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2006年07月09日 [ Sun ]

RDI「対人関係発達指導法」(ブックレビュー)(3)


RDI「対人関係発達指導法」―対人関係のパズルを解く発達支援プログラム
著:スティーブン・E. ガットステイン
クリエイツかもがわ

当ブログでも前例のない、3回(+プレレビュー1回)というほとんどシリーズ記事のような長大なレビューになっていますが、今回で終わりです。

前回までのレビューで、RDIの理論的な弱さ、実践面での可能性と独断によるRDI理論の「読み替え」について書いてきました。

最後に、私がこのRDIを切り捨てられない最大の理由の1つである、彼らの主張する「効果の高さ」について考え、さらにこのRDIによる療育の対象となるお子さんについて考えたいと思います。

もし、私がこのRDI本を何の前提知識もなく読んでいたとしたら、最初の発達理論の強引さと「内面の勝手解釈」の多さに辟易として、もっと簡単に「この療育法はダメ」という判断を下していただろうと思います。

私がそうせずに、RDIをABAとTEACCHの枠組みで再構成するといったことまで試みたりしている最大の理由の1つは、彼らが主張する、非常に高い成果があるからです。

アメリカのRDIの公式サイト( http://www.rdiconnect.com/ )から閲覧可能な「2-day Introductory Workshop Presentation」という資料によると、RDIを約1年半受けた子どもは、ADOS(自閉症診断観察尺度)による診断により15人中13人が自閉症の症状が軽減し、中でも11人は「自閉症ではない」と診断されたとされています。(RDIを受けなかった子どもは14人全員が症状の軽減なし)
同じ資料にはもう1つ調査が示されていますが、こちらもほぼ同様の結果です。

これ、額面どおりに受け止めれば極めて素晴らしい成果ですが、じっくり読み込んでいるうちに、この結果には多少の「トリック」があることに気が付きました。

その最大の要因は、使われている尺度がADOSである、ということです。

ADOSというのは、重い自閉症の娘を持つ私はあまり聞きなれない名前だったのですが、調べてみるとアスペルガー症候群のお子さんに対する、主に対人スキルを検査する診断基準のようですね。

そして、そのADOSがチェックする診断項目というのをRDIサイトの資料からみてみると・・・

なんだ、RDIでトレーニングしている項目とまるっきり同じじゃないですか。

つまり、こういうことです。

例えば、AさんとBさんとCさんが、TOEICの試験を受けるために試験勉強をするとします。
Aさんは、手元に英検の参考書しかなかったので、仕方なく英検の勉強をしました。
Bさんは、TOEICに特化したセミナーを受講して試験対策をしました。
そしてCさんは、裏の手段を使って試験問題(問題のみ、答えはなし)を入手して、それを勉強しました。(本当にこんなことがあるわけではありませんよ、念のため)

では、試験勉強前のこの3人の英語の基礎力が同じだったとして、実際のTOEICのスコアはどうなるでしょうか?

言うまでもありませんが、Cさんがダントツで、あとはBさん、Aさんの順になるでしょう。中でもCさんのスコアは、恐らく「ネイティブ並」といったものになるでしょう。


RDIの成果をADOSでチェックする、というやり方は、どうもこの例えの「Cさん」に近いことをやっているように思えてならないのです。
言うまでもありませんが、ADOSが何を検査するかは事前にはっきり分かっている、つまり「試験問題」は最初から手に入っているわけです。
だとすれば、その検査項目に特化したトレーニングを子どもに集中的に受けさせれば、トレーニングの前後でその検査による評価が大幅に改善するのはむしろ当然でしょう。

もちろん私は、RDIが単にADOSのスコアを上げるための試験勉強だ、と言っているわけではありません。それに、ADOSがチェックする項目が、まさにアスペルガー症候群のお子さんが困難を感じ、克服すべき問題なのだとしたら、その問題に特化したトレーニングが結果を出しているという事実を素直に評価していいと思います。

ただ、アスペルガー症候群の子どもたちがRDIの集中トレーニングによってADOSのスコアを上げた、というのは、それが事実であったとしても、RDIがあらゆる自閉症児の療育全般に絶大な効果を上げる、ということとは直結しないと思われます。

ここで先ほどのTOEICの例に、Dさんを登場させましょう。
DさんもCさん同様、TOEICの問題を入手して勉強する機会があったとします。ところがDさんはCさんと違い、英語がまったく分かりませんでした。

