心の輪郭―比較認知科学から見た知性の進化
著:川合 伸幸
北大路書房
序章 心の輪郭
第1章 知性の多様性
第2章 生まれもった行動パターンと経験によって行動を調整する能力
第3章 学習能力の進化的・発達的起源
第4章 陸に上がった動物たちの認知―情報の取捨選択
第5章 脳と知性の共通化?
第6章 サルとチンパンジーとヒトの情報処理様式の違い
終章 これまでとこれから
認知科学の本はものすごく当たり外れが激しいという印象がありますが、これはなかなかの「当たり」。意外なところに自閉症の話題も出てきます。
比較認知科学というのは、ヒトを含む動物の、学習や記憶といった情報処理・環境への適応のやりかたを比較検討することによって、知性とはどのような構造をしていて、どのように進化してきたのかを解明しようとする学問です。
http://www.cog.human.nagoya-u.ac.jp/~kawai/
参考リンク:名古屋大学 川合研究室(著者の研究室)
本書は、このような比較認知科学のアプローチによって、タイトルにあるとおり、心・知性の「輪郭」を描き出そうとする試みです。
ここで、「輪郭」といっているのは、「中身」の対語として考えられています。
通常の心理学が、主にヒトを対象とした実験によって、心の「中身」を研究するのに対し、本書のアプローチは、原生動物、ラット、チンパンジーからヒトといったさまざまな動物における「学習」にどのような共通点と相違点があるかを体系的に比較することによって、我々が「知性」と呼んでいるものがどのような要素と構造からなっており、それが進化の過程でどのように変化してきたかを探るというものです。
したがって、本書の前提にはダーウィン進化論の考えがあり、知性とはヒトだけでなく、環境に適応するという意味においてはあらゆる動物が持っているものであり、「知性」も進化のものさしに乗った連続的なものと考えます。
その上で、ヒトだけが持っている「賢さ」とは何かをさまざまな動物との比較の中で考えるわけですね。
この考え方にかなり近い本を、以前ご紹介したことがあります。
進化論とアフォーダンス理論との関係について書かれた「知性はどこに生まれるか」ですね。
本書は、この「知性は・・・」を読んで、動物とヒトの知性の関係に興味をもたれた方には特におすすめできる本だと思います。
さて、こういった進化に関する本と自閉症療育とは関係があるのでしょうか?
実は、「発達」と「進化」というのは親戚のようなもので、ヒトは発達の過程で進化の過程をなぞって大人になっていく部分がけっこうあるのです。
自閉症は「発達障害」の一種であり、自閉症を考えるときに発達心理学などの研究成果に触れることには大きな意味があります。例えば、自閉症児にどうやってことばを獲得させるかを考えるときに、健常の赤ちゃんの言葉獲得を研究することは極めて重要なことです。
そして、認知の「発達」について考えるとき、「そのようなヒトの認知は、そもそも進化の過程でどのように獲得されてきたのか?」という問題に目を向けることは、ヒトだけを見ていては分からない新たな知見や、問題解明へのヒントを与えてくれる可能性があるのです。
例えば本書では、アメフラシのような軟体動物を使って、たった3つの神経細胞で古典的条件付けが学習できることが示されたり、ウサギの学習がどのような脳神経回路によって実現されているのかが具体的に示されたりしています。
これは、「強化」や「消去」といった理論の骨格をなす要素でさえ、その仕組みには興味を向けず、天下り的に扱いがちな行動分析学(ABA)とは、同じ行動科学的な学習へのアプローチでも思想がまったく違います。
これは、自閉症の療育を考えるときも、自閉症の原因は考えずに(余計な仮説は増やさず)療育法を構成するABAと、原因についてさまざまな仮説をおき、それを前提に療育法を構成していく他のアプローチの差として出てきます。
どちらにも良し悪しがありますが、私はできれば後者の認知科学的なアプローチで自閉症療育に取り組んでいきたいと思っています。
そのためには、「発達」のみならず、「進化」の研究にも注目していく必要があると思っています。
