今回は、強化についての少し難しい(でもとても重要な)話題を取り上げます。
3.全部強化と部分強化について
これまで、行動に対して「ごほうびを与える」のが強化(その行動が増える)、「ごほうびを与えない」のが消去(その行動は減る)、というお話をしてきましたが、それでは、ある行動に対して「ときどき(あるいは「稀に」)ごほうびを与える(つまり、言い換えると「ときどきはごほうびを与えない」)」という働きかけをすると、どうなるのでしょうか?
このような働きかけは、「部分強化」と呼ばれます。
これに対して、行動に対して、常に「ごほうび」を与えるやり方のことは、「全部強化」と呼ぶことがあります。
部分「強化」とあることから分かるとおり、このような「ごほうび」の与え方であっても、「強化」、つまり、行動を増やしたり維持したりする力があります。
全部強化と部分強化は、次のように使い分るのがいいと言われています。
・新しい行動を学習させるとき :全部強化を使う
・学習できた行動を維持するとき:部分強化を使う
新しい行動を学習させるときは、「適切な(学習させたい)行動には常にごほうびを与える」という「全部強化」の働きかけを行なうことで、学習をスムーズに進めることができます。
一方、一度学習できた行動には、必ずしも常に「ごほうび」を与える必要はなく、ときどき「ごほうび」を与える(部分強化)だけで、その行動は維持されます。
興味深いのは、「行動を維持する力」は、実は全部強化よりも部分強化のほうが強いことがある、ということです。
例えば、スロットマシンと自動販売機という2つの機械を考えてみましょう。
どちらも、コイン(ないしお金)を入れるとジュースやより多くのコインなどの「ごほうび」が出てくるという点では似ていますが、自動販売機は基本的に「必ずジュースが出てくる(全部強化)」のに対して、スロットマシンは「たまにしかコインが出てこない(部分強化)」という点が違います。
ではここで、私が自動販売機とスロットマシン、それぞれの機械を操作して、ジュースもコインも一切出てこない状態にしたとしましょう。
これによって、「ごほうび」はまったく与えられないことになるため、これは自販機やスロットマシンにコイン(お金)を入れるという行動を「消去」するプロセスに入ったことになります。
さて、あなたは「お金を入れても絶対ジュースが出てこない自動販売機」に何回お金を入れるでしょうか?
恐らく、2回ほど続けてジュースが出ない経験をしたら、もうその自販機にお金を入れることはなくなるでしょう。
一方で、「コインを入れても絶対コインが出てこないスロットマシン」には、あなたはコインを何回入れるでしょうか?
相当長い間コインを入れ続けるのではないでしょうか? その回数は、100回、あるいはそれよりもっと多いかもしれません。
同じように「消去」の手続きを行なったにもかかわらず、「全部強化」だった自販機にお金を入れる行動はすぐに消えたのに対し、「部分強化」だったスロットマシンにコインを入れる行動はなかなか消えません。
つまり、ちょっと意外なことですが、たまにしかごほうびを与えない「部分強化」のほうが、毎回ごほうびを与える「全部強化」よりも、なかなか消去されにくい(つまり維持されやすい)という傾向があるわけです。
これは、パニックという問題行動がなかなかなくならない理由とも関連してきます。
自閉症児をもつ親御さんも、お子さんのパニックに対して「常に」ごほうびをあげるような行動はとっていないでしょう。
できるだけ相手をせずに無視したり、叱ったりして、パニックしたからといって欲求をかなえないように努力をしている親御さんがほとんどだと思います。
でも、なかなか「100%無視をする」「100%相手をしない」のは難しいですね。
状況によっては、やりたがっていることをさせたり、好物を与えてごまかしたりして、やむを得ずパニックを静めることもあるのではないかと思います。
ところが、こういう「ごほうび」がたまに与えられてしまうことによって、パニックに対する私たちの対応は、(本当に残念なことに)「消去」ではなくて「部分強化」になってしまうのです。
それも、まさに先ほどのスロットマシンの例のような「不定期に、たまにごほうびがもらえる」という形のごほうびの与えられかたになりますので、これは「最も維持されやすく、消去されにくいパターンの部分強化」ということになってしまうわけですね。
時おり、パニックへの対処法として「徹底して無視すれば起こらなくなる」といったタイプのアドバイスを見かけるのですが、無視だけで減らせるほどパニックの問題は簡単ではありません。
無視して「消去」しているつもりが、たまにやむを得ず与える「ごほうび」によって、最も面倒なタイプの「部分強化」になってしまう可能性が高いでしょう。
ですから、パニックのような問題行動への対処は、「環境づくり」でパニック自体を起こりにくくすること、そして「代替行動への切り替え」によって新しい行動を学習させることで解決することが必要になってくるわけです。
参考図書
おかあさん☆おとうさんのための行動科学(レビュー記事)
行動分析学入門―ヒトの行動の思いがけない理由(レビュー記事)
発達障害のある子の「行動問題」解決ケーススタディ―やさしく学べる応用行動分析(レビュー記事)
(次回に続きます。)
いつも役立つ記事をありがとうございます。
これからも、どんどん投稿していってください。
楽しみにしています。
コメントありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
覚えてないとは思いますが、加配保育士をしています。
職場でまさにこの話をしていますが、なかなかだめですねー。
私の勤める保育園は市全体で加配を要する子への持ち上がり担当には否定的で進級と共に担当がかわってしまいます。(涙&怒)
今の園の職員はもうすっかり、私の行動療法的アプローチを認め・受け入れてくださり、学び、取り組める事から取り組んでいこうとして下さっているんですが・・・・
去年受け持った子が、もう既に退行してしまい・・いや、それ以上に酷い事に・・現担当者も自分の対応の悪さからと認識していて、相談を毎日のように受けるんですが、毎年これの繰り返しです。頼むから卒園迄担当させてとお願いしてもダメです。
それどころか、私には「とっても大変、他の先生では無理という手付かずの新入園児を見て落ち着かせて貰わないと・・」と言うんですよ! それって、なんだか今担当している子を思うと、納得できないんです。
なんか、記事へのコメントでは無くなってしまいましたね。すみません。
コメントありがとうございます。(以前コメントいただいたこと、覚えていますよ!)