この場合、まずDさんは「試験問題」を勉強するのに、とんでもない労力が必要になるでしょう。問題文として書いてあることがさっぱり分からないわけですから、答えを導く作業は遅々としてまったく進まないでしょう。
そして、結果も惨憺たるものになると思われます。


これは、そもそもDさんには「TOEICの試験を受ける」ための大前提である「英語が最低限分かっている」というスキルが身についていないために起こった問題です。

恐らく、「RDIを低機能自閉症児に適用する」というのは、このDさんのような状況を招くのではないか、と思われます。
低機能自閉症児の場合、RDIがある意味「あって当たり前」と考えている、モノへのかかわりや環境の適切な知覚、簡単なことばの指示が理解できること、「大きい・小さい」「近い・遠い」といった概念が理解できていること、他人に対し「要求のためのかかわり」ができること、といった発達スキルが、多くの場合まだ十分に発達していません。

そんな子どもに、RDIの「社会的強化子による非言語コミュニケーションのトレーニング」を行なったとしても、極めて効率が悪いでしょう。また、上記のような基礎的な発達スキルを前提にできないとなると、そもそもRDIが提供できる活動のレパートリーも極めて限られたものになってしまうでしょう。

RDI側の主張としては、健常児は生後すぐから非言語コミュニケーションを始めるのだから、低機能自閉症児であってもそういった低いレベルの非言語コミュニケーションはトレーニングできる、というものがあると思いますが、

1) RDIが想定する健常児の発達モデルの信憑性にそもそも疑問がある。
2) 恐らく、(重い)自閉症児は健常児とは異なる発達過程をたどっている。

という2点から、この主張は受け入れられません。(後者の意見については、近日中に記事として書く予定です。)

ですから、低機能自閉症児の療育としては、RDI以外の療育法にまず目を向け、先に列記したような常識的な発達課題の達成にまずは焦点を絞るべきでしょう。
もちろん、そういったお子さんにとっても、アイコンタクトの時間を伸ばすことや、簡単な協調作業を日常の遊びに取り入れることは極めて重要ですから、本書に掲載されたアイデアをうまく活用することには意味があると思います。

ただ一般論としては、RDIは明確に、高機能自閉症・アスペルガー症候群のお子さんに向いた療育法だと思います。

※その他のブックレビューはこちら

posted by そらパパ at 21:00 はてなブックマーク | コメント(16) | トラックバック(0) | 実践プログラム
この記事へのコメント
そらぱぱさん、素晴らしい見解ありがとうございます。
わが子にRDIをと思っていましたが、RDI向きではないとそらぱぱさんのお話を読んで改めて思い知らされました。

韓国へ出張されるのですね。お子さんと離れると心配でしょうね。特に、そらぱぱさんは熱心な療育パパさんですねかね。
お気をつけていってきてください
Posted by marine at 2006年07月09日 22:35
marineさん、こんにちは。

このコメントはソウルのホテルから書いています(^^;)

RDIについては、大体書きたいことは全部書けたな、と思っています。
この療育法は、すごく「形式」が整っていて、一見、とても技法として「美しく」見えますね。
でも、ぱっと見の美しさと、本当の意味での理論の「強さ」は違うんだということを書きたいと思いました。
RDIを否定するわけではありませんが、他の技法と比較して、特にずば抜けた技法だとは私は思いません。対象もかなり限られていると思います。

ABAについても、ちょうど今アップしているシリーズ記事で書いているように、やはり限界のはっきり見える手法です。
(先日お話を聞いたPECSのアンディ・ボンディ氏は、その限界を超える可能性にかなり迫っているとも感じていますが)

なかなか、自閉症児にとっての決定版!といえる療育技法はないものですね。
(最近、その事実こそが、自閉症児の障害の本質だという気がしてきています。)
Posted by そらパパ at 2006年07月10日 21:29
さすが、そらパパさんですね!

私もこの本を読んだり、実際にRDIに関わっている方に話を聞いたりして、納得できる部分と釈然としない部分があったのですが、そらパパさんのレビューを読んですっきりしました。
特に、ABA的に「翻訳」してみるとわかりやすいというのは同感です。

ただ、そらパパさんと少し意見が違うのですが、私はRDI的なアプローチが言葉の出ていない発達障害児にもかなり有効なのではないかと期待しています。

私の娘の場合、(お友達と遊べるようにしてやりたいので)ある程度会話できるようにすることが先決だと思い、これまでABA的に言葉を教えようとしてきました。しかし、相手の反応お構いなしに覚えた言葉を使うだけの娘を見ると、(言語非言語に関わらず)コミュニケーションの本質を教えることが先なのかなと最近は思うようになっていました。
そんな風に行き詰まってモヤモヤしているときにRDIのことを知り、この本を読んでからは、寝る前に布団の中でくすぐりっこ遊びをしたり、遊びの中で目線や声色を変えて娘の反応を確かめたりしています。

