アンディ・ボンディ先生の特別講義にまつわる話題、今回で一応最後になります。
今回の内容は、療育の実践において、非常に重要なポイントだと思われます。
というのも、療育のステップの中では、長い時間をかけずにできるだけ早く終わらせるべきものもある、という、私たちの一般的な常識とは逆をいくアドバイスだからです。
ここでもう一度、先日の「PECSフローチャート」を見てみましょう。
①マンド/タクト
子どもが欲しがるものを見せながら、絵カードを渡す訓練をする。
②マンド
実物が目の前にない状態で、欲しいものを絵カードで渡す訓練をする。
③イントラバーバル/マンド
「何が欲しいの?」という問いに絵カードで答える訓練をする。
④イントラバーバル/タクト
「何がありますか?」という問いに絵カードで答える訓練をする。
⑤タクト
子どもが自発的に絵カードで「○○があります」と表現する訓練をする。
ボンディ先生が強調していたのは、①から②、あるいは④から⑤への移行は、できる限り速やかに移行すべきで、①や④の段階に長くとどまることは、自発的で適切なコミュニケーションを伸ばすためにはむしろ有害である、ということでした。
確かに、PECSのカリキュラムを見ても、①と②はフェーズ1、④と⑤はフェーズ6
という1つのフェーズの中にまとめて押し込まれていて、「A Picture's Worth」でも、「できるだけすぐに移行する」といったアドバイスが書かれています。
これは、本来のコミュニケーションにとって余計な要素は、たとえ療育の場面でもできればないほうがいいし、どうしても必要な場合もできるだけ早く取り除くべきである、そうしないと療育する側にとって望ましくない反応が形成されてしまうリスクがあるからなのです。
例えば、PECSのフェーズ1で、①から②に移行するシーンを考えてみます。
①というのは、欲しいものをチラチラ見せながら、それに手を伸ばそうとする子どもの手をすかさずカードの方に持っていって(プロンプト)、「欲しいものを手に入れるために渡す」という行動を形成するステップです。
そしてPECSでは、できるだけ早く、欲しいものがなくてもカードを渡せる②の段階を目指します。
ここで、①を必要以上に長く続けてしまったら、どうなるでしょうか?
そうすると、「欲しいものが提示されたら絵カードを渡す」という行動が学習されてしまう可能性があるのです。
本当に教えたいのは、この行動ではありませんね。「何か欲しくなったら絵カードを渡す」です。この2つの行動は、似ているようでまったく違います。
問題なのは、一度絵カードを「提示されているものと交換するためのものだ」という誤った形で学習してしまうと、内的な欲求として「欲しい」というときに絵カードを使うという行動をむしろ阻害してしまう恐れさえある、ということです。
もう1つ、ボンディ先生が出していた別の例でも考えてみます。
「これまでの方法」では、比較的初期のステップとして、音声模倣=エコーイックから、「これなあに?」という質問に答えるイントラバーバルに移行するという手順があります(以前紹介したチャートの②~④あたり)が、ここでエコーイックを長くやりすぎると、イントラバーバルへの移行が難しくなります。
つまり、他人が言うことばは模倣するものだ、という、応用の効かない狭い学習が成立してしまうことで、「これなあに?」という質問に「これなあに?」とおうむ返しすることしかできなくなり、それ以上の学習の発展を阻害してしまうことになる可能性があるのです。
「余計な手がかりをできるだけ与えない」という基本戦略のは、PECSの他のシーンでも適用されます。
例えば、マンドを教えるフェーズ1~3においては、「何が欲しいの?」と子どもに尋ねることはしません。なぜなら、これをやってしまうと、イントラバーバルという余計な要素が追加されてしまうからです。
また、フェーズ5で上記③の「イントラバーバル/マンド」を教えるときも、絵カードで「何がほしいの?」と聞く(具体的には「I want」相当のカードを見せる)ときは、絵カード対絵カードのイントラバーバルを成立させるために、あえて声で「何がほしいの?」とは聞かないようにするわけです。それをやってしまうことは、「余計な学習の手がかりを与えてしまう」可能性があるからです。
もちろん、その手がかりがなければ訓練が進まない、という状況に直面したときは、本来余計なものであっても、導入することには必然性があるといえます。
大切なことは、本来不要な手がかりは、できるだけ早期に取り去ることです。そうしなければ、自閉症児はしばしば、その「本来不要な手がかり」だけを学習の手がかりにした学習を成立させてしまうのです。