
↑「鏡の療育」イメージ画像(笑)
この療育法は、まだ娘の状態も今よりもずっと悪く、また自分自身、療育のやり方を手探りで模索している頃に私が独自に考え出したものでしたが、その後のいろいろな経験や勉強の中で、この方法が当初考えていた以上に、理にかなっていて有効な療育法である可能性が高いという認識を持つに至りました。
そこで、この「鏡の療育」について、これが自閉症児のどういうスキルに働きかける療育法なのか、なぜそれが療育法として有効だと考えられるのか、そういった療育理論的な側面から改めて考えてみたいと思います。
自閉症についての療育の方法論の中で、最も遅れているといえるのが発達の最初期における療育に関する部分ではないでしょうか。
例えば、課題によるトレーニングを最も体系的に整備したものの1つである太田ステージの課題事典である「認知発達治療の実践マニュアル」をみても、Stage-II、Stage-IIIといった、「課題らしい課題」ができるようになった後の課題は充実しているものの、自閉症児のかなりの割合(特に幼児期)が含まれると思われる「ことばが理解できない」という段階はまとめてStage-Iに押し込まれており、課題数も少なめです。
さらに、指差しなどができなければStage-I-2、泣いたりパニックしたりするだけでクレーン等もない(娘の障害に気づき、療育に取りかかった頃はこの状態でした)場合はStage-I-1という発達段階とされ、「大人が動かすものを目で追う」とか「道具を使う」といった、極めて限られたバリエーションの課題が用意されているだけです。
しかも、です。
このStage-I-1という最も下に設定された発達段階のために用意された課題であっても、実際の自閉症児(具体的には自分の娘)と向かい合ったとき、実際には「現状はそれより下にいる」という実感をもたずにはいられませんでした。
大人が動かすものを目で追うためには、じっとして大人がこれからやろうとすることに最低限の注目を払うことが必要でしょうし、道具を使うという課題を、何を与えてもなめたり眺めたりするだけの(しかも目も合わず近づくと逃げてしまう)子どもに行なうのは、かなり難しいことです。
つまり、本当に発達段階の最初期にいるような、「何から手をつけていいか分からない」ような子どもに対しては、このように何か道具を使って特定のシチュエーションでトレーニングするといったアプローチは難しすぎる、ということなのです。
このような問題は、太田ステージに限らず他の療育法においても本質的には変わりません。
TEACCHは、端的にいえば課題や自活スキルを習得させるための環境への働きかけ、枠組み作りであり、最初期の発達段階の子どもへのアプローチ方法を提案するものではないと考えられますし、こういった状態の子どもに福祉行政サイドからしばしば提供される遊戯療法的なアプローチは、実際には子どもの発達を促進する効果は極めて薄いと考えられます。
それでは、ABA、特に「早期集中介入」のような、幼い子どもに特化したとされている介入技法についてはどうでしょうか?
私は、これについても懐疑的です。
このような極めて低い発達段階の子どもに対するABAは、問題行動のコントロールには即効的な効果を持つ可能性がありますが、ロヴァース的早期集中介入のような、いすに座って課題をやらせるといった方向性のトレーニングが適切だとは考えられません。
私からみると、まだ世界のことを決定的に何も分かっていない子どもに、無理やり「分かっているかのような行動を(動物の芸のように)習得させる」という不自然さを強く感じます。
ABAの有効性を否定するつもりはありませんが、それでも、外界の対象物にある程度適切かつ自主的に働きかける、という行動すら形成されていない段階で、「適切な行動」を行動レベルで教え込むことが有効なのか、あるいは効率的なのか、と問われれば、否定的だと考えざるを得ません。
つまり、この段階の子どもにとって最も重要なことは、「世界」と「自分」との「相互作用」への気づきなのです。
それを実現するための、全く違った角度からの「早期介入」は考えられないでしょうか? それが、私の考えの出発点でした。
※今回触れていませんが、自閉症児への最初期の療育として、「感覚統合訓練」が考えられます。これについては後の記事で触れたいと思います。
(次回に続きます。)
娘さんを育てながら自閉症の本質を掴もうとする態度に、共感するとともに、何と言うか、うまく言えないのですが、リスペクトすると同時にミッションを強く感じます。
鏡の療法というアイディアについて、私も、以前から漠然とした感じを抱いていました。どのように展開されるのか、わくわくです。
抱っこ法に関しては、私自身、十数年前、阿部秀雄先生から、直接抱っこされ!、療法の枠を越えた貴重な体験(感化というのかな?)だったことを思い出します。自閉症の本質が解明されてゆくならば、「認知面からのアプローチ」と「情緒面からのアプローチ」は、やがて統合されるんではないかと思っています。
偶然、大学で心理学を学んでいた私がこういう立場(自閉症児の親)におかれたということには、運命的なものも感じます。
自閉症の本質については、ここ2、3か月で少し何かを掴みかけているような感覚もあります。 少なくとも「ABAだけでは絶対ダメだ」ということや、「心の理論」のような認知的アプローチにも落とし穴があることははっきりと分かってきています。
「鏡の療育」も、「抱っこ法」のように、療育理論として体系化できないだろうか、といったことも考えています。
今回のシリーズ記事は、その試みの一環でもあります。
楽しんでいただければ幸いです。
前の家にはあったんですけどね。
赤ちゃんの頃から、鏡が好きでした。
自分を見つけて、ゲラゲラ笑っていました。
懐かしい~。
「影」はどうですか?
ピヨくんが影の存在に気が付いたのは、3歳頃だったと思うんですが、走っても追いかけてくるのがおもしろくて、後ろを向いて走ったりします。
自分が手を上げると、影も手をあげますよね。
それが、おもしろいみたいです。
ピヨくんは、踊りが苦手です。
下の子(1歳8ケ月)は、テレビを見て、そのマネをして上手に踊ります。
ピヨくんは、自分の体をどう動かしたら、テレビと同じになるのか感覚がつかめていないのかもしれません。
まぁ、私も苦手ですけど。
写真のそらまめちゃんが持っている本、うちにもありますよ。
やっぱり、表紙が取れてますね(笑)
これ、歌とカラオケがあっていいですよね。
これで、随分と歌を覚えました。
鏡よりも抽象化されている反面、しゃがんだら「触れる」という面白い特徴もありますね。
でも、最大の問題は室内に自由に作ることができないことでしょうか。昼間に部屋を暗くしてスポットライトを当てるわけにはいかないですからね(笑)
この写真で娘が手に持っているモジュール絵本は、今は隠してしまいました。あまりに夢中になって他の遊びや活動をまったくやらなくなるので・・・。