その疑問に1つの答えを提示するのが、ギブソンの生態学的心理学、アフォーダンス理論です。
ギブソン心理学によれば、ヒトや生物は環境とのダイナミックな相互的かかわりの中で生きており、その「かかわっている」環境を直接知覚しています。従来型の認知心理学のように、ヒトは感覚からの入力を脳内で再構成して脳の中に「仮想的な外界の知覚」を作り出し、その仮想世界の中で認知を行なっている、とは考えないのです。
(つまり、私たちは映画「マトリックス」のような世界に生きているわけではない、ということです(笑))
ヒトが種として大いに繁栄したのは、高度に発達した脳の力によって、環境との非常に複雑なかかわりにまで対応できるようになったことが大きいでしょう。そしてその「非常に複雑なかかわり方(アフォーダンス)」が求められる最たる「環境」こそが、母親を筆頭とする「ヒト」なのです。
つまり、ヒトは進化により、ヒトと相互に関わる高度な能力を獲得したのです。
このことを、自閉症の障害と対比して考えると、こうなります。
一般的にヒトは、生まれながらにして、他人を含む非常に複雑な環境に適応し、相互的なかかわりを持つ力を持っています。
ところが、自閉症児の場合はこの能力が何らかの理由(これが何かについても、後で考察します)で十分に発揮されません。
その結果、自分の周囲の環境のなかでもとりわけ複雑な「ヒト」とのかかわりが発達せず、比較的シンプルな、ヒト以外のモノとの関わりがまず発達してくるのです。(ウィングのいう「孤立型」の段階)
モノとの関わりの発達がすすみ、モノを適切に「操作」するといった、モノのアフォーダンスの知覚が発達してくると、モノと同じようなレベルでヒトと関わることが可能になってきます。この段階では、ヒトを道具として「操作」したり、ヒトから指示されたとおりに行動することで「ごほうび(強化子)」を得るといった、操作し、操作されるといった対人関係が成立します。(ウィングの「受身型」の段階)
更に発達が進むと、他人とのかかわりが、単なる物理的な操作だけでなく、ことばや行動を介した双方向的なやりとりにまで及んできます。ただ、ここでも、そのやりとりは相手の「心の動き」を感じるような柔軟なものではなく、自分が期待する返事だけを待つ、「双方向的な操作」とでも言える状態に留まることが多いでしょう。(ウィングの「積極・奇異型」の段階)
ここで、以前別の記事でご紹介したこの図を改めて見たいと思います。
この図は、私たちをとりまく環境を大きく「モノの段階」「動物の段階」「ヒトの段階」の3つに分け、それぞれの環境とかかわるために必要なスキルを整理したものです。
おおざっぱに言えば、モノを適切に操作するという「モノの段階」に至っていないのが「孤立型」、モノの段階に到達し、次の簡単な相互作用を目指しているのが「受身型」、簡単な相互作用は理解したが、ヒトとのコミュニケーションに必要な複雑な相互作用の段階にはたどり着けていないのが「積極・奇異型」と、それぞれの段階とウィングの行動類型との対応を取ることができると考えられます。
(次回に続きます。)