RDI「対人関係発達指導法」―対人関係のパズルを解く発達支援プログラム
著:スティーブン・E. ガットステイン
クリエイツかもがわ
前回のレビューの続きです。
前回も書いたとおり、本書は子どもの発達に関する理論的前提や「内面の解釈」に問題があり、書いてあるとおりに読むことがあまりすすめられない本です。
でも、本書で紹介されているRDIには、これまでの療育法になかった新しい着眼点があることも事実で、本書を「読者の側で再構成して、より科学的に理解する」ことによって、効果的に応用できる可能性を十分に持っています。
私が本書を「再構成」して理解したRDIとは、「ABAとTEACCHのメソッドをベースにした、非言語コミュニケーションの発達に特化した高機能自閉症児の療育法」です。
本書では、RDIの3つの原則は「ソーシャルな参照」「理由から手段へ」「協同調整」であり、ゴールは「経験共有」だと書かれていますが、これらの言葉の意味自体があいまいで、イメージで語っているという印象を持たざるをえません。しかも、RDIの概念の多くは内面について語ったもので、それが達成できているかを直接確認することができません。RDIの「専門家」が判断することになっているのでしょうが、私の意見では、いくら専門家でも、心理学の大家でも、「内面でどんなことが起こっているのか」を外から見て判断することは、本質的には不可能です。そんなことができたら、「超能力者」になってしまいますから(笑)。
というわけで、ここではあくまで「科学的」に、RDIのメソッドをABAのキーワードで再定義してみます。ただし、これは私の独断によるものであって、本来のRDIの立場とは一切関係ありません。
「ソーシャルな参照」とは、「非言語的コミュニケーションを弁別刺激にする」ことです。
「理由から手段へ」とは、やや単純化しすぎですが、「社会的強化子を使う」ことです。
「協同調整」とは、「ターゲット行動を相互作用が必要なものに設定する」ことです。
そして「経験共有」とは、「非言語的コミュニケーションのスキルが発達すること」です。
さらに、非言語的メッセージが弁別刺激として容易に弁別されるよう、TEACCHの構造化の方法論を取り入れます。
※非言語的コミュニケーションとは、表情や声のトーン、しぐさや「行間」など、ことばに直接表れない表現によって行なわれるコミュニケーションを指します。
ABAの用語で説明することで、「私の理解する」RDIの概念は非常にシンプルかつ明確になりました。(RDIの関係者の方からは大批判を食らいそうですが)
なお、本書には、「経験共有のための相互作用」と「手段的相互作用」という、もう1つ重要だとされている概念があるのですが、これは突き詰めると、「高度な非言語的コミュニケーション」と「そうでないコミュニケーション」と置き換えることで、上記の概念の中に吸収できてしまうように思われます。
「私の理解する」RDIでは、これまでの自閉症児向けコミュニケーションの療育が言語的なレベルに留まり、非言語的コミュニケーションを無視してきたことを問題視し、この領域を重点的に療育することによって自閉症児の抱えるコミュニケーションの困難を大きく改善できると考えます。
非言語的コミュニケーションを療育するためには、活動の対象(ターゲット行動)は当然、非言語的コミュニケーションが必要な相互作用のあるものを選択することになります。
そして、非言語コミュニケーションを成り立たせるには、相手の非言語的なメッセージに気づいて反応することが必要ですから、相手の表情なり視線なりといった「非言語的な刺激」が弁別刺激(行動を起こすためのきっかけ刺激)として機能するようにトレーニングしなければなりません。このトレーニングを効率的に行なうために、注目して欲しい非言語的な弁別刺激以外の刺激を徹底的に取り除いた「構造化された環境」を設定します。
そして、その行動を強化するための強化子も、「遊びが継続する」とか「相手が笑う」といった、かなり高度な社会的強化子である必要があります。
このような「非言語的コミュニケーション」に的を絞った介入を長期にわたって継続することによって、自閉症児が最も苦手とする非言語的コミュニケーションスキルを発達させるのが「私の理解する」RDIのゴールです。
そして、その具体的なプログラムとして、本書で紹介されている6つのレベルと24の段階に分けられた具体的カリキュラムが用意されているわけです。
ここでの「レベル」や「段階」というのは、RDIのカリキュラムを体系的に整理するための便宜的なRDI独自の発達モデルだと考えるべきであり、本当に健常児がこの順序で発達していると考えるべきではないでしょう。そう考えなくても、段階を追ったカリキュラムとしては成り立ちます。
そして、このプログラムが、恐らく障害の重い(いわゆる低機能の)自閉症児には実際には適用が難しいだろう、ということも容易に想像できます。
障害の重い自閉症児にとって、非言語的なあいまいな刺激を弁別刺激にすることはかなり難しいでしょうし、社会的強化子を使えるようになるまでにも非常に時間がかかります。そして、相互作用が求められるような複雑な遊びを楽しめるようになるまでにも、別途トレーニングが必要になると思われます。
そのようなお子さんの場合は、RDIではない療育から始めて、「ほめられる」といった社会的強化子が使えるようになり、目が合ったり何があったときに大人の顔を見たりするようになり、簡単な相互作用遊びを楽しめるようになって初めて、RDI的な療育手法を検討しても遅くないと思います。
そういう意味では、RDIは明確に、高機能自閉症・アスペルガー症候群のお子さんに向いた療育法でしょう。
「ことばも話せるし、普段の生活も支障ないのに、どうしてコミュニケーションがこの段階で止まってしまうんだろう?」といった悩みを抱えたお子さんには、ある意味最適な療育法なのではないかと思います。
(次回に続きます。)
※その他のブックレビューはこちら。
RDIの運営者サイドが、あらゆる自閉症スペクトラムの方を対象としようとしていることは、存じ上げています。
http://www.rdiconnect.com/RDI/FAQ_General.asp
ただ、当ブログでは、運営者サイドの主張そのままではなく、その中身を吟味したうえで、独自の評価をさせていただいています。
(ちなみに、これらの記事で書いたRDIに対する評価は、現在でも変わっていません。)