2006年07月19日

PECSフェーズ4問題の「答え」

かなり前にも書きましたが、PECS(絵カード交換式コミュニケーション療育法)では、フェーズ3から4に移行する際に、これまで1枚のカードで済んでいた要求表現を、わざわざ複数のカードと「センテンス・ストリップ」を使わなければならないように「ルール変更」します。

このように、同じ結果(リターン)を得るための行動(コスト)がただ増えるというのは、コミュニケーションとしてはむしろ「退化」なのではないか、ということがずっと気にかかっていて、当ブログでもフェーズ4以降については十分に書けていませんでしたし、我が家の療育としても、フェーズ4に進む代わりに、スケジュールに移行することを選択しました。

そんなわけで、この問題については永らく塩漬けになっていたのですが、先日、PECSの創始者であるアンディ・ボンディ先生の講義を受ける機会があり、この疑問について直接本人に聞くという非常にラッキーな経験ができたので、まずはその結果をまとめるところから、この「PECSフェーズ4問題」を改めて考えなおそうと思います。

最初にこの質問を投げたときの彼の回答は、「マンドとタクトを区別できることがリターンだ」というものでした。

つまり、(通常の幼児のことばと同じで)カード1枚のみというのは「一語文」に相当し、例えば「りんご」と言う、もしくはりんごのカードを出す、というのは、「りんごが欲しい」というマンド(要求のコミュニケーション)であることもあるし、「りんごがあるよ」というタクト(叙述のコミュニケーション)であることもあります
これら2つは、もちろん一語文でも表現できますが、違う内容を持ったコミュニケーションに対して同じ方法を使うことは、時として相手に誤解され、コミュニケーションに失敗することを招きます。
その2つを明確に使い分けられるようになることで「誤解されることがなくなる」というのが、子どもにとって、1枚のカードではなく複数のカードを使うことのメリット、つまり「リターン」だ、ということです。

私は、この回答で、一点については納得し、別の一点について新たな疑問が生まれました。

「納得した点」というのは、複数のカードを使うことの主目的はあくまで「マンドとタクト」の使い分けにあって、PECSのフェーズ4で多少強引に導入されている「属性を追加すること」は副次的なものだ、ということが分かった点です。

「疑問に思った点」は、PECSを学んだ方はご存知のとおり、タクトを教えるのはフェーズ6であって、フェーズ3や4の段階ではタクトは教えません。教えていないのだから、タクトをPECSで表現する行動はこの段階では出ていないはずで、そもそも指差しを含むタクト的な行動に乏しい自閉症児にとって、まだ教えてもいないタクトが表現できる、ということだけでは、カード1枚からセンテンスストリップに移行する十分な動機づけにはなりえないのではないか、ということです。

そこで、続けて、ボンディ先生に上記の「疑問に思った点」も重ねて聞いてみました。
彼の回答は、とても率直なものでした。

「確かにそういう面はある。それでも、将来タクトが自由に表現できるようになるための準備段階として、複語文の表現方法をどこかの段階で教えなければならない。(それが、フェーズ4だということだ)」

私はこの回答を聞いて、素直に納得できました。
つまり、フェーズ4での複語文への移行は、少なくともこの段階では、子どもにとっての必然性ではなく、療育する側にとっての必然性なのだ、ということがはっきり分かったからです。

この質問を通じて、私が理解したPECSの複語文とフェーズ4についての考え方はこうです。

・もともと疑問を持っていたとおり、PECSを初期に教えた段階で自閉症児が表現できるのは「マンド」(要求の表現)だけであり、フェーズ3から4の段階で複語文をどうしても導入しなければならない「必然性」はない。

・でも、PECSは単なる「欲しいものカード」ではなく、音声言語と同等のバリエーションを持ったコミュニケーションツールとして導入するものだから、最終的にはどうしても複語文に持っていく「必然性」がある。