以前は、娘があさっての方向を見ていると「ちゃんとお母さん、見て」とABA的に目を合わせるよう促していたのですが、最近は娘が自発的に私を見るようにするにはどうすればよいか考えるようになりました。大げさに話しかければいいのか、声色を変えるのがいいのか、表情をオーバーにしてみようか、等々。

この本の内容は、全面的に納得できる(信用できる)という訳ではありませんでしたが、私の療育に対する意識は随分変わったように思います。
少なくとも、心の隅にわずかに残っていた「集中介入的に言葉を教える時間をつくった方がよいのではないか?」という迷いはなくなりました。

これからも、できる範囲で言葉を教える時間をつくるつもりですが、「寸暇を惜しんで教え込まなくては!」という焦りは捨てて、空いた時間があれば娘とじゃれ合って遊ぼうと思います。(とは言っても、遊ぶ時間を作ろうと思うとまた、プレッシャーになってしまうので、あくまで気楽に)

ちなみに、最近の娘のお気に入りは携帯で写真の撮りっこをすること。これだとバッチリこっちに注目してくれて、しかも撮った画像(わざと変なアングルで撮ったりします)を見て大喜び。

なんだか、本家RDIの話とは少しずれてしまいましたが(しかも長文ですみません)、そらパパさんのブログはいつも情報が早く、専門家の視点でありながら親の立場から書かれていて、本当に参考になります。これからもどうぞよろしくお願いします。
Posted by pompoco at 2006年07月12日 01:08
pompocoさん、

pompocoさんのケースは、既に十分、RDI的な療育に取り組めるレベルに達していると思いますよ。

ブログで拝見する限り、この記事でまさに書いている「モノへのかかわりや環境の適切な知覚、簡単なことばの指示が理解できること、「大きい・小さい」「近い・遠い」といった概念が理解できていること、他人に対し「要求のためのかかわり」ができること、といった発達スキル」が既に獲得できていると思いますから。

私が書いている「低機能・・・」というのはもっと下、PECSでも使わない限り要求のかかわりも難しいような子どもをイメージしています。

ただ、pompocoさんが指摘しているとおり、アイコンタクトや協同注視のような社会的発達スキルをどんな風に教えるべきなのか?ということについて、RDIはかなり新しいことを言っていることは間違いないと重います。
RDIは悪く言えば「いいかげんな」理論ですが、そういう「いいかげんさ」があるからこそ逆に、ABAではこぼれてしまうような直観的かつ効果的なアイデアが出てくる可能性もあるのかもしれません。
Posted by そらパパ at 2006年07月12日 21:33
遅ればせの発話で、もう相手になっていただけないかもしれませんが、最近RDIのことをいろいろ調べているものです。

このサイトで提供された3部作のコメントは大変興味深く拝見させていただきした。この部屋の存在に気づいたのがつい最近だったため、行ってしまったバスの後を追いかけるような気もちですが、・・・

 小生のグループはあの和訳本(原本Relationship Puzzle 2000)の2年後に同著者が世に問うた分厚いアクティビティ集(2002年初刷 423pp.)を検討しています。

そらパパ先生の博学・造詣深さには感動して九跪九拝の態でおりますが、先生のコメントの「悪く言えばいい加減な理論」というご指摘に、もっともと思いながら噛みついてみました。
 お暇な折に小生のブログhttp://blog.goo.ne.jp/usui_seisa
の11月の分(とくに「ネコタマ部屋」のサポーターから」)をご笑覧いただき、何かお気づきの点をご教示を賜りましたら幸甚です。

とくに、RDIのアクティビティ集(2002年)の和訳・出版を考えるに値するかどうか(マーケットは十分期待できそうかどうか)について、感触をお教えいただけたらたいへん有難く存じます。

Posted by ゴット at 2006年11月07日 17:00
ゴットさん、はじめまして。

RDIのアクティビティ集の和訳というのは素晴らしい企画ですね。私は100%肯定します。
RDIの魅力はさまざまな実践課題のバリエーションにあることは間違いないと思っています。
重度の自閉症である私の娘にはそのままは活用できないかもしれませんが、貴重なアイデア集として、そのような本がでたらきっと購入して活用させていただくと思います。

