脳 回路網のなかの精神―ニューラルネットが描く地図
マンフレート シュピッツァー
新曜社
基礎
ニューロンの結合
学習
頭のなかのベクトル
原理
大脳皮質の地図
中間層
神経の可塑性
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応用
知識を貯蔵する
意味ネットワーク
病める精神
思考と印象
この本は以前から興味があって、Amazonの読者レビューでも高い評価を受けていたので、ずっと買いたいとは思っていたのですが、少し発行年が古いこと(認知科学の本は鮮度が重要なので)と、やはり値段の高さに躊躇してなかなか買えないでいました。
でも、先日「認知過程のシミュレーション入門」を読んでいて、本書の中に自閉症に関する重要な記述があることを知り、すぐに購入を決断しました。
で、先日読み終わったのですが・・・
ごめんなさい。買うのを躊躇していた私が間違ってました。
コネクショニズムに興味があってこの本を読まないというのはありえないですね。値段分をはるかに上回る、とにかく面白い本でした。
本書は大きめのハードカバーの単行本で、ページ数も約350ページとずっしりと重く、普通はこのサイズの本は通勤電車で立ちながらでは腕が疲れて読めません。
ところがこの本は読み始めたら止まらず、電車の中でも腕の疲れを忘れてどんどん読み進むことができ、わずか3日ほどで読みきることができました。それだけ、中身が面白かったのです。(でも、気が付かないうちに軽い筋肉痛になったようです(笑))
本書は、脳のコネクショニスト・モデル(コネクショニズム、ニューラルネット、PDPモデルなどとも呼びます)に関する啓蒙書です。
コネクショニスト・モデルというのはこれまでも何度も説明してきましたが、脳の情報処理をネットワークの超並列処理としてモデル化し、コンピュータ・シミュレーションを通じて脳や心理学の問題を解明していこうという認知科学・認知心理学のアプローチのことをいいます。
こう書くと、なにやら難しい数学やコンピュータの話に思えてくるかも知れませんが、そうではないのです。
コネクショニスト・モデルの最大の魅力は、脳のみせるさまざまな能力-記憶、ことばやパターン、ルールの学習、そして自閉症や統合失調のような障害にいたるまで、非常に複雑でまだ私たちには手が届かないと感じられるような脳のふるまいを、拍子抜けするほどシンプルなシミュレーションであっさり再現してしまうところにあるのです。
そこには、「こんなに簡単に脳のことがわかってしまっていいの?」という驚きがあるのです。
簡単といえば、本書で特筆すべきなのは、コネクショニスト・モデルについて非常に幅広く専門的な領域までカバーしつつも、数式がほとんど出てこないという点でしょう。
私も文系なので、コネクショニスト・モデルの本でも数式を連発されると非常に苦しいものがあります(笑)。が、本書はそれを慎重に避けながら深い議論を進めるという離れ業をなしとげているおかげで、私も始めてさまざまなコネクショニストモデルのそれぞれの関係や意味合いを全体として理解できた気がしました。
そういう意味では、コネクショニスト・モデルを本格的に扱った本としては奇跡的に易しい本である、という評価もできると思います。
ちなみに、本書で取り上げられている主なモデルは以下のとおりです。
・二層のネットワーク
・中間層をもつ多層ネットワーク
・コホネンの自己組織化ネットワーク←これは私が卒論で使ったモデルです
・ホップフィールド・ネットワーク
・エルマン・ネットワーク
これらのネットワークモデルを使って、著者は、次のような、通常は「難問」だと言われていることにあっさりと証拠(シミュレーションの結果)つきの回答や仮説を見せてくれます。
・子どもが動詞の過去形を覚えるとき、不規則動詞を覚えて、忘れて、また覚えるという不思議な学習曲線を描くのはなぜか?
・自閉症とはどんな障害か?
・幻影肢(事故等により切断した手足があたかも存在するように感じること)はなぜ起こるのか?
・統合失調症においてなぜ幻聴が聞かれるのか?
・なぜヒトの脳はゆっくりと発達するのか?(脳のネットワークが完全に完成するのは思春期になってから)
・なぜ子どもは大人の省略だらけの不完全な会話を聞いているだけで母語の文法構造を習得できるのか?
・海馬という領域は記憶中枢と言われるが、ここを完全に損傷した人は確かに出来事を記憶できなくなるが、自転車の運転のような技術は普通に覚えることができる。なぜか?
・アルツハイマー病ではなぜ最初に新しいことが記憶できなくなり、やがて古い記憶まで破壊されるという順序をたどるのか?
・統合失調症の脳ではどんなことが起こっているか?
これらの謎を解いていく文体は切れ味鋭く、読んでいてわくわくします。
自閉症についての記述も、「認知過程の・・・」で引用されていた内容とは少し違ったニュアンスが含まれていて、さらに理解が深まりました。
いま、「環境知覚障害仮説」についての記事を書いていますが、これが終わり次第、この「コネクショニスト・モデル」が考える自閉症の脳のしくみを織り込んだ、私としては「最終形」に近いと感じている自閉症の謎を解く仮説を書く予定です。
ところで、脳を神経生理学的にではなく、モデル化してコンピュータシミュレーションで研究するということに本当に意味があるのか?という疑問をもたれる方もいらっしゃるかもしれません。
その回答は、おそらく「本書全体」ということになるのではないかと思いますが、特にその疑問に答えている部分を引用しておくことで代えたいと思います。
科学とは、何はさておき、しっかりしたモデルをつくるところにその本質がある。あらゆるモデル形成の際に必要不可欠な過程は、一般化(すなわち、個別的なことを無視すること)を行って、研究されることがらの複雑さを単純化することである。(中略)モデル形成の技術はまさに、本質的でないことから本質的な側面を分離することにあるのである。したがって、モデルとは真でもなければ偽でもなく、むしろそれは応用可能かそうでないかであり、わずかなことがらにしかあてはまらないか多くのことがらにあてはまるかであり、よりよくあてはまるかあまりうまくあてはまらないかである。よいモデルを手にすれば、特殊なことがらを無視することなしには発見できなかったような「一般的な原理」を見抜くことができるのである。(初版305ページ)
脳やニューラルネットに興味のある方、知的好奇心を刺激する科学啓蒙書が読みたい方、変わった自閉症理論が読みたい方、リビングに飾っておく「知的な本」を探している方(笑)、おすすめです。
「飾るだけ」の方も、ふと手にとって読み始めたら夢中になること請け合いです。
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