・この2つの矛盾する「必然性」を交わらせるためには、どこかの段階で多少無理をしてでも複語文を教えなければならない。

・現在のPECSのカリキュラムでは、それが「フェーズ4」にあたる。


うん、すっきりした。これなら納得できます。

今後、当ブログでも、今回の理解に基づいて、PECSのフェーズ4以降についても考察と実践方法について書いていきたいと思います。

今回の特別講義では、上記以外にもいくつかPECSについて重要な気づきと学びがあったので、それについても順次書いていきたいと思います。
posted by そらパパ at 22:35| Comment(13) | TrackBack(0) | 実践プログラム | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なるほど。私もスッキリしました(笑)。
私も以前、TEACCHの先生にPECS導入を検討することをすすめられたとき、フェーズ4でいきなり敷居が高くなり、しかも唐突な感があることを疑問に感じました。
そのとき「I want」に相当するのが、手の形の「ちょうだい」カードでしたが、(日本語と英語の文法の違いもあるのでしょうが)これを使って2語文を教えるのには無理を感じます。さらにフェーズ5では、この「ちょうだい」カードを子供に見せることが「何が欲しいの?」という質問に相当することになる(しかも音声による質問なしに)というのは、さらに不自然に思いました。

内的言語が育っていない子供に2語文以上の文章(文法の概念)を教えるのは、それが音声言語であってもPECSであっても困難なことには変わりないと思います。
PECSが威力を発揮するのは、「内的言語がある程度育っているけれど、それを音声で表出するのが困難」な場合だと思います。

(いつも思いつくままに書いているので、とりとめなくてすみません)
Posted by pompoco at 2006年07月20日 11:26
この壁の意味..娘と暮らしていてよくぶちあたります。音声言語がある娘なのですが言葉に頼ると意識とは違っていたりよくします(^^;)娘をあらかじめ理解してる方になら伝わるコミュニケーションでも壁があったりします。文章に出来ない意志 説明出来ない自分の気持ち みたいなものが今また渦巻いています。
早い時期にフェーズ4を取り組んだほうがいいですね。
Posted by みのぱん at 2006年07月20日 11:58
pompocoさん、

フェーズ4には、PECSがマンドのみならずタクトまで教えようとするところから来るある種の「歪み」が集まっていると思います。

ただ、今回の記事では書ききれませんでしたが、ボンディ先生の特別講義の中で、なぜフェーズ5で「何が欲しいの?」という質問になり、続くフェーズ6でタクトを教えるという流れになっているのかについても、非常に興味深い話を聞くことができました。
また、なぜそこで音声を使わないかについても話がありました。
その辺りについても、おいおい書いていきたいと思っています。

それと、内言語とPECSの関係については、私は少し違う考えですね。
PECSは内言語が育っていない子どもにこそ効果があるのではないでしょうか? 特にフェーズ3までのマンドを教える部分では、そういった「ことば」がまったく育っていない子どもでさえ、何かが欲しいという欲求さえあればコミュニケーションが始められるというところに、PECSの素晴らしさがあると考えています。
ただ、フェーズ4以降については、確かに内言語的な意識が育っていることが求められるかもしれませんね。


みのぱんさん、

ことばが出ていても、その「ことば」が正しくコミュニケーションに使われにくいということが、まさに自閉症の症状の一つになっているくらいですから、「ことば」が出ているからといって安心せずに、いろいろなコミュニケーション支援を加えながら子どもと接していくことが重要なんだと思います。
PECSは、私の娘のようにことばが出ないこどもに、コミュニケーションとはこんなものだ、コミュニケーションすることは意味があるんだ、と気づかせるという点で非常に有意義な療育方法だと思っています。
こどばが大きく遅れている子どもの場合、そういう「気づき」があって始めて、「ことば」方面の発達スキルのスイッチが入るんじゃないかな、と思っています。
Posted by そらパパ at 2006年07月21日 01:06
bergovestです。すみません。ボンディ先生回答のページを見つけました。
私の実感は、案ずるより産むが安しです。
フェーズ4は思ったよりスムーズに移行しました。しかし、属性や、とりわけ6が難しいというのが実感です。
というか、形式だけ4に移るのはそんなに難しくないのですが、内容的に抽象概念である属性や、タクトに移っていくのは、おっしゃるように認識の成長発達が必要です。でも、形としては二語文ができています。だから、属性や6に移行していく「プラットフォーム」ができているのです。だから、4に移るのは、ご心配になっているほど困難な状況にはならないというのが、私の実感です。
失礼しました。
Posted by bergovest at 2006年11月23日 18:29
bergovestさん、