ブログも拝見しました。私のような素人の意見を真剣にとりあげていただいて恐縮です。

ご指摘のとおり、臨床家に理論を求めちゃいけないというのは、私もそうかなとは思います。ただ、だとすればそれをこの本のように「理論」として世に問うてはいけないと思ったのです。あくまでもRDIの「ためにある」発達の仮設モデルとして簡単に紹介するにとどめ、本書のような一大発達理論の章をおくべきではないと思うのです。

他の本を読んでないというのは、確かにそのとおりです。この記事は厳密にいえばタイトルのとおり「ブックレビュー」であって、「RDIのレビュー」ではありません。
ただ、この本以外にも、この記事にあるとおり、RDIのサイトにある最新の2 days workshop presentationは読んでいます。本書とこのPresentationをみる限りでは、RDIの発達理論がチープで、訓練の「目覚しい成果」の一部は、テストの答えを丸暗記しているような側面から説明されてしまうという点についてはやはり「RDIの一般論として指摘できる問題点」だといえると考えています。

また、RDIはTEACCHと親和性があるというのは、私は正しくないと考えています。
TEACCHの本質は構造化といった表面的技巧にあるわけではなく、自閉症という障害を前提にして、その障害があっても伸びやかに発達して幸せに生きられるような環境への働きかけ、「育てかた」を志向する「志向性」にあると考えます。
そう考えたとき、「自閉症は複雑な社会性の習得に困難がある」という状態に対して、「それでもその複雑さを複雑さのままで克服して習得しなければならないんだ」と考えるRDIの価値観は、むしろTEACCHとは真っ向から対立するものだと考えます。
そういう意味では、社会性の教え方でTEACCHと親和性が高いのは、RDIが批判するソーシャル・ストーリーのほうだと思います。

この辺りと少し関連する内容が、ちょうど今日書いた「新しい認知心理学から自閉症を考える(20)」の記事のなかにありますので、よろしければ参照ください。

総論としては、私は、RDIはアクティビティのアイデアがすべてで、それ以外のあらゆる要素は、語れば語るほどボロが出てしまうような脆弱さを持っていると感じています。だから、まさにご指摘のとおり、ガットステイン氏はバリバリの臨床家なのでしょう。
だとすれば、実践例をひたすら積み上げるという側面からこそ、RDIは評価できるものと思います。
そう考えれば、今回のお話で出されている「アクティビティ集の和訳」に関しては、私が100%肯定的である理由も分かっていただけると思います。
Posted by そらパパ at 2006年11月07日 22:52
ご丁寧な解明を有り難うございました。

そらパパさんの新しい3部作「新しい認知心理学から自閉症を考える」も拝見し、新行動主義のエッセンスにせまる明快なビジョンと感服いたしました。
 
ただ、言葉じりをとらえるようで恐縮ですが、「弱すぎる抽象化処理」でも「強すぎる抽象化処理」でもどっちにしても「無理な汎化を求めない」という結論になる、というところが分かりにくく思いました。

 「弱すぎる」は選択できない、「強すぎる」は片寄った選択をする、という意味であればわかるような気がしますが・・・その区別が脳機能の欠陥の基本的な違いに根ざすことなのか、単に同じような欠陥のバリエーションの両端をいっているだけだというのか、その辺をご教示いただけたら幸甚に存じます。

RDIのあの本には懐疑的であるが、RDIそのものに懐疑的なのではない、と仰ったのには、ちょっと安堵はいたしました。
ただ、それだけの元気づけをいただくだけで、分厚い本の「翻訳」などという(著作よりももっと余計な気を遣う)仕事にふみきる勇気が出たかというと、そうでもないのです。

RDIの価値を評価するに当たって、まだ私の気になっており、容易に氷解しないことがあります。
それは老教師のひとりごとみたいなことで、この教室のRDIの話題を外れるふしがありそうですから、場所を私の「ゼミナールMU」にでも移して述べさせていただこうと思っています。

とにかく、有り難うございました。


Posted by ゴット at 2006年11月10日 13:18
ゴットさん、こんにちは。

「一般化障害仮説」についてのコメントもありがとうございます。

「弱い一般化処理」(ここは抽象化処理ではありません、念のため)と「強すぎる抽象化処理」でどちらも「無理な汎化を求めない」という結論が導かれる理由は、次のとおりです。

