最近、娘は「叱られる」ことに対して、とても敏感になってきたように思えます。
かつては、こっちが何を言ってもまったく理解できない様子で、叱っても行動には何の変化もなく、仕方なく実力で阻止するとパニックを起こす、といった感じだったのですが、最近は、「メッ!」と叱ってやっていることをさっと中断させると、叱られてやめさせられたのが分かるようで、口をへの字に曲げてべそをかき(ここでよく鏡に飛んでいってべそをかいている自分の顔を確認するのが面白いですが)、時には母親に抱きついて気を落ち着かせてから、1分もすると何事もなかったように別のことを始めるようになりました。
これが「いい傾向」なのかどうかは確実には分かりませんが、制止のメッセージが伝わることは、危険な行動をコントロールするという点では間違いなく意味があると感じています。
いずれにせよ、「叱る」ということはそれ自体とてもデリケートなことですし、特に相手が自閉症児だということで、娘の「叱りかた」には特に気をつけなければならない、と感じています。
今回は、そういった「自閉症児の叱りかた」について、私が考えていることを書いてみたいと思います。
子どもというのは、元来、いろいろなことをする存在です。
それは、環境に対して試行錯誤することで学習を進めていくという、発達のためにとても重要な行動だと考えることができます。
発達とは何かを一言でいえば、「ヒトを含めた環境との適切な相互作用を学習していくこと」に他ならないのです。
ですから、「いろいろなことをする」「何でも手を出す」といった、探索行動そのものを抑制することは避けなければならないと思います。
例えば、道を歩いていて、わざと道の悪いところや水たまりを踏んで遊んだり、街路樹の枝を拾ったりといった行動は、まさに「子どもにとって必要な探索行動」だと考えることができ、そういった活動に興味を持っていること自体は、抑止するよりもむしろ伸ばしていくべきものだと言えるでしょう。
もちろん、そうはいっても、子どもの困った行動・危険な行動をやめさせなければならないという状況も、しばしば起きてきます。
ただここで、叱る相手が自閉症児である場合、普通の子どもと同じような感覚で直感的に「叱る」ということは、往々にして「望ましくない結果」をもたらすことがあるのです。
ここで考えている「望ましくない結果」というのは、叱っても言うことを聞いてくれない、といった短期的なものに限らず、中長期的に見た場合には次のような影響も含まれます。
・パニックが増える。
・脱走癖がつき、さらに脱走先で問題を起こす。
・目が合わなくなり、ことばが一層遅れる。
「不適切な叱りかた」がなぜこのような結果を招く可能性があるのかについては後で改めて書きたいと思いますが、その前に、なぜ自閉症児は「叱る」のが難しいのでしょうか?
これは恐らく、健常児の場合、「叱られた」という目の前の結果とそれを取り巻くさまざまな「周囲の状況」をうまく組み合わせて適切に行動を修正していけるのに対して、自閉症児の場合は環境から情報を取り出すのが苦手なために、「叱られた」ということから、より純粋に学習してしまうからだと思われます。
つまり、健常児であれば、どんな風に叱っても修正のマージンが大きいため、結果オーライで問題が起こりにくいのに対して、自閉症児の場合には「どのように叱るか」がストレートに結果の良し悪しにつながりやすい、ということを意味しています。
自閉症児を「叱る」ことは、とてもデリケートで慎重さを要求されることなのです。
次回からは、「叱る」ということが持つ意味をABAの視点から再考し、自閉症児を「叱る」ときに気をつけたほうがいいと思われることを、私自身の経験も交えながら考えていきたいと思います。
(次回に続きます。)
ほんっと、叱り方って難しいですよね~
健常児でも難しいと思いますが、自閉症児はなおさらです・・・
家の場合は、こちらの言ってる言葉の理解も出来ないので、本当に危険な時は、おしりをたたいてでも、叱りとばしました。
道路や駐車場では、下手に大声を出して追いかけると、面白がって逃げるし・・・(本人は、追いかけっこしているつもり)
それ以外の危険ではないシーンで、どうしてもして欲しくない事を繰り返す時、以前は、手をたたいて、叱っていましたが、そのときは、怒られたって顔をするのですが、やっぱりまた繰り返すので、手をたたいても解らない子に、たたくのはかわいそうだと思い、最近は手をたたくのはやめにしました。この先の記事が楽しみです。
ABAの理論によれば、「叱る」というのは実は思ったほど効果のない行動コントロール法です。
また、「叱る」ことにはいろいろな良くない副作用もあります。
このシリーズ記事ではその辺りをまとめていきたいと思っていますので、よろしければごらんください。
ただ叱るという行為が罰であるというのには問題があります。叱った結果その行動の自発頻度が下がったときにのみそれは罰となるのです。
わたしのところの学生の多くにはわたしがしかると言う行為は罰にはならず、同等の行動を多発することがおおいのでわたしは拮抗反応を強化することに努めています。
叱ることはいけないとわかりつつも、実際育児をしていると、いつも笑ってばかりもいられません。
「ダメよ」とは言わなくなりましたが、「やめて」と私は言うことが少し増えました。
また、飲み物カードを持ってきても、量が多すぎて飲みすぎと判断した場合、ナイナイといいますが、聞き分け場合は怒った顔をして「終わり」を強調します。
これは罰にあたりますかね??
自分でもよくわからないのですが、メリハリって必要だと思うのです。子供の言いなりでは絶対いいわけないですし・・
難しいです。
確かにおっしゃるとおりです。
分かりやすさのために多少妥協しつつも、できるだけ正確な表現で書こうと思っていますが、書いているとどうしてもその辺りが混ざってしまうときがあります。
今後もできるだけ気をつけるようにしようと思います。
marineさん、
カードを持ってきても欲しいものを与えないのは、罰というよりは消去のほうでしょうね。
カードでの要求に応えたくないときのやり方は、「自閉症児と絵カードでコミュニケーション」に詳しく出ています。
いくつか方法があるのですが、我が家では要求してもあげないカードはNGコーナーに貼り付けています。
(シリーズ記事のPECS-我が家で実践の3.を参照ください)