認知過程のシミュレーション入門
伊藤 尚枝
北樹出版
第1章 何が問題なのか?
第2章 基礎となる知識の準備
第3章 PDPモデルの基礎
第4章 知覚反応の般化と耐性
第5章 典型的なイメージの形成
第6章 演繹的な推論
第7章 パターンの分類
第8章 配列の予測と再帰
第9章 さまざまな問題
間違っても「一般向け」におすすめできる本ではないですが、自閉症の原因究明へのブレイクスルーを、もしかすると与えてくれるかもしれない本。
本書は、「コネクショニズム」の心理学を学ぶためのニューラルネットワークのシミュレーションを、tlearnと呼ばれるソフトウェアを使って実習するための本です。
つまり、大学生がコネクショニズムを学ぶときのコンピュータ実習用の教科書だと言えますね。
・・・うーん、こう書くとあまりにも自閉症と関係なさすぎる(笑)。
でも、実はそうでもありません。もし本当に自閉症と完全に無関係なら、いくら私個人が興味を持っていても、このブログでは紹介しないと思います。
でも、本書では第1章の導入部分でいきなり、自閉症に関するかなり詳細な記述が登場するのです。
しかも、その記述はある意味、自閉症の核心に迫っており、こんな教科書の片隅にとどめておくのはあまりに惜しい内容を含んでいるのです。
ちょっと長いのですが、この場で紹介しないと、コネクショニズムなんていうちょっとマニアックな心理学を学んでいる学生はともかく、自閉症児の親御さんがこの重要な指摘を目にする機会はまずないと思うので、該当する部分を一通り引用したいと思います。
自閉症では、a1.抽象能力の低下と、a2.個別的で単純な知識をよく記憶しているという独特な症状が観察されている。他方、b1.いくつかの大脳領域で神経細胞の密度が薄くなっている。しかし、驚くことに、b2.学習と記憶に不可欠な海馬や扁桃核や嗅脳などの領域では、神経細胞の密度が濃くなっている。これら4要件のうちで、a1とa2は矛盾しているように思われる。b1とb2はまったく矛盾している。このような矛盾を、どのように要件を関係づけてみると解決できるだろうか? もちろん実験的に究明したいのだが、どのような変数を設定して、どのように操作したら適切なのか、さっぱり見当がつかない。このようなときにこそシミュレーションが必要になり、有効である。
学習(learning)と言うときには、経験したデータから変数間の関係をできるだけ正確に読み取ることができる抽象化(abstraction)の能力を意味する。同時に、その関係を新しいデータに応用することができる一般化(generalization)の能力も意味している。自閉症が表しているa1とa2の矛盾は、抽象化の能力は現れているが、一般化の能力が現れていないと考えると、かなり理解しやすくなる。シミュレーションの結果によると、驚くことに、情報量が適度に限定されていることが、一般化が可能になるための必要条件だった。過大または過小の情報量を与えられたときは、一般化の能力が損傷されてしまうのである。そうだとすれば、b1なのにb2だという矛盾こそが、自閉症を形成している中核の問題ではないかと見当がついてくる。つまり、一方の領域では、神経細胞の密度が薄くなって情報処理能力が低下している。ところが、他方の領域では、神経細胞の密度が濃くなって処理情報が増大している。このようなアンバランスが、一般化する能力を阻害しているのではないかと考えられる。そうならば、自閉症に実践的に働きかけるときは、関与させる情報量をできるだけ小さくして、繰り返しフィードバックを与えて、処理能力の活性化と増強を促進してゆくことが必要な心得になると理解できる。(初版23~24ページ)
私が基本的にこのレビューでご紹介したいのは本書のこの部分だけです。
実は、この部分は「脳 回路網のなかの精神―ニューラルネットが描く地図」という本から参照されたものです。(なので、私は思わずこの本も買ってしまいました)
また、以前ご紹介した「自閉症に働きかける心理学」でも、この内容を含み、さらに高度な内容にまで言及されています。
でも、個人的には、これら2冊の本と比べても、上で引用した本書の説明がもっとも分かりやすく、誰にでも容易にコネクショニズムが指摘する自閉症の本質にたどり着くことができるのではないかと思います。
ここで言われていることは、こういうことです。
学習の機能を「抽象化」と「一般化」に分けて考えた場合、「抽象化」→「一般化」という形で情報が処理されると考えられます。
ここで、「抽象化」とは、周囲の世界の「現象」を、脳で処理できる「情報」に変換することで、「一般化」とは、そうやって処理された「情報」を再構成し、周囲の世界に適応できるような「ルール」として一般化することを指しています。
ところが、「抽象化処理」の能力と「一般化処理」の能力の間にアンバランスが生じ、抽象化された情報の流入量が相対的に多いのに、それを一般化する処理能力が不足すると、「一般化」が障害されます。
これが、コネクショニズムが指摘する自閉症の発生機序です。
そして、ここから示唆される療育の方向性は、
1.余分な情報の関与をできるだけ小さくし、「抽象化処理」に余計な情報を出力させないようにする。→これはTEACCHの構造化と同じです。
2.繰り返しフィードバックを与えて、「一般化処理」の弱さを補う。→これはABAの方法論に通じます。
となり、「構造化してABAで教える」というシンプルな療育ガイドラインが出てきます。
本書が指摘するこの部分の内容は極めて重要ですし、まだまだ書きたいことがたくさんあるので、後日改めて詳しく解説したいと思います。
最後に、コネクショニズムが素晴らしいのは、例えば上記のような研究結果を、自分のパソコンでシミュレーションして実験して、実際に確認できる(さらに力があれば、発展させた実験まで自分でできる)ということです。
ですから、私自身はこの本を活用して、「tlearn」というソフトウェアの使い方もマスターして、大学時代の卒論で少し研究したコネクショニズムをもう一度勉強してみようと思っています。
↑コネクショニズムで扱われるニューラルネットワークのイメージ図。
最後に、今回の出張で読んだ本は、実はもう一冊ありました。おまけでご紹介。
複雑さを科学する
米沢 富美子
岩波書店
岩波科学ライブラリーの1冊で、いわゆる「複雑系」に関する非常に初歩的な入門書。ちなみに、今回紹介した本で扱っている「コネクショニズム」も、複雑系の科学の一種です。(そのつながりで読みました)
とても読みやすい本でしたが、ちょっと中身が薄いかな? この本が初めて読む複雑系の本だったなら、もっと楽しめたんじゃないかと思います。
※その他のブックレビューはこちら。