さて、本書には2か所に自閉症に関する話題が出てきます。
1つは、例によって心の理論に関する部分で、ヒト以外の生き物が心の理論を持てないのは、その問題の「複雑さの階層」が、動物が情報処理できる限界を超えているからではないかという仮説が示されています。
これは他の本には見られないユニークな着眼点で、自閉症児の心の理論の問題にも応用できるかもしれません。
もう1か所は、環境へのシンプルな相互作用を示すロボット「インファノイド」に対して、ある高機能自閉症児が非常に強い関心を示し、長時間かかわり遊びをした、という話題です。
これは、自閉症児にシンプルな相互作用を持つ存在(例えば、動物)とのかかわりを持たせることがコミュニケーション療育につながるのではないか、という私の仮説とも符合する話だと思いました。
本書はとても読みやすく、最新の研究成果に気軽に触れられる好著だと思います。
※その他のブックレビューはこちら。
補足:動物に関する本では、最近これも読みました。名作といわれている本ですが確かに面白かったです。
ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学
著:本川 達雄
中公新書
「動物」が療育にいいのは最近とても実感していす。
我が家には愛犬がいますが、以前はさほど興味も示さず、触らせようものなら、嫌がっていたのですが、最近は「呼んできて~」というと頑張って触ろうとします。また犬のぬいぐるみにも非常に興味を示すようになり、私が「ワンワンワン!ワンワンワン」というとそれにあわせてぬいぐるみを走らせるしぐさをします。
以前には絶対にしなかった動作だけに進歩を感じます。
今日はついに犬の名前まで呼んだのです。
びっくりなのは親のほうですが、この様子を見ていてあることを思い出しました。
そういえば、他のお子さんで当時1歳半ぐらいのときに、そちらで飼っている犬の名前をよく言うし、よくかまおうとする話を聞いたので調度そういう感じなのかなと思いました。
プールの件は、他のお子さんとはどうも因果関係はないようです。親だけでプールに行っても、結局流れるプールはとても嫌がるし、プール自体が嫌になったようです。
しばらくお預けで行き場がないです。^^;
今日は、「バナナ」と「おりこうさん」
と本人が言いました。バナナを指差して食べたそうだったのでバナナだよというとバナナ!と発音はいいとはいえませんが、バナナと聞こえました。「おりこうさん」は褒めて場面で私が「おりこうさんだね」というとつられて「おりこうさん・・」と言っていました。これがオウム返しってやつでしょうか?ただ、忘れやすい子なので明日は言うかどうかわかりませんが、とりあえずいいことがあった?一日でしたよ。
そうですね、それがおうむ返しとか、ABAでいうとエコーイックとか言われる反応ですね。
おうむ返しそのものはコミュニケーションとの直接つながりは薄いですが、将来的な音声言語の発現のためにはとても重要な発達過程だと言われているようです。
ただ、偶然言ったようなことばは強化しつづけることが難しいので、維持できるかどうかにはあまりこだわらなくてもいいと思います。
ただ、そういう「出ては消える」ことばの総数を維持することと、意味のあることば(コミュニケーションに使えて、強化しつづけることもできることば)は意識して強化してあげることが必要だと思います。
先日はトラックバックもいただき、ありがとうございます。
当事者の方のお話というのはとても興味深いです。
ちなみに、本書ではいわゆるシンプルな「心の理論課題」のクリアに必要な階層数は4階層、チンパンジーが理解できる階層数は最大3階層なので、チンパンジーは心の理論課題をクリアできない、といった話題が書かれています。
他人の考えていることを、自分の心の状態から離れて推論できない、というのも、ここでいう2~3階層の段階に留まっている状態だと考えられますね。
ともあれ、この辺りの本書の指摘は、分かるようで何を言っているか実ははっきりしない「心の理論」を、ずっとシンプルな「思考の階層」という概念におきかえて説明しているという点でとても興味深いものです。