娘が療育で先生の「おじぎ」を模倣した、というのは、私にとって、とても印象的な話でした。
なぜなら、「おじぎ」の模倣というのは動作模倣の中ではけっこう「高度」なものであり、重要な認知面での発達とつながっていると思われるからです。
動作模倣にもいろいろありますが、模倣の難易度を大きく左右するのは、次の2つの要素ではないかと思います。
・手や足を使うかどうか。
・目に見える「対象物」があるかどうか。
ポイントは、「自分の体の中で、手や足はよく見える」、そして「対象物は、自分の体とは無関係によく見える」ということです。
これらの2つの要素の有無は、「自分の行動と相手の行動の『見え』の類似性」に決定的な違いを生み出すのです。
例えば、「手でボールをつかむ」という行動を考えてみましょう。
この行動は「手を使う」「対象物がある」という意味ではもっとも簡単な模倣です。子どもは、自分の手と相手の手の対応関係にさえ気づけば、見えているボールをつかむだけで、模倣行動が成立することになります。
「バイバイをする」という行動はどうでしょうか。
今度は「手を使う」「対象物がない」という組み合わせになります。
この場合、自分の手と相手の手の対応関係が分かっても、「自分への見え方と相手への見え方は違う」ことを前提としたさらに一段階上の模倣スキル(自分と相手の「見え」の違いに気づいて行動を微調整する能力)がなければ、手の前後が逆さまになる「逆さバイバイ」になってしまいます。
自閉症児がこの「逆さバイバイ」をしがちだということはよく知られています。自閉症児は模倣スキルに何らかの障害があることは間違いなく、このスキルを伸ばすための療育を考えなければならないのです。
そして、最後に「おじぎ」です。
おじぎは「手を使わない」「対象物がない」という組み合わせであり、難易度は高いと考えられます。
考えてみてください。目の前の先生がおじぎしたときの「見え」と、自分がおじぎしたときの「見え」とでは、同じものは何一つないのです。しかも、おじぎすると視界が動いてしまいますから、下手をすると先生自体さえ見えなくなってしまいます。
冷静に考えると、おじぎを模倣できるほうが不思議なくらいです。
「おじぎ」という行動を模倣するためには、体のパーツの位置関係や動きを含めた、自分の身体全体のイメージ=ボディ・イメージを持ち、そのボディ・イメージと目の前の先生の動作との対応関係を理解・記憶し、さらにその記憶とボディ・イメージに基づいて自分の身体を動かす、という、極めて複雑な脳の情報処理が必要なはずです。
そして、ボディ・イメージを持ち、それを記憶と照合させて自分の身体を動かせる、ということは、運動をモニタリングして調整する能力、すなわち少なくとも原始的なレベルでの自己意識を持っている、ということを示唆しています。
私が、娘が「おじぎ」を模倣した、という話を聞いて少し感動したのは、この模倣行動が、娘がいまや自己意識を持っている(「自分」の存在に気づいている)、ということの何よりの証明だと思えたからです。
そして、この発達の大きな一歩を考えるとき、我が家に設置した鏡が果たしてきた役目を思わずにはいられません。
最近、娘はこの鏡をもっぱら自分の表情や行動を「確認する」ために使っています。パニックで泣いているときに、なぜか自分から鏡に飛んでいって泣いている顔を見たり、ことばの口ぱくを鏡の前でやって、映っている口の動きを見つめたり、テレビなどの踊りの模倣をするときに鏡に映して確認したりと、あたかも自分のボディ・イメージを鏡で確認しているかのようです。
統制された比較の対象がないので断定はできませんが、鏡に慣れ親しんできたことが、娘の自己意識やボディ・イメージの発達に寄与している可能性は高い、と思っています。そして、それらのスキルはまさに、どんな自閉症児にとっても発達課題となるものではないかと思います。
鏡の療育の進めかたは、サイドバーの「シリーズ記事→オリジナル療育アイデア→鏡の療育(再考)」でご紹介しています(まとめページはこちらです。)。ご興味を持たれた方は、試してみてください。
たまに、のぞかせていただき、アニマルセラピー、行動療法のあたりを参考にさせていただいています。
我が家にも犬がいるのでよく触らせるようにしています。
さて、今回動作模倣のお話で、うちの子はまだ言葉は単語が少し(失語した単語のほうが多い)で言葉はありませんが、療育センターで先生がおじぎをするさい、(座ってのおあつまりの際)ちゃんとおじぎをします。
これって高度なことだったんですね・・。率直にうれしいです。
最近ですが、手話のように手でのジェスチャーが増えました。お辞儀もそうですが、手をほっぺにやって「おいしい」手を上げてという言葉に反応して手も上げます。またイタダキマスは以前からできていたのですが、自然とご馳走様も覚えて、食事を済ませたいときに手を合わせ、こちらを見ます。手話を使うとどういうわけか目がよくあうのです。
子供の中の何らかの理解が進み、表現をしたがってるのでしょうか?とにかく、つまらなかった夕飯が楽しくなってしまいました。「乾杯」もしてくれるのです。究極においしかった場合はホッペを通り越して、私にハグ(抱擁)をしてくれたりするのです。
そうですね。おじぎの模倣は高度だと思います。
目でみた他人の体の動きを、目に見えないボディ・イメージに基づいて再現しなければならないわけですから、自分と他人の切り分けがうまくできていなければできないはずなのです。
手話とかジェスチャーをマスターできる気配があるなら、ぜひともそれを覚えさせるべきですね。子どもの「いいたいこと」が伝わる、というのは、何よりも子どもにとってのQOLの向上につながると思います。
(我が家もそれが最大の目標です。なかなか難しいですが・・・)