それは、子どもに限らず、ヒト全般を見る=観察するときの「見るべきポイント」を常識的な位置からシフトさせる=ずらす、という点にあります。
私たちは、他人を観察するとき、何よりまず「内面の動き」を第一に考え、内面の状態とその変化が、行動となって現われているという風に考える傾向があります。
このような、「人はいろいろなことを考えたり感じたりする『内面』があって、行動というのはその内面の動きが現われたものである。だから、人と接するときには、その人がどんなことを考え、感じているのか、あるいはどんな信念を持っているのか(つまり「内面の動き」)をそのときそのときで推測し、その『内面』に働きかけるのがいい」という考えかた、人との接し方を、ここでは「内面モデル」と呼ぶことにします。
こういった「内面モデル」は、日常生活のなかで人間関係を円滑に処理するためには有用であることが多いでしょう。
だからこそ私たちはそういう考えかたを身に着けているわけです。
ですが、社会とのかかわり方それ自体に困難を抱える自閉症のお子さんとかかわるときや、特に難しいビジネス上での人材活用・交渉ごとにおいては、あまり役に立たないことが多いと言えます。
なぜでしょうか?
それは、「内面は目に見えないから」です。
内面は見えないので、私たちは「他人の内面」を推測することしかできません。
そしてその「推測」は、どう頑張っても自分自身の内観(自己の「内面」をふりかえって洞察すること)によって得られる枠組みから逃れることはできません。要は、他人のことを「自分とだいたい似たようなことを考えている人」と想定して、他人の内面を推測して他人の行動を理解しようとするのが「内面モデル」による他者の理解ということになります。
ですから、「内面モデル」というのは「自分とある程度よく似た考えかた・価値観・感情を持っている他人」を相手にする場合、あるいは「個々人の細かい違いが問題にならないような、当たり障りのない無難な話題・問題」を取り扱う場合にしか有効性を発揮できないのです。
一方、例えばビジネスの場面において、文化の異なる外国人と交渉したり一緒に仕事をしたりする場合、あるいはいつの時代も「新世代」と呼ばれるような、大幅に年齢の違う若手社員をベテラン社員が指導する場合のように、「自分と考えかたが似ている」という前提が成り立たないケースの場合、「内面モデル」では「想定外の相手の行動」によって、失敗する確率が高くなります。(詳しくは述べませんが、そういう問題を乗り越えるための方策として、ビジネスシーンでもABAが活用されることがあります。)
ひるがえって、自閉症児の療育はどうでしょうか。
自閉症という障害の本質は、「社会(外界・環境)とかかわることの困難」にある、というのが、私の考えかたです。
それは言い換えると、社会(外界・環境)とのかかわり方がうまくいっておらず、当然に私たちとはそれらへの「かかわり方」がまったく違う、ということになります。
こうなると、「内面モデル」はうまくいきません。
「社会(外界・環境)とまったく異なるかかわり方をする人」の「内面」は、推測することが非常に難しいからです。
特に、重い自閉症児と生活していると、「子どもが何を考えているのか全然分からない」というとまどいを感じることが多いと思います。
私自身も、子どもが自閉症だと診断され、かかわっていかなければという焦りを感じつつ、こちらの働きかけにもほとんど意味のありそうなリアクションが返ってこない娘をみて、どうしたら娘のことが理解できるのだろうかと悩んだ日々がありました。
ここで、あくまでも「内面モデル」にこだわろうとすると(というか、それしかやり方を知らない場合)、苦難の日々が待ち受けることになります。
例えば、子どもと同じ目線まで下りる、子どもがやっている常同行動を一緒にやってみる、あらゆる子どもの問題行動を受け入れ、ひたすら見守り続ける・・・そんな努力のなかで、「子どもの内面」を疑似体験しようとし、何とか理解しようとするわけです。
でも、どんなに頑張っても「子どもの内面」は見えません。そして、結局「内面モデル」は「自分自身の内観」の枠組みを乗り越えることはありません。
ここで、このような限界をもつ「内面モデル」に見切りをつけ、まったく違う考えかたを私たちに提供してくれるもの、それこそが「ABA」なのです。
断言しましょう。自閉症療育において、ABAを学び実践することの最大のメリットはこの「新しい考えかた」にあるのであって、ABAの「テクニック」は、それに付随する「おまけ」にすぎません。
自閉症療育が難しいのは、自閉症という障害自体が「かかわること」の困難であるために、「子どもとかかわる」療育という営みそれ自体がその障害によって難しくなる、という「にわとりと卵」の構図になっているからです。
そして、その「子どもとかかわる」ことをさらに難しくしてしまうのが、障害をもった子どもの(恐らく全然私たちとは違う)世界観を、「自分自身の世界観」で推測するという、無理のありすぎる「内面モデル」です。
繰り返しになりますが、「内面」は目に見えません。
哲学的に考えると、そもそも「内面なんてあるのか(ないかもしれない)」という議論だって可能なくらい、あやふやなものです。
目に見えないので、私たちが想像する「他人の内面」が正しいかどうか、検証することもできません。
ましてや自閉症児の療育の場合、「検証」のための手がかりとなる「こちらの働きかけに対するリアクション」も不十分になりがちなので、ますます検証が難しくなります。
検証が難しいということは、「間違ったことをやっているのに、正しいと勘違いしてしまってそれが修正されない」リスクが高くなる、ということにつながります。
だから、こんな「使えない」内面モデルは捨ててしまって、違うやり方で療育をやりましょうよ。
その方が、ずっとラクだし、効率もいいですよ。
ついでに検証もできるようになるから、間違ったことをやっていればすぐに分かって軌道修正も簡単ですよ。
そういう「提案」をしてくれるもの、子育てや療育への考えかたをガラリと変えて毎日をラクにしてくれるもの、それこそが「ABA」なのです。
参考図書
おかあさん☆おとうさんのための行動科学(レビュー記事)
行動分析学入門―ヒトの行動の思いがけない理由(レビュー記事)
発達障害のある子の「行動問題」解決ケーススタディ―やさしく学べる応用行動分析(レビュー記事)
(次回に続きます。)