「やってみたら意外とうまくいった」ということはきっとあると思います。
そうでなければ、ボンディ先生もフェーズ4以降を違う形に仕上げていたでしょうから。

ただ、私がこだわっているのは、フェーズ3から4への移行は、認知心理学(というか、私の場合はコネクショニズムですが)から導かれる学習の基本的法則に反しているように見える、ということです。
例えば、我々が英語を学んでいて、ある日突然、「これまでの文法は間違いなので、今日からは同じ意味を伝えるのに違う文章を書かなければいけません」と言われたら、何それ?と思いますよね。
その部分のモヤモヤをクリアにできなければ、少なくとも私はPECSのフェーズ4以降を「万人におすすめする」ことはできないと感じているのです。

(ですから、この記事で「すっきりした」と書いているのは、ボンディ先生の意図がわかったということであって、フェーズ4のやり方が正しいと分かったということではないのです。)
Posted by そらパパ at 2006年11月23日 22:57
いまごろ、ここへのコメント失礼します。

うちの子も言葉がなく、現在フェイズ5あたりです。
属性語はまだ教えてません。
つまり、マンドを2語文に強制的に替えたところです。


コメントの最後に書かれている
「ですから、この記事で「すっきりした」と書いているのは、ボンディ先生の意図がわかったということであって、フェーズ4のやり方が正しいと分かったということではないのです。」
のところで、教えていただきたく、メッセージさせていただきました。

教えていただきたいのは
フェイズ4以降の教え方で、そらパパさんが考えるところの、正しいと思われる方法とは
どんなものなのでしょう。

我が家にとっては、とってもタイムリーな話題だったので、コメントさせていただきました。

ぜひ、考えをお聞かせください。
よろしくお願いいたします。
Posted by カトリック at 2009年10月25日 05:50
カトリックさん、

コメントありがとうございます。

難しい質問ですね。
この記事以降、実際にはこの問いに対する私なりの「答え」というのは、実際には書いていません。

方向性としてはあるのですが、具体的に「こうしましょう」というところまで行っていないので、書けないという感じです。(我が家の娘の場合は、フェーズ4以降は「音声言語でやる(あまり重要でないということもあるので、娘が自主的に発話してくる範囲内で支援する程度)ということで解決しています)

ちなみに私が考える「フェーズ4以降」の基本的な方向性は、「フェーズ1~3の1語文を残しつつ、拡張していく」です。

そのためには、たとえば、

(1)絵カード1枚の場合はマンドを表すことにして、タクトの場合だけbe動詞に相当する絵カードとあわせて2枚で表現する。

(2)フェーズ1~3のときに最初から横長の「対象物」+「ください」という2語文相当の絵カード(つながっている)を使って、フェーズ4でそれを切り離す、またはタクトの場合は「ください」の部分に「あります」の絵カードを重ねることを教える。

といった形での「変形」が必要なんじゃないかな、と思っています。

ともあれ、PECSはパテント的なものもある特定の教えかたであって、部外者が勝手に「こう変えればいい」などと言うと問題になる可能性もあるので、上記はあくまでも「私個人の考える絵カード療育のアイデア」だということでご理解いただければと思います。
Posted by そらパパ at 2009年10月25日 21:44
そらパパさん
いつも勉強させてもらっています。

アンディさんの「マンドとタクトを区別できることがフェーズ4のリターンだ」とおっしゃっていたのには、少し驚きました。私はフェーズ4はタクトを考えに入れなくてもコミュニケーションを教えるのに自然な流れであると考えていたものですから。

私はフェイズ4もフェイズ5も、他のフェーズと同様、より言葉に近い(一般の人に伝わる)コミュニケーションに近づくための一歩ではないかと思っています。PECSの目的はコミュニケーションをとれるようになることですよね。ピラミッド社はPECSのワークショップ(ベーシックしかり、アドバンスしかり)でもPECSの優れた所の一つは「様々な代替コミュニケーション手段の中で、特別なトレーニングを受けた事がない人にも、すぐに意味が伝わること」だと話しています。そして絵カードを文章にして人に渡す事の方が、単語の絵カードを渡すより一般のコミュニケーションに近いものになります。だから私はコミュニケーションの幅を広げるという意味でフェイズ4は自然な流れではないかと思っていました。

問題はそらパパさんがおっしゃられるフェーズ4の「ある日突然」感なのではないでしょうか?

