんは手や足に軽傷を負った。
(参考)けいた君を救う会
http://ameblo.jp/keita-ganbare/
確かにこの「水沢滋」という名前が代表になっています。「両親の友人」だそうですが、親が第二子を作ったら腹を立てて800万円を恐喝して、「得るべきものを要求しただけ」とは常軌を逸しているとしか思えないですね。自ら作った「救う会規約」第11条には、「役員、会員は例外なく無報酬」と書いてあるのに・・・。
それに、やはりこの募金でも、要求額の大部分は、手術が無難に成功したら戻ってくる「デポジット」になっていることも分かりますね。(おそらく、この残金の取り分でモメたというのが真相だと思われます・・・)
またまた、気持ちが暗くなるニュースですね。
ワタシも今、この記事の後続いている募金詐欺疑惑を追っているものです。
そらパパさんのおっしゃる意見に大賛成です。
2ちゃん住民も同じ気持ちがあるから、こういうことになったのだと思います。
ちなみに、けいたの件ですが、私の調べた情報によると、患者ご本人の病気が遺伝による可能性も捨てきれないとのドクターの助言から、最低限、活動が終わるまでは子供を作らないとの支援会とご家族とのお約束があったそうです。
しかし、一段楽する前に妊娠発覚。
そのうえ、会計報告を出そうと監査しようにも、当の父親が募金を使い込んだらしく、不誠実な対応をしたことに代表が腹を立ててこの事件に至ったそうです。
結果、内秘理にもみ消しとなり、会長も無罪放免になったそうですが、未だに確定した会計報告がなされていないようです。
こう言った事も、後々善意に縋るしかないと苦渋の決断をされた方々の足を引っ張ることになると分かってるんだか・・・。
この記事、うちのブログに掲載していいですか?
考えてみると、こういった「募金活動」というのは、「善意」と「お金」という、ある意味対極にあるものを直結するところからいろいろな矛盾が生じているのかなあ、と改めて思ったりしました。
ネット上に書いている記事ですから、リンクや紹介などはもちろんオープンですので、よろしくお願いします。