コメントいただいた内容、切実なものがありますね。
ABAによる(だけじゃないかもしれませんが)療育、支援の最大のポイントは、「対応する相手や状況が変わっても、常に同じ対応がとれること」ですよね。
これができないと、支援の効果が上がらなくなったり、自分の手を離れた途端に退行したりといった問題は避けられないと思います。
ただ本来は、「継続的な支援・療育」ということでいえば、親御さんこそがABA的なやり方を理解し、実践していくことが重要なのでしょうね。
そういった方に、このシリーズ記事のようなネットでの情報が少しでも役に立てばいいな、と思っています。
私の中では般化を卒園迄にと考えているので一年での担当代えは毎年の悩みです。
しかし出来る限りの条件の中で出来る限りの事をと思い園では、このやり方が、果たして良いのかどうかわからないのですが、効果があると私なりに感じているので行っている事かあります。
私が本児にダメと注意した後は、その時すぐに必ず周りにいる先生(年次が違う先生だろうとだれかれかまわず)に、「ねーこれってやっちゃダメな事ですよねー」と聞き、本児に「そう、ダメだよ。」って言って貰っています。その後、「どの先生も同じ事いうね。これはお約束ごと!決まり!決まりは変わりせん。みんな、どの子も守る決まりです。」と話しています。
それ以降、今度は、どの先生にも頼んで、他児と同じ様に注意すべき事に関しては見逃さずに注意して貰います。当然の様に泣いたり怒ったり始まり、注意した先生は困りだしますが、後から私が出て行き「決まりは、変わりません。どの先生の言う事も聞くんだったよね。この先生のお話を聞いて」と話すと、数分で泣きやめれますし、泣き止むまで必ず待ち終わらせません。。誤るetc.を他児と同じ様に、必ずその先生に対応して頂き終わらせています。もちろん最上級の「すごかったねー守れたねーetc.」の褒め言葉、抱っこ、というご褒美の嵐がその場にいる沢山の保育士から貰える事は言うまでもありません。
という事を回を重ねて行くと一年を終える頃には、みんなが守るべきルールに関しては、誰の言う事でも、注意でも聞けるようになっているんですが・・・。(うまく内容が伝わっているでしょうか?)
ところが進級し、担当が代わると「今は環境が変わり本人も対応しきれず、不安定な時だから厳しくするとかわいそう」と、おおもとのルールすらなかった事にしてしまい、スタートしてしまうんですよ。
もう、どうにも手がつけれません。
親御さんも、この子一人の場合は、私からの対応に関しての色々なアドバイスを聞き入れ、比較的実行してくださるんですが、姉妹のある方は、やはりそちらのお子さんにも支援がいる場合がほとんどで・・・・物理的に無理ですし、見ていて無理だろうもっと大きな枠での支援をしてあげて、この家族には、と心が痛みます。
もちろん訴えてはいるのでですが、本当にどうしていいのやら・・・。
この市の支援システムは、本当に遅れています。
コメントありがとうございます。
まあ、何事にもパーフェクトはありませんから、皆が自分にできる範囲のことをしていくしかないんだろうな、とは思います。
私自身が障害のある子どもの親なわけですが、多くの支援者の方が、制度や個人の力及ぶ範囲の限界があるなかで頑張ってくださっていることには本当に感謝しています。
そして、そういった支援のなかで、理想どおりとは言わなくても、少しずつでも前に進めていければ、家族としても本人にとっても、十分に得るものはあるんだと思っています。
私が住んでいる地域も、非常に規模の大きなところですが、制度的に必ずしも充実しているとはいえません。
が、そういう限界も含めて「地域で生きていく」ということなんだと自覚しています。
はい! がんばり過ぎずに、がんばって行きます。