仕事で何人かの自閉症のタイプの子にPECSを導入をして思ったことは、フェイズ4で混乱する子とフェイズ4によりスムーズに言葉が出てくる子がハッキリ違って存在するということ。

>ある日突然、「これまでの文法は間違いなので、今日からは同じ意味を伝えるのに違う文章を書かなければいけません」と言われたら、何それ?と思いますよね。

子供によっては、確かにそうです。だからフェーズの導入は混乱のないようにフルプロンプトで行います。その際に、前のデータを十分に分析して、その子にとって「ある日突然ではないくらい」絵カードの見分けが習得されてからのみ、フェーズ4を導入するべきなのです。

フェーズ1でも2でも「新しいスキルをある日突然要求されること」は同じだと思うんです。クレーンで通っていたのに突然絵カードにプロンプトされる事もある意味「ある日突然」ですよね?絵カードがいつもはすご近くにあるのに、取りに行かなきゃいけないのだって「突然」ですよね?問題はいつこれを導入するかだと思います。

教える私でさえもボスに今日から「I want」を教えますと言われてバックワードチェーンで最後まで手に手を取って指止しまでプロンプとしてフェーズ4を導入したときは、違和感を感じました。
でも、準備が出ている子はすんなり移行します。これは変化に1、2、3で慣れていたからかもしれません。

私の見たフェーズ4で混乱を見せた子達は、みなプログラムを進めるのが早過ぎた子達に見えました。時間だけはが一年以上経っていたりしましたが、平面のDiscriminationがしっかり入っていませんでした。一見分かっているようでも、まだクリップボードの状態(一個は入っても次を入れると前のが弱くなる)だったのに急いでフェーズ4にしたので、一段階増える事で、混乱したように見えました。

それでも間違えると4ステップのエラーコレクション。クリップボードの状態の子には無理です。これはニーズの違いで、正直フェーズ4にはなかなか行けない子がいるのは事実です。そういう意味では万人向けではないと思います。ステッップ数が多いので。

では、どうすればいいのか、ただひたすら見分けを教えて行くべきか?
私はそうは思いません。やはりそらパパさんのおっしゃるように、子供のより複雑なスキルにあわせて調整していく事が必要だなと思います。ここから私もマニュアル通りではうまくいかないぞと葛藤が生まれました。

ちゃんと段階を踏めばれフェーズ4が間違ってるとは思いません。ただどの子にも万能ではないと思います。

長くなりましたが、フェーズ4だけが特別に「突然」である訳ではどうしてもないように思ったのでひと言書かせていただきました。
Posted by M_ママ at 2009年10月26日 00:23
M_ママさん、

コメントありがとうございます。

「いまあるPECSとしての」考えかたということであれば、おっしゃるとおりの整理で問題ないと思います。
先日、門先生へのコメント( http://soramame-shiki.seesaa.net/article/24129828.html )でも書いたとおり、PECSは「話し言葉どおり」という形式へのこだわりがあると思いますし、それはそれで悪くない戦略だと思っています。(でも、それが自閉症児のコミュニケーションにとって必ずしも「自然」はどうかは、議論の余地があるとは思います。)

一方で、ボンディ氏への質問は、少し前に書いていた疑問( http://soramame-shiki.seesaa.net/article/15324544.html )を「なぜPECSをそう構成したのか?」という形で「PECS創始者」にぶつけたもので、PECSの現在の枠組みを越えた質問になっていますので、いただいた回答は誠実で的を得ていると思っています。
私が考えていることも、メタ療育論的な観点からの絵カードプログラムの最適化です。(ですから、それはもはやPECSではなく、「個人的に考える別の絵カード療育法」です。まずこれが大前提で、既にPECSの議論ではないことをご了解ください。)

PECSのフェーズ3から4への移行は、ABA的には「分化強化」といえるでしょう。
これまでの「絵カードを交換する」というbroadな行動から、「絵カード交換のうち、1枚の交換は消去し、2枚の交換は強化する」という、よりsegmentedされた行動への移行を目指すわけですが、ここで重要なことは「1枚の交換を消去する」という過程が含まれていることです。
つまり、フェーズ4を実行するということは、フェーズ3までで学習してきた一連の行動を、とりあえずは消去してしまうことを意味します。(ですから「ある日突然」感を問題にしているわけではないです。)

