2006年09月15日

妻のブログの話題、そして個人的な療育観について

昨日、妻のブログに不思議な記事がエントリされました。

私たちは夫婦でブログを書いていますが、相談して書いているわけではもちろんありませんので、お互いに相手の書く記事は皆さんと同様、「アップされて初めて読む」ことになります。
そんなわけで、先日の記事にはちょっと意表を突かれたわけですが(笑)、後でどういう趣旨だったのか聞いてみると、なんでも療育先のお母さんとの会話で、RDIの話題になったということらしいですね。
それで、その場でよく分からなくて家に帰ってみてみると、私の本棚にRDIの本があって、私のブログを改めて読んでみるとちゃんと書いてあった、ということで、ああいう感想を持ったということらしいです。

この件については、既に向こうのブログにいろいろなコメントをいただいているので私が書く必要もなさそうですが、私もコメントを下さっている皆さんと同じで、妻はよく勉強して実践してくれている、と思って、感謝しています。

今日は、この件をきっかけに、私の「自分の娘の療育」に対する療育観について書いてみようと思いました。
個人的な価値観を書いています。決して一般論ではありません。こんな考え方もある、程度に読み流していただければ幸いです。

RDIについては、確かに私は話題にしたことはなかったと思います。が、それは単に我が家では当面知る必要のない療育法だったからです。
実践する見込みがなくても、理論として面白ければ話したかもしれませんが、RDIは実践部分を除くとどちらかというとトンデモ理論に近いと考えているので、そういった意味でも話したいと思う内容がなかったわけです。

私は、妻にたくさんの療育法を知って欲しいと思ったことはありません。
毎日たくさんの課題を娘に課して欲しいと思ったこともありません。

そうではなく、妻も娘も、家族には、与えられた困難な環境の中でも、それでも最大限生き生きとストレスを感じずに毎日を過ごして欲しいと思っています。
これは甘やかすということではなく、シンプルにそれが私の仕事、ミッションだと思っています。お金を稼ぐことももちろん大切な仕事ですが、それも、ただ稼ぐだけではなくて、そのお金をそういう目的に最短で近づけるように「使う」というところまで含めての「仕事」だと思いますね。

(余談ですが、上記の私のミッションに対して、妻のミッションは「家庭を切り盛りすること、私がいない間の子育て・療育にベストを尽くすこと」だと考えています。ですので、私は毎日の家事については、特別の事情がない限り手伝いません。そのミッションを安易に他人に依存せずに責任感とやりがいをもってこなして欲しい、という気持ちがあるからです(私自身のエネルギーが有限だから、使うべきところに使いたい、ということもあります)。でもこれは、妻からすると「亭主関白で横暴だ」ということでよく愚痴を言われます(笑)。)

療育とは、この目標を実現するための生活スタイルそのものだ、と考えています。
ですから、療育する方もされる方も(よほど将来にプラスの見返りがない限り)療育が苦しいものであっていいはずがありませんし、療育することが、単に何かの成績が上がるということではなくて、家族全員の将来のより楽しい生活に少しずつ近づくことになっていなければならないと思います。

そんな長期の目標を達成するために知るべきこと、やるべきことは、実はそんなに多くないと思っています。
むしろ大切なことは、労力やストレスを増やすだけの、無駄なことや逆効果になることをやらないことでしょう。そして同様に大事なことは、ビジネスと同じで、「ぶれない大局観」と「柔軟な戦術」の両方を併せ持ち、療育全体に対して強いリーダーシップを(私も、妻も)持つことです。

私がいま療育に関して妻と話す内容は、「認知面での困難がある」というのはどういうことなのか(私たちにとっての「当たり前」を当たり前と考えない視点を持つということ)、ことばを使わずに子どもの行動に働きかけるにはどうすればいいのか(強化のしくみに基づいた子どもへの接し方を、生活時間のすべてにおいて徹底すること)、ことばがなくても子どもが自分の意志を社会許容的に伝えられるようにするにはどうすればいいのか(絵カードなどを使って子どもの自発的な意思表示を伸ばすこと)、この3つくらいでしょう。

この3つは、それぞれ、TEACCHの療育観、ABAの行動変容戦略、PECSのコミュニケーション戦術に対応すると言っていいと思います。
最初に書いたものほど「ぶれない大局観」に近く、後にいくほど「柔軟な戦術」に近いものです。「療育観」はこれまでも、そしてこれからも基本的には変わらないものであり、一方「療育戦術」は、娘の発達や個別ニーズの変化に合わせて柔軟に変えていく必要があるものです。

この2年くらい「療育生活」を続けてきて、娘もずいぶんいろいろなことができるようになりました。
とはいえ、まだことばもなく、知的な障害は「重度」のままで、怪しげな民間療法が説くような「劇的な改善」は望むべくもありません。
でも、娘は途方もない困難のなかで本当に頑張っていると思いますし、そのおかげで、私たちも落ち着いた精神状態の中で、ささやかな楽しみを享受する生活を維持できています。

妻も心配しているとおり、もしかすると幼稚園への入園に前後してひと山あるかもしれませんが、ぶれない療育観と柔軟な戦術、そして夫婦それぞれが持つミッションに全力を尽くすことで、きっと乗り切れると確信しています。

・・・今日は、超個人的かつ感傷的な内容になってしまいましたね。すみません(^^;)
posted by そらパパ at 22:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 娘の話 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そらまめママ、お偉いですよ。私は家事+一般的な子育て(普通のこと同じ部分)
+家庭での療育を一人で、できませんもの。(ちなみに我が家は5人のボランティアの方に週1-2回1時間ずつ自宅に来ていただき、療育を手伝っていただいています。いわゆるサンライズ方式です)
子供のためだけではなく、このボランティアで来てくださる方たちのおかげで私も孤立しないで済んでいます。そうでないと1日誰とも話さないなんでザラですから。
それでなくても言葉でコミュニケーションできない子供と暮らすのは結構くたびれますから、それプラス療育もご自分でされているそらまめママは本当に偉い!!と思います。
Posted by Gabrielle at 2006年09月15日 23:31
Gabrielleさん、

私も妻には感謝していますが、あまりおだてるとロクなことがないので、普段はあまり言いません(冗談です 笑)。

ちなみに、労力の消耗ということもあるので、我が家では課題をやるようなフォーマルトレーニングは毎日20分程度に抑えています。
それを補うということもあって、このブログでもお配りしている「おうたのDVD」を毎日通しで1時間ほど見せています。(いまだに興味を持って見ているのはすごいと思います。(^^))

仕事から帰った後の遊び相手は、もっぱら私ですね。最近は抱っこやおんぶして振り回す荒っぽい遊びが好きでいやというほどねだってきます。
Posted by そらパパ at 2006年09月16日 23:12
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