「弱い一般化処理」がそういう結論になるのは記事から自明だと思いますので省略するとして、「強すぎる抽象化処理」の場合も、やはり環境から知覚される個別事象が個別事象のまま膨大に蓄積されるために、そこから「一般化されたルール」を導くのが難しい状態になっていると考えられます。ですから、「弱い一般化処理」の場合よりもずっと高次のレベルでの議論にはなりますが、やはり非常に複雑な社会性の「あや」のような学習は難しくなると考えられます。(この場合は脳のネットワークの「過剰な適応」による汎化困難が起こっていると考えられます。)

この辺りについては、私は、こんな風に考えているのです。
つまり、アスペルガー症候群を想定して設定している「強すぎる抽象化処理」のアンバランスを持つ子どもの場合、普通の子どもがラクに学習できる「非線形分離課題を含む10個のルール」を学習することよりも、普通の子どもは覚えきれないような「線形分離課題に解きほぐした100個のルール」を学習することのほうが容易な可能性もあるのではないでしょうか。

言い換えると、「ファーストフードでの食べ方」を学ぶよりも、「マクドナルドでの食べ方」と「ケンタッキーフライドチキンでの食べ方」と「ロッテリアでの食べ方」と「吉野家での食べ方」を別々に学ぶほうが、自閉症スペクトラムの子どもにとっては容易で、かつ適応的なのではないか、という可能性を考えているのです。

そしてこれは、10個のRDIアクティビティを訓練するよりも、もしかすると1000個のソーシャルストーリーを教えるというアプローチのほうが自閉症児には適切かもしれない、という考えにもつながります。
まだ、この辺りは実践で確認されたわけでもありませんし、私も実践するわけにもいかないため(私の娘はとてもそんな訓練ができる発達水準ではありませんので)、単なる仮説にとどまりますが、ソーシャルストーリーとRDIのどちらが自閉症児にとってより適切な療育法なのか、というのは実はかなり難しい問題なのではないかと感じています。

ゴットさんのブログも恐縮しつつ?読ませていただいています。
Posted by そらパパ at 2006年11月11日 00:31
はじめまして!!

イロイロな特徴を併せ持つ小3の
“ちょっと(?)変わったおもしろい男の子”の母です。

ご存知かどうか、通信制の星槎大学で特別支援教育コースを
学んでおります。

今日のスクーリングでRDIのお話を伺って来て
早速検索してみました。

実際の手立てを模索中ということもあって
とても参考になりました。
ありがとうございます。

いずれ、教室での支援員をしたいと思って学んでいます。

また、お話伺いにお邪魔します。
よろしくお願いいたします。

(ところで、茂木先生のクオリア日記は
私も毎日読んでいます!!)
Posted by 風待人 at 2006年11月11日 21:04
風待人さん、はじめまして。

星槎大学の特別支援教育コースについては、今回のゴットさんとのやりとりで初めて知りました。
通信教育でこういうテーマを取り扱うというのはユニークな取り組みだと思っています。

RDIについては、これまでも触れているとおり、まだ新しい取り組みでもあり、実践の積み重ねの中から評価が今後固まってくる療育法だろうと思っています。

今回はブログにご訪問いただきありがとうございました。
Posted by そらパパ at 2006年11月12日 12:40
はじめまして。都立養護学校の教員をしている者です。いつも読ませていただいています。ときおり、自閉症についてお話させていただく機会があります。そのときにこのブログを紹介したいのですがよろしいでしょうか?またわたしのつたないHPにリンクさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?突然のお願いで申し訳ありません。よろしくお願い致します。
Posted by kichan at 2007年01月07日 00:47
kichanさん、はじめまして。