そして、自閉症児は、複雑な行動を習得できる水準に個別に大きな違いがあり、実際、「フェーズ3までなら学習できるけどフェーズ4は無理」というお子さんもたくさん存在するでしょう(恐らく、うちの娘もそうです)。そういうお子さんにフェーズ4を実行することは、「フェーズ3までに学習してきたことも、フェーズ4の新たな学習も、どちらもできない状態にしてしまう」リスクがあるわけです。

既に「そらまめ式絵カード療育法」でも書いているとおり、絵カード療育の素晴らしい点は、「より上の段階の習得が困難な状態になっても、それまでに学んだことがコミュニケーションに大いに役立つ」点にあると思っています。それが、フェーズ3から4への移行に限って「連続性」が途絶えてしまう、それが問題だと思っているのです。
なので、マンドは1枚でも2枚でも同義として使用を認める(タクトは必ず2枚)というルールで教えるのなら問題は少ないとも思っています。むしろそのほうが「初期の話し言葉」との類似性は高いような気がします。センテンスストリップも、使っても使わなくてもいいことにする必要があるでしょう。さらに言えば、語順もどうでもいいと考えています。少なくとも、それくらい自由なルールのなかで「その子ができるレベル」を見極めて、その後緩やかに「その子にとっての文法」を構造化していくべきじゃないかな、と考えているわけです。
もちろん、そういう発散的なアプローチでは「教え方」として標準化できず、PECSのフォーマットのほうがかっちりしていて教えやすい、ということはあるでしょうし、そうであれば実践ノウハウとしてのPECSの勝利でしょう。それを否定するのではなく、実践の背後にある、もう少し理屈っぽいことを考えているわけです。
それは、M_ママさんの実践でフェーズ4が十分成功してきたことと、そこに試行錯誤が必要だということ、この2つの事実が示していることを、メタ療育的な観点から考察している、ということになると思います。
Posted by そらパパ at 2009年10月26日 20:46
そらパパさん
丁寧なご説明を頂き、ありがとうございます。とてもよく分かった(私の少ない知識の範囲でですが、また勘違いしたらご指摘下さい)気がします。

>それくらい自由なルールのなかで「その子ができるレベル」を見極めて、その後緩やかに「その子にとっての文法」を構造化していくべきじゃないかな、と考えているわけです。

同感です。私もそうあるべきだと思います。
それがフェーズ4の壁にぶちあたった子達(結局私は解決の手助けが出来ませんでした)にはとても必要だと思います。

これはちょっと違うかもしれませんが、柔軟性の例です。

センテンスに貼る順番にもこだわる人も結構いると聞いたので、どちらが正しいのかと聞いた事があります。答えはこうでした。この方はアンディさんではなく、サクラメントで行われたペックスのワークショップのスピーカーで、アメリカピラミッドの社員です。

質問:「センテンスを目的語を先に貼った場合(位置は正しい)をエラーと見なしますか?」
答え:「会話でも文法通りではなくても通じる事があるから私は個人的には良しとする」だそうです。

例えば「I want coffee」と伝えるべき時に「I want」を先に貼らずに「Coffee」を貼ってもいいという事です。(ちなみに左右の貼る位置は基本的には、修正スべきとのこと。小さい子はまだ左右のコンセプトは発達的に弱いので例外。)理由は健常の人でも目に入ったスタバを見て「Coffee! Coffee! I want it!」とか言うことありますが、これもコミュニケーションとしてオッケイだからと言ってました。

なんか関係ない話になりましたね。文法と、柔軟性という事で思い出しました。

>もちろん、そういう発散的なアプローチでは「教え方」として標準化できず、PECSのフォーマットのほうがかっちりしていて教えやすい、

これはありますね。がっちりしていないと結局曖昧になりすぎて実践する側もされる側も分かりにくくなりますから。特に複数のセラピストが関わる自閉症の子への対応は、プログラムのやり方の統一感が重要ですので、個人に合わせた柔軟性に欠くのかもしれません。だから、ちゃんとマニュアル化出来るような、フェーズ4のAlternativeがあるといいのですよね。

