ロボットの心―7つの哲学物語
柴田 正良
第0章 プロローグ―サラの話
第1章 チューリング・テストpart1―ゆるやかな行動主義
第2章 チューリング・テストpart2―意味なき会話
第3章 中国語の部屋
第4章 フレーム問題
第5章 コネクショニズムって何?
第6章 感情とクオリア
第7章 エピローグ―クオリアと善悪
毎回、出張のときに持っていく本には、多少のテーマ付けを持たせています。
そのテーマですが、最初のニューヨーク出張のときは「心理学の哲学」、前回の韓国出張のときは「アフォーダンス」、そして今回は「コネクショニズム」でした。
本書は、コネクショニズムに近い哲学者である著者が、「ロボットに心が持てるか?」という問いに、「多分、持てる」という立場からさまざまな考察を重ねていく本です。
それって自閉症に関係あるの?という質問が(いつものように)きそうです。
ちょっと遠回りな話になってしまいますが、私にとっては切実なくらい、関係があります。
実は、コネクショニズムの立場から書かれる哲学書というのは、哲学という体裁を取りながらも、実は限りなく「認知科学」に近い内容が書かれています。本書も、哲学書というよりは、むしろ科学啓蒙書として読んだほうがいいようにさえ思います。
コネクショニズムというのは、何でしょうか?
以前、別の本のレビューで書きましたが、脳の働きを、コンピュータのような「プログラムに基づいて動作する計算機」としてではなく、膨大な数の単純な入出力ユニットが同時に信号を交換し合うような「超並列ネットワーク」として捉えて、心や思考について考える立場のことをいいます。
ユニークなのは、この「超並列ネットワーク」は、「ニューラル・ネットワーク」として、コンピュータ上でシミュレーションする方法が確立しているという点です。コンピュータシミュレーションの結果から、脳がどんな風に動いているかを逆に考察する、といったことができるわけです。
本書は、「哲学物語」と称される、各章ごとのSF的なショートストーリーをきっかけに、心とは何か、「考える」とは何か、「ことば」とは何か、「意味」とは何か、といった哲学的考察が重ねられ、本書の一義的なトピックである「ロボットは心が持てるか?」という問いに対する下準備がなされます。
実は、上記で書いたような「問い」は、哲学入門書の名著と言われ、当ブログでも以前レビューした「哲学の謎」で問われているものと重なっています。
本書は、「哲学の謎」の次に読む本としても面白いと思います。
続いて、脳と心の問題(心脳問題)を考えるにあたって避けられない、「フレーム問題」や「感情とクオリア」の問題が考察され、その中で、著者の立場である「コネクショニズム」の考え方についても詳しく解説されます。
そして、最終章で語られる、「ロボットに心が持てるか?」という問いにとっての(著者が考える)最後の難問、それは「ロボットは善悪を感じる(倫理を持つ)ことができるか?」というものでした。
哲学入門的要素あり、認知科学入門的要素もあり、そしてSF的なロマンティシズムもあり、知的好奇心を刺激する楽しい読み物として読めると思います。
・・・さて、例によって最後に、本書と「自閉症療育」がどう関係するのか?について、私の考えるところを書いておきたいと思います。
勘の鋭い方ならお分かりだと思いますが、「ロボットに心が持てるか?」という問いは、「心とは何か?」という問いとほとんどイコールであり、それはさらに「心を育てるにはどうすればいいのか?」という問いにつながります。
「自閉症児の心を育てる」(どっかの本にありましたね)といっても、実は、「心ってなに?食べられるの?(笑)」という問いにまともに答えないままで、よく分からないものをイメージだけで育てようとしていると言えないでしょうか?
だからこそ、「心って何?」ということを真剣に考える哲学に触れることは、それだけでも意味があると思うし、特にコネクショニズムは、「心とは(脳のしくみとは)こんなものです」、あるいは「こんな風にいじるとこうなります」という姿を、コンピュータの上に具体的に見せることができるという大きな力を持っています。
幸運にも、私は大学時代にコネクショニズムに基づいた心理学についても勉強しました。この経験、この方向性が、いつか自閉症の療育に役立つのではないかという期待を持っています。
自分が持っている、自閉症に切り込んでいけるかもしれない「武器」をさらに研ぐために、コネクショニズムの本を改めてじっくり読み始めているというわけです。
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