リンクを紹介していただくのも、リンクを張っていただくのも、すべてまったく自由に屋っていただいて構いませんので、よろしくお願いします。
(kichanさんのページにもリンク張らせていただきました。)
Posted by そらパパ at 2007年01月07日 22:40
はじめまして。ずいぶん前のブログにコメントで恐縮ですが、参考になる方もいるかと思ってコメントします。
私の子は3歳児ですが、現在公認RDIコンサルタントの指導のもとでRDI中です。まず、ご紹介のRDIのテキストですが、これは現在ではconnection centerでも読まない方がいいと言っているらしく、最新の本を読むことをお勧めします。ただし英語のみです。米アマゾンで入手可能です。
 というのも、RDIは常にバージョンがアップされていき、一昔前のプログラムは、より効果が高いものが見つかったりすると変更されたりします。ただ、基本的な部分は大きくは変わらないと思います。
 RDIの進め方ですが、ネット上のRDI-OSサイトを通じて課題が与えられ、それについてビデオやレポートを送ります。子供の課題プラス親の課題もあります。基本的にはRDIは専門家に頼んでやってもらうのではなく、親をまず教育し、RDIの考え方を理解させた上で日常生活のあらゆる場面で親が適用するものです。ご指摘の通り、定型発達の過程をやりなおすことが目的ですので、1歳までの定型児に対応する部分がステージ1、2歳ならステージ2と順番に上がっていきます。
 高機能しか向いてないということですが、確かにコミュニケーションの土俵に乗ってこないと難しいので、そこまではABA的なアプローチをとることもあるようです。
 基本的な考え方としては、TEACCHのようにASD児の助けになるような環境を整えるのでも、ABAのように教え込むのでもなく、「学ばせるきっかけ」を作ることに重点が置かれます。したがって、最初から助けてしまうようなことは害だと考えます。他の方のコメントでもありましたが、目線を合わせることにしてもABA的ではなく、こちらが大げさに振る舞ったりタイミングをいつもより遅くしたりすることで、こちらの様子を自発的に見るように仕向けます。うちの子についてもホントにできるのか疑問だったのですが、いったん「みればいいんだ」と気づくと、普通こちらを見るようになりました。RDI的には「こっちみて」は禁句です。
 目的は定型発達ですのでまだ先は長いですが、状況としては6か月前とは別人のようになっています(ほっといても成長した可能性はありますが)。なお、定型発達についての科学的根拠が薄いとのことですが、Connection Centerの本部の人たちは脳科学やら発達心理やらの文献を読みあさって、定型児の行動の特徴に関する研究を常にモニターしており、プログラムもそれに基づいたもののようです。難しいのはこれまで障害児の研究は多くあるが、定型児の詳細な発達の研究は実はそんなに多くないことだそうです。それから、まだ新しい療育法ですので、本格的な結果が出るのはこれからといったところです。したがって統計的な科学的根拠が薄いですので、これから出ることを祈りつつ賭けに出る必要はあります。統計がない=ダメではありません。
最後ですが、最新のテキストを読んでもプログラムは書かれてません。本格的に始めるなら、RDIコンサルタントの指導を(親が)受ける必要があります。




Posted by ゴッシー at 2010年11月10日 12:48
ゴッシーさん、

コメントありがとうございます。

また、最新のRDIの動向につき情報をくださり、ありがとうございます。

このエントリとコメントでは、私自身はかなり批判的にRDIを取り扱っているのですが、それはもちろん私の個人的な評価であり、さまざまな情報をふまえたうえでRDIを選択されるとことに疑義を唱えるものではありません。

また、エントリやコメントでも触れているとおり、RDIの実践にはユニークで注目すべきポイントもたくさんあると感じています。
私自身もこのエントリを書いたあとで、ペーパーバックのRDIアクティビティ本を購入したりもしています。

このエントリやコメントを読まれた方が、RDI(やその他の療育)についての知識、関心を深められ、その上で「我が家の療育」を選択する助けになれば、と思います。
Posted by そらパパ at 2010年11月11日 23:16
A〜Dさんのたとえ、まさにその通りです。
しかし、「RDIが必要な一群」にとっては、逆なのです。
現在のABAやTEACCHでは、Dさんになるのです。
ABAもTEACCHもすばらしいので日常生活に必須です。でも、そのままは基礎のない子には苦痛でしかないのです。または、うまく日常の適応を進み、スキルの獲得はできるということはありますが、これらで、この一群の根っこはは育てられないのです。
A〜Dさんのたとえは、とても良かったです。
「逆であるが、同じこと」が認められたようで、がんばって苦境に立ち向かっていこうと思います。ありがとうございました。

Posted by nono at 2014年02月09日 12:57
nonoさん、

コメントありがとうございます。

そうですね、療育はすべてのケースにおいて別のもの、カスタマイズされたものですから、ある子どもに適した療育が別の子どもにとってはまったく効果がない、あるいはその逆、といったことはもちろんあって当然だと思います。

ちなみに、このエントリを書いた頃は、割とRDIの「劇的な効果」について、騒がれていた時期でもありました。
ですので、「そうはいってもちょっと違うんじゃない?」という気持ちで、このエントリを書いたことを記憶しています。

いまは、その頃に比べると、様々な療育法を冷静に選べる状況になっていると感じます。

そして、いつの時代でも、試行錯誤を繰り返し、効果のある療育法を粘り強く見つけていくことが、大事だと思っています。
Posted by そらパパ at 2014年02月12日 23:07


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