フェーズ4で壁にぶち当たるタイプのニーズのある子達向けの、柔軟、かつがっちりした方法が見つかれば沢山の子が救われると思います。そのためにはそらパパさんのプログラムのようなものは凄く意味があると思います。今後期待しています。

私、せっかく「絵を見て見分けて相手に渡す」という所までいっているのに、センテンスで「やる気なくしちゃ(解釈的表現ですが)」もったいないです。
Posted by M_ママ at 2009年10月27日 01:31
そらパパさん、お返事ありがとうございました。
勉強になりました^^

悩みはつきません。
言葉が全くない中で、属性語を必要と感じてない息子に教えて行くことがいいのかどうか、マンドのみに使用し続け、今後タクトを教えることが可能なのか、スケジュールを教えたいと思っても、親のスキルが未熟で・・・

愚痴になっちゃいました、すいません^^;
試行錯誤しながら我が子のために頑張ります。

一言、お礼がいいたくて^^
Posted by カトリック at 2009年10月27日 07:21
皆さん、コメントありがとうございます。

M_ママさん、

まったく異論はないです。

ちなみに、「そらまめ式絵カード」は、PECSでいうところのフェーズ3までで、一応「終わり」です。(スケジュール等への応用に続いていきます)
もっと複雑なことをやりたい場合は、PECSに移行するなり、独自に進めるなり、各自の判断でという立場です。
個人的には、絵カードは2枚以上になってくると利便性が落ちてくるし、語彙の携帯性という観点からも厳しくなってくるので、PECSのフェーズ4以降的な、複数枚の絵カードを同時に使うやりかたは、自分のなかではなかなか定型化できないなあ、と感じています。
(タクトは絵カードで教えるよりむしろ「共感の指差し」を教えたほうが早いんじゃないかとか、感情を伝えたいなら専用の絵カードを使えば十分だろうとか、どちらかというとそういう風に考えてしまいますね。)


カトリックさん、

家庭での絵カード療育も、子どもにあわせてカスタマイズしなければならないところが悩ましいですよね。

ちなみに私個人の考えかたとしては、子どもにとってミニマムのニーズさえもないのであれば、そもそもコミュニケーションの必然性が存在しないことになるので、そういう場合は属性とかタクトとかをあえて教える必要は「ない」と考えています。
逆にいえば、ニーズが生まれてきたときが教えるときで、その「ニーズの生まれ方」を参考にして教え方を工夫すればいいのではないでしょうか。

うちの娘の例になりますけど、絵カードではマンドしか教えませんでしたが、「いろ絵本」(いろいろな写真が色別に分類されて掲載されている絵本です)とかを見ていて、私たちが後ろから「あか」とか「あお」とか見ているページに合わせて言っているうちに、自分からいろいろなものの色名を言うようになり(それが正解かどうかに興味がある)「そうだね」とか、言った色名を反復しているうちに、最近「あかい・りんご」とか「しろい・ぎゅうにゅう」とか言い始めました。
娘の場合は、絵本を見てものの名前をいう(これは親に向けて言った場合はタクトになりますね)ところから、音声言語のタクトや属性語が出てきて、マンドは絵カード(+音声言語)、タクトや属性語は音声言語、といったすみわけが生まれています。
Posted by そらパパ at 2009年10月27日 21:53
また出て来ちゃいました。
カトリックさんへのそらパパさんのアドバイスに多いに同意します。

子供のタイプによりますが、大抵
属性を何から導入するかは、子供が教えてくれますよ。

特定のマンガのビデオが見たい子がいれば「キャラクター(例えばスポンジボブの)」を導入したらいいし、そういった、その子なりのこだわりが見えた時に、それを利用するのが近道です。

トーマスが好きなら「青の」電車とか、食欲大魔神なら「大きい」「小さい」「沢山の」「少しの」など。

横レスですが、そらパパさんの

>ニーズが生まれてきたときが教えるとき

に同意という事だけお伝えしたいと思ってついついしゃしゃり出ちゃいました。
Posted by M_ママ at 2009年10月28日 01:13
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