2007年01月04日

心理学について(3)

前回は、心理学のうち、「実験心理学」について、私が感じていることを書きました。
今回は、より自閉症療育にも関係が深いと思われる?臨床心理学について書きたいと思います。

臨床心理学とは、読んで字のごとく、「実際に現場で活用する心理学」のことを言います。
ここでいう「現場」とは何かといえば、教育・福祉・医療・司法などの分野における、心理的障害を抱えている患者の治療、障害まではいかなくても心理的問題のある人へのカウンセリング、発達障害児の障害判定と治療的教育(療育)といった領域です。
このうち、実際に「治療」を行なうのは医学の世界になりますが、その前提になっているのは臨床心理学と同じ基盤だといっていいと思います。

前回も書いたとおり、臨床心理学というのは、究極的にいえば、現場にいる「問題を抱えた人」の問題改善に役に立つこと、それだけが目的です。
どんなに科学的な合理性があっても、現場の役に立たなければ臨床心理学としては失格ですし、逆に理論が必ずしも科学的に構築されていなくても、多くの人の問題改善に効果があれば、臨床心理学としてはうまく機能している、ということが言えます。

だとすれば、臨床心理学はオカルトでもいい、ということなのでしょうか?
それは少し違います。

例えば、私が以前「コミュニケーション療育の第一歩」として記事を書いたアニマルセラピーを例にとって、臨床心理学に求められる「科学性」について考えてみます。
アニマルセラピーに関する、以下のような意見を考えてみましょう。

1) 動物と触れ合ったグループは、触れ合わなかったグループよりストレスマーカーの値が30%軽減した
2) 自閉症児10人を対象としたアニマルセラピーの結果、5人の子どもで目線が合う時間が長くなった
3) 自閉症児10人を対象としたアニマルセラピーの結果、8人の子どもの親が「改善があった」と報告した
4) 自閉症児○○君はイルカと触れ合って、ことばが出るようになった
5) イルカは自閉症児には特別に近づいて愛情を示してくる
6) イルカの超音波には脳に働きかけ自閉症を治す効果がある


非常におおざっぱな言い方になりますが、1)はかなり「科学的」です。実験群と統制群がちゃんと分けられ、比較されています。追試も容易でしょう。
2)は統制群がないという問題がありますが、客観的に追試することが可能であり、まずまず「科学的」だと言えるでしょう。
3)になると少し怪しくなります。親の印象は「客観的事実」ではないですし、「セラピーで良くなるはずだ」というプラセボ効果(「良くなる」と期待するだけで実際に良くなる現象のこと)も否定できません。
4)はエピソード主義であり科学的ではありません。私が、1000人の自閉症児に「手かざしセラピー」をやったら、たまたま1人くらいはその翌週からしゃべり出すかもしれませんが、その1人だけを抜き出して「こんな効果があった!」と言っても、科学的でないのと同じです。
5)や6)はまったくのナンセンスです。もちろん、可能性はゼロではないでしょうし、実際にそう見えたり感じたりすることがあるかもしれませんが、検証・反証ができず「信じる」ことしかできない分析は、「科学」ではなくてオカルトです。

つまり、仮にある臨床心理学の「理論」が完全には科学的に説明できないとしても、「効果」については、上記の例でいう1)や2)のような実験によって客観的に証明することを目指さなければならない、そうでなければ「心の科学」とは呼べない、ということです。
逆にいえば、客観的に追試できる「効果」が出ていれば、そのやり方は臨床「心理学」として存在しうると考えています。

では、現在のカウンセリング系の「臨床心理学」がそのような意味で「科学」として成立しているかというと、実はけっこう微妙なのではないか、と思います。
個別の患者への対応と科学的な実験は両立しにくいのは確かですが、上記の例でいうと4)のエピソード主義での「効果の証明」に留まっている理論が多いのではないか、という気がします。

また、最近は、どんな問題も「心の問題」として捉えてしまうような、悪しき「心理主義」といった傾向が広がっている気もします。
例えば、不登校の生徒に「心のケア」を与えるという考え方は、なぜ子どもが不登校になったのかという学校側や社会の問題をそのままにして、問題を個人の心に閉じ込めるという圧力を持ちます。
この辺りについての考察は、以下の本が興味深いでしょう。

 
心を商品化する社会 / 「心の専門家」はいらない
小沢 牧子
洋泉社新書

ただ、発達支援の療育という私たちにとって最も関心の強い領域についていえば、カウンセリング系の臨床心理学よりはずっと「科学的」な傾向が強いと言えます。実際に療育して効果を測定するといった実験も、当たり前のように行なわれています。
その傾向が最も強いのが、ご存知のとおり応用行動分析学(ABA)なのですが、ここまで徹底してしまうと逆に、「実験心理学」の話題で触れたような科学性を目指すがゆえの方法論的な限界が容易に出てきてしまうのも事実で、難しいところです。

(次回に続きます。)
posted by そらパパ at 23:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 理論・知見 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「心理学について」シリーズ、楽しく読ませていただいてます。臨床心理士の者です。ご指摘の点は、私もかねがね内心感じている点です。日本の臨床心理学がかなり、エピソード主義、単一事例による類推に傾きがちなのは、内部にいる(辺縁ですが)ものとしても感じています。が一方で、臨床的介入の効果の検討(医学では、RCT(比較対照治験)が当然のように行われ[行われすぎ?]、そこで、意味のある介入が実証されていますよね。)が行われているのは、心理学では、行動主義的立場で、そこでは、主体の内的モデルを、方法論的にしろ、問わないので、それもまた、行き過ぎだと思います。
 セラピストの事例への思い入れ過剰・主観過剰も困るし、かといってあまりにも外的操作とその結果の重視だけもやや極端な感じなんです。
 認知療法的立場も最近登場してますが、率直に感じるのは、やや古典的な認知モデルに基づいていて、限界が少なくないきらいがあります。ただ今後は発展していくとは思いますが。
 このシリーズに関しては、私の実感を明確にご指摘いただいて、ありがとうございます。そうなんだよなと思いながら読んでいます。お忙しいとご推察しますので、リプライは無用です。
Posted by こうちゃん at 2007年01月06日 01:07
こうちゃんさん、こんにちは。

今回のシリーズは、実際にはかなり前(4か月くらい前)に書いたものの、自閉症の話から少し離れたものになっていたために掲載する機会を逸してしまっていたものです。
(今回、「新春企画」と無理やりこじつけて(笑)掲載しています。)

私は研究者ではありませんので、心理学についての印象は書籍などを読んだ上での外から見たものがほとんどです。それが本当に実態に近いものになっているのかどうか分かりませんが、「心理学という学問が目指した『近代科学』それ自体が崩壊しつつある中で、心理学の目指すべき道筋が見えない時代に突入しつつある」という危機感は感じています。
Posted by そらパパ at 2007年01月07日 22:46
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