2006年05月23日

「鏡の療育」を改めて考える(2)

発達の最初期の子どもに対する、最初の一歩とでもいうべき最重要課題は、「世界」と「自分」との「相互作用」への気づきである、という話を前回書きました。

ここでいくつかの単語にカッコをつけたのは、意味があってのことです。
これら3つの要素(世界、自分、相互作用)は、それぞれが相互に関連しあって「気づき」に至ると考えられるからです。

「世界」とは何であるか考えてみます。
突きつめて考えていくと、下記のように、「世界」というのは、「自分」ということばを使わずに説明するのは非常に難しい概念だということが分かります。

・「世界」とは、自分の周辺に広がるものである。
・「世界」とは、自分でないものすべてである。
・「世界」とは、自分が働きかけることによって操作できるものである。
・「世界」とは、自分がその中に含まれる環境である。


「世界」が自分とは無関係な絶対的・客観的存在として最初から「そこにある」と考えないで下さい

そういう考え方は、世界に対する経験を豊富に積み、ある種の「認知の枠組み」を身につけた私たちだからこそできるのです。
もちろん世界は現実に「そこにある」のですが、目の前にいる子どもにとって「そこにある」ようになるためには、何より「そこにある、と気づく」ことが必要なのです。

発達の最初期段階にとどまっている自閉症児は、まったく未分化の混沌の中で、近接した刺激に対する瞬間瞬間の反射ないし反応を繰り返しているだけの存在だと考えられます。

そして、その混沌から抜け出し、「世界の広がりへの気づき」や「対象物への操作(働きかけ)」といった段階に到達するためには、未分化な刺激の塊を何とかして意味のある単位に切り分け、それぞれの関係性を整理していくという、ゼロから始めることを考えると気が遠くなるような飛躍的発達が必要になります。

そのような「意味のある単位に切り分ける」ための最初の一歩とは何かと考えれば、つまるところ「自分と自分以外に切り分けること」に他ならない、と考えられるのです。

この「切り分け」に成功した瞬間に、未分化の刺激の塊が、「世界」と「自分」という分化された意味のある空間に変わっていきます。
世界が「空間」である、という認識も、私たちがいま(このブログを読みながら)感じるような状態で生まれながらに獲得されているものではないのです。そして、自閉症児は、こういった当たり前の世界の「見え」にすら障害を抱えている可能性も高いのです。(こちらの記事も参照ください)

それでは、子どもが「世界」と「自分」との切り分けに成功するきっかけは、何でしょうか?

その気づきのきっかけになるのが「相互作用」、働きかけと結果との関係性だと考えられます。
「自分」が「世界」に何かをすると、「世界」が変化したり反応したりする。この関係性が繰り返し提示されることで、やがて、行動主体としての「自分」と行動を受け取り変化する存在としての「世界」という切り分けへの気づきが生まれるのです。

これは、言い換えると世界と自分との二項関係への気づき、ともいえるかもしれません。
つまり、「世界」に気づくというのは「自分」に気づくということであり、そのきっかけとなるのは世界への働きかけとそれに対する反応、つまり「相互作用」である、ということです。

この三者は分かちがたく結びついており、A,B,Cといったように順番に気づいていくものではありません。「自分による世界への相互作用」という大きな認知の枠組みへ全体として徐々に近づいていき、ある瞬間にぱっとピントがあって像を結ぶ、そういったものであると考えられます。
なぜなら、繰り返し書いているとおり、「世界」は「自分」との対比によってしか存在せず、その「世界」が存在することを実感するには、「自分」がその世界に働きかけ「相互作用」が起こることを体験する以外にないからです。

この「気づき」があって初めて、世界にある対象物に「注目する」とか、おもちゃを機能的に「操作して」遊ぶとか、こちらの要求に「応じる」といった行動が意味のあるものとして現れてくるのだと考えられ、これこそが、太田ステージでいえばStage-I-1とかStage-I-2あたりにあるような、最もシンプルな課題に取り組むための最低限の素地(レディネス)だと言えるのです。

いわゆるABAの早期集中介入も、最低限このような「混沌からの脱出」を経ていないと、いくら「早ければ早いほどいい」と言っても、実際には有効に機能しないと私は考えます。
そして、その「混沌からの脱出」自体は、ABAのフォーマルトレーニングで身につくものではないでしょう。むしろ逆に、トレーニングの「前提」となるべきものです。

では、その極めて重要な発達課題である「世界と自分との相互作用への気づき」を療育するためには、一体どうしたらいいのでしょうか? ということを考えてみます。

(次回に続きます。)
posted by そらパパ at 22:00| Comment(2) | TrackBack(0) | そらまめ式 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ゲシュタルトでいう図と地の分化でしょうか?
当初は自分の体を含むすべてが地なんでしょうかねぇ
Posted by 通りすがり at 2007年05月23日 01:10
「通りすがり」さん、

そうですね、ゲシュタルト心理学がいうところの図と地というのと、ここで語っている世界と自分というところには相通ずるものがあると思います。
Posted by そらパパ at 2007年05月23日 23:48
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