そこで、会社の帰りに改めて大手書店を何か所か回ってみたら、見つかりました。
↑右が今回購入した日本語版、左が4~5回は読んだ原本です。
↑PECSのフェーズ1についてまとめたページ。写真まで含めて、原本とほとんど同じですね。
新宿の紀伊○屋書店には置いていなかったので、向かいのジュ○ク堂書店を覗いたら、ありました。やはり今日発売のようですね。
さっそく少し読んでみました。
内容の秀逸さは言うまでもありませんし、一般的な翻訳本という観点で見れば、十分分かりやすく訳されていると思います。
ただ、何しろ私にとって思い入れの非常に強い本でもありますし、4~5回は読み返した本なので、訳について多少気になるところもないでもありません。
まだ2章までしか読めていませんが、気がついたところを2点だけ書いておきたいと思います。
1. P16 2~3行目 「しかし、結果事象に時間的な遅れがある場合は」は恐らく誤訳です。より正しいと思われる訳は、「しかし、時間的に遅れて現れる結果事象がどのようなものであれ」です。(原文ではP13)
2. P11、17~18、20などにある「モード」や「モダリティ」は、特段の説明なくカタカナ語に直訳されているので、かなり分かりにくいですね。ここで言われている「モダリティ」というのは、音声言語や手話や絵カードといった、コミュニケーションの「現れ方」「やり方」を指しているので、ここは単純に日本語で「様式」と訳してしまったほうが分かりやすいように思います。
これらは否定的に書いているのでは全くありません。
むしろまったく正反対で、この非常に重要な本を、できるだけ多くの人に最も分かりやすい形で読んでいただけるために、余計なお世話を焼きたい、という気持ちです。(せっかく原文を読み込んだということもありますので)
このまま本書を最後まで読んで、レビューと同時に上記のような「より分かりやすい訳・より分かりやすい読み替え」についても、独断でご紹介できればと思っています。
ご参考:Amazonではいまだに買えませんが、楽天ブックスでは既に扱っているようです。
通販での購入をご検討されている方は、こちらもぜひご活用ください。
注文しましたよ!今回はしっかり勉強して実践にうつしていきたいと思います。
最近、今まで「好きだったこと」があまり好きじゃなくなってしまったようで戸惑っています。
水遊び、プール好きだったのに、子ども用のプールでみんなで遊ぶ場面も避けようとするし、大きいプールも今まで喜んで入っていたのに抵抗されてしまいました。何があったのでしょう?何を考えてるのかまったくわかりません・・
今回の件についてもご自身のブログにかかれていたので、ちょっと覗かせていただきました。
もし、本当に「水遊びが嫌いになったかどうか」を知りたければ、一人で静かに水遊びができる環境を作って、どんな反応を示すかを確認する必要があるでしょうね。
それで、楽しく遊ぶようであれば、友達とかかわることに苦手意識か何かがでてきているのかもしれません。
と、きょうは横浜で花火でして、マンション敷地内の庭で見ようと出て行きました。
他の知っているお子さんが近寄ってきたら、(そのとき既に靴を脱いでしまって履かせようとする親との格闘で不機嫌だった)やっぱりのけぞって大泣きしていました。おそらくですが、自分に対して「しゃべってくるお子さん」が苦手なように思うのです。月齢の小さい知ってるお子さんにあっても、「のけぞって大泣き」はしなかったので。そういえば、最近、K君もおしゃべりが上手になってきました。前は本当にあまりしゃべらなかったので。
対処どうしたものですかね・・あまり会わないようにするのは得策なのでしょうか?
私も結構辛い立場です。ふぅ・・
普通の子どもにとって、「話す」ということの威力がどんどんパワフルになっていけばいくほど、そうでない子どもにとって「話される」ということがむしろ恐怖につながっていくということはあるかもしれません。
例えば私たちが、まったく言葉のわからない外国の酒場のテーブル席にむりやり座らされて、酔っ払いたちに囲まれた状態を想像してみてください。「話し掛けられること」や「話で周囲が盛り上がっていること」それ自体に恐怖を感じますよね。それに近いように思います。
ただ、それに対して、「どう対処するか」は、marineさんの価値観にかかっていると思います。これは、それこそ統合教育か特殊教育かという大難問と同じで、正解は1つではないし、ネット越しの不十分な情報から判断できるようなことでは絶対にないように思います。