マンガ『心の授業』―自分ってなんだろう
マンガ『心の授業』セカンド―ホントの自分をとりもどせ
三森 創
北大路書房
この本は近くの書店に置いてあって、マンガで心理学というのが面白そうで立ち読みしたりしていたのですが、立ち読みだけでも「なんかおかしい・・・」と感じるものがありました。
でも、偶然「セカンド」の新刊時に新聞広告されているのが目にとまり、そこに書かれた「心の闇なんてない!」というキャッチコピーを見て、「そういえば似たようなセリフが『自閉っ子、深読みしなけりゃうまくいく』にもあったなあ」なんてことを思い出しているうちに、ブック○フで2冊で1000円で売っていたので、つい買ってしまいました。
せっかくなので、その「心の闇」の部分の抜粋から。
これは、「心をなきものにしようとする」悪の組織が「心の闇」という概念が広まっていることを喜んでいるシーンですが、この部分は実にスルドイ。
真ん中のコマで、「分からないものを分からないもののせいにする」というのが核心をついていますね。
安易な「お茶の間心理学」(この本で言われているように、テレビのワイドショーなどで「心理学」と称して語られる内容を指しています)は、このように目に見えない心的な概念を作って、ある行動の原因をその概念によって説明しがちです。この「心の闇」なんてのは、まさにその典型ですね。「じゃあその心の闇とはどんなもので、どんな情報処理がなされていて、どんな風に発達して、どう行動に影響を与えているのか?」と考えた瞬間に、この概念が実は何も説明していないことに気づかされます。(論理学的にいえば、「同語反復(トートロジー)」なのです)
(脱線しますが、いわゆる「スピリチュアリズム」などで言われる「霊魂」や「オーラ」や「守護霊」も、これとまったく同じで、何かを説明しているようで、実は何も説明していないのです)
ところが、この「心の闇」を否定するために登場する「正しい説明」が、これまたフロイト理論に基づいた自我論になってしまっているから話がややこしい。
うーん・・・これじゃ「同じ穴のムジナ」だなあ。
この本が書いていることは、簡単に説明するとこうです。
・心の奥に「自分」がある。
・「自分」のはたらきは「心を守る」「自分をまとめる」「人とやりとりする」の3つ。
・利己的な大人は、子どもの「自分」を弱めて利益を得ようとする。
・「自分」を鍛えて利己的な大人と闘おう。
恐らく、これで2冊の本の内容の90%を網羅できていると思います。そういう意味では非常に中身の薄い本だと言えますが、それはここではおいておきましょう。
より重要なのは、ここでまとめた本書の内容自体も、「分からないものを分からないもののせいにする」という、著者が「心の闇」で批判していることとまったく同じ失敗を犯していると言わざるを得ない、ということです。
「心って何?」という疑問も、「自分って何?」「自分のはたらきの中に『自分を』まとめるというのがあるのはおかしくないのか?」「自分を鍛える」というのは(何かを念じたり、決意を持ったりするんじゃなくて)具体的にどういう行動をすればいいのか?」という疑問も、どれもまともに解決されていません。
「心」を説明するのに「自分」という概念を使い、「自分」を説明するのに「心」を使っていたりと、本書全体が同語反復(トートロジー)になってしまっているようにさえ思えます。
その結果、上の写真のように「心の闇なんてない。『自分』がいないだけだ」という説明になるのですが、少なくとも私には、この説明で何かが説明されてクリアになっているとは感じられませんでした。
はっきり書いておきましょう。
本書は「マンガによる心理学の教科書」と書いてありますが、実際には「マンガによるフロイトの精神分析的な著者の仮説を説明した本」でしかありません。
この2冊の本を読んで、心理学的な意味で何か学ぶことがあるかと聞かれれば、正直にいって「まったくない」と答えるほかないと思います。
・・・いや、違いました。2つ学べることがあります。
1つは、「心の闇」に関する部分で、「分からないものを分からないもののせいにする」という、「お茶の間心理学」が陥りやすい落とし穴についての「気づき」を得ることができること。
そしてもう1つは、本書の内容そのものが、その「落とし穴」にはまってしまっているという、さらに一段上の段階の「気づき」を得ることができることです。
読みやすくて楽しいのは事実なので、心理学の本、ではなくて、ある種の精神世界の本として読むのであれば悪くないと思います。
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