自閉症児の親は、本ばかり読んで頭でっかちな自閉症評論家みたいになったらいけない。そんなことより、目の前の子どもに愛情を注ぎなさい、と。
これが絶対的真理だとすると、本を大量に読んで自閉症の原因について考えている現在の私は、まさに自閉症児の親失格だということになってしまいます。
もしかすると、そうなのかもしれません。
でも、私は私なりに、そうでないと信じているからこそ、今のやり方でやってきているわけですし、このブログにも、あまり親っぽくない?記事を書きつづけています。
というわけで、ゴールデンウィークでもありますし、この辺りをトピックにして、ちょっとエッセイっぽいことを書いてみようかと思います。
自閉症児の親にとって、何が一番優先されるべきことか。
それはいうまでもなく、子どもを療育することでしょう。
だからこそ、本ばかり読んでいないで子どもと向き合いなさい、といった声があがるのだと思います。
でも、自閉症児の療育、と一言でいっても、そこには越えなければならない壁が厳然と立ちはだかっている、と私は思うのです。
自閉症児の親なら誰でも経験していることだと思いますが、子どもが自閉症だ(かもしれない)と分かって、じゃあ何をすればいいのか、しっかり教えてくれる存在がどこにもいないのです。
そもそも、自閉症とは何か、ということさえはっきりと分かっていません。
これこれこういう症状をもっているのが自閉症だ、とか、あるいは全部の症状が揃っていなくても自閉症「スペクトラム」だ、とか、アメリカの、あるいは国連の基準によるとこういうのが自閉症だ、といった話をいくら聞いても、自分の子どもがどんな障害を持っているのかはさっぱり分からないのです。
自閉症の障害とは何か、という問いに、自閉症の症状はこうだ、という答えを返しても、それは本質的な答えになっていないのです。
しかし、そもそも自閉症というのが、原因や障害の本態が不明で症状によって定義されている以上、医者は症状による定義以上のことを語ることができません。
原因も障害の本態も不明であるがために、療育も手探りで行なうほかありません。いくつかの定評ある療育パラダイムは存在しますが、それを提供してくれる環境が絶対的に不足していて、多くの場合は定期的な発達相談レベルの福祉サービスを受けられるに留まります。
かくして、自閉症児の親は、「何かしなければならないはずなのに何をすればいいのか誰も教えてくれない」という状況に陥るのです。我が家も基本的にはそうでした。
しかし、こういったことは、(話の方向が変わりますが)実はビジネスでもしょっちゅう起こることです。予想もしなかった新しい状況が突然降ってわいてきて、今すぐ対応しなければならない。でもどうすればいいか誰もはっきりとは分からない。
そんなとき、優秀なビジネスマンであれば、当面の対策を即座に打って当座をしのぎつつ、根本的な対策を中期的に検討して、その成果を徐々に導入していくという方法をとるでしょう。短期的な成果と中長期的な成果、どちらもなおざりにするわけにはいきません。
ここで、確実な対応策が分からないからといって手をこまねいていれば傷口が大きくなって取り返しがつかないことになりますし、逆にその場しのぎのやり方を長く続けていれば、やがてその問題を研究し尽くした競争相手に出し抜かれてしまいます。
私が娘の療育という問題に直面して考えたのも、(優秀かどうかは別にして)同じことでした。
つまり、当面は、定評のある療育法なり、自分の心理学の知識で意味がありそうな療育法をどんどん試していって(行政の福祉サービスをのんびり待っているわけにはいきませんし、それが与えられたとしてもそれだけでは絶対量が足りないに決まっているわけですから)、それと同時に自分なりに極められるところまで自閉症について勉強して、よりよい療育法を研究し、徐々に導入していこう、ということです。
冒頭の「本ばかり読んで評論家になるな」というのが、当面の対策(療育)もやらずに自閉症の勉強なんてしていても子どもは育ちませんよ、という意味だとすれば、それはまったく正しいでしょう。
そして、当面の対策を打ちながら勉強するのであれば、勉強しないよりもした方がいいに決まっている、と思います。
ただ、「評論家になるな」というニュアンスは、もう1つ別の意味も持っているように思います。それについては次回書きたいと思います。
(次回に続きます。)
参考:自閉症について知るためのおすすめ本(レビューがあります)
自閉症児の保育・子育て入門
虹の架け橋―自閉症・アスペルガー症候群の心の世界を理解するために
自閉っ子、こういう風にできてます!
※その他のブックレビューはこちら。