(2)アイデア2:こちらからの指示を教える(続き)
b.ステップ2:子どもがその指示を守ると「ごほうび」がもらえるような指示(続き)
前回の記事で、こどもの要求してきた絵カードをサイズが大きめの「まってカード」に貼り、ちゃんと待てたらその要求をかなえるという「まってカード」をご紹介しました。
この「まってカード」のように、他の絵カードを貼ることのできる大きめのカード(ある意味「メタ絵カード」ということになりますが)のさらなる応用例として、「ごほうびカード」というのが考えられます。
「ごほうびカード」というのは、ABAにおける、いわゆるトークンエコノミーと呼ばれるしくみを応用したものです。
トークンエコノミーというのは「代理貨幣」とも呼ばれますが、要は、「ポイントカード」のように、何かいいことをしたらごほうびにシールがもらえて、シールが一定数に達すると好きなものと交換できるといったしくみのことを指します。
このトークンエコノミーのしくみを、「ごほうびカード」として、絵カード療育に導入してみます。(なお、トークンエコノミーを成立させるためには、ある程度のコミュニケーション能力が前提となると考えられ、試してみて難しいと感じた場合は無理に導入すべきではありません。)
「ごほうびカード」は「まってカード」と同様、他の絵カードが貼り付けられるよう、やや大きめで、表側にマジックテープを貼り付けた小さめの掲示板のようなカードです。さらに「ごほうびカード」の場合、「よくできましたシール」を貼ったりはがしたりできる「枠線」を追加します。
子どもが絵カードで何か要求してきたとき、または子どもに、何か課題となる行動へのごほうびとして何か与えようと考えたとき、「ごほうびカード」に、与えようとするアイテムの絵カードを貼り、課題となる行動をやらせます。課題行動が終わるたびに「よくできましたシール」を「ごほうびカード」に貼っていき、シールがいっぱいになったら、貼られた絵カードに対応するアイテムを子どもに与えます。
c.ステップ3:子どもに「NO」を伝えるような指示+代替行動の提案
もっとも難しいタイプの指示だと思います。
先ほど「ダメカード」というのは最悪のカードだといいましたが、それでも、絵カードの使用が高度化してくれば、導入する余地はあります。
それは、これまで他の療育関連の記事でも書いてきたとおり、「代替行動とのセットでNOと言う」というやり方です。
これなら、子どもが欲しいものそれ自体ではありませんが、代替のものや代替の活動を提供することができますから、ただ単にNOを伝えることに比べると、「絵カードを使うと嫌なことがある」という関係を避けることができると思います。
ここでは、そのために使うカードの一例として「NO&YESカード」というアイデアを紹介します。
「NO&YESカード」は、2枚のカードを貼り付けることができるようなかなり大き目のカードで、一方にはバッテンがプリントされていて「NO」という意味を、もう一方にはマルがプリントされていて「YES」の意味をもっています。
ここで、例えば、子どもがおやつの絵カードでおやつを要求してきたときに、「おやつはダメだけどフルーツジュースならいいよ」というメッセージを伝えるために、子どもから受け取ったおやつの絵カードを「NO」のエリアに貼り付け、フルーツジュースの絵カードを「YES」のエリアに貼り付けて、それを子どもに見せたうえで、子どもにフルーツジュースの絵カードをはがして親に渡すように仕向け、親はフルーツジュースの絵カードを受け取ったうえでフルーツジュースを子どもに与えます。
(3)アイデア3:要求以外の表現を教える
アイデア2は親(養育者)から子どもへのコミュニケーションの幅を広げるためのものでしたが、もう一つの方向性として、子どもから親へのコミュニケーションを、要求の表現以外にも広げていくということが考えられます。
一般に、コミュニケーションのもっとも基本となる形態は「要求」だと言われています。ですから、絵カードによる療育も、「要求の表現」から始めているわけです。
そして、要求の次にくるコミュニケーションのタイプとしては「叙述(コメント)」があげられます。
これは、例えば目の前に犬がいるときに、近くにいる人に「犬がいるよ」と言ったり、親が「今日は学校で何があったの?」と聞いて、子どもがその日のできごとを説明するような、「自分が知っていること・気づいたことを他人に説明して、相手に理解・共感してもらう」というコミュニケーションのことです。
個人的には、こういった叙述のコミュニケーションは、こちらから一生懸命教える、という性質のものではないと考えています。
子どもの側に、叙述のコミュニケーションのニーズが生まれてきたとき、それこそ例えば犬を見て、指差しをしたりことばにならない声をあげたりして、近くにいる大人に犬がいることを伝えようとするとか、スケジュール表で、既に終わったイベントの絵カードをわざわざ親のところに持ってきて、そのイベントが楽しかったということを伝えるようなそぶりを見せるといったように、要求ではない叙述のコミュニケーションが子どもの側に芽ばえてきたと感じられたときに、初めて導入することを検討すればいいのではないかと思います。
(表現のニーズのないところに、コミュニケーションを「教える」余地はないのではないか、というのが私の個人的な立場です。)
(完)
「療育を「心の問題」にすべきではない」とのこと、確かに、「心」を持ち出してくると、何やらいろんなことが曖昧模糊として収拾が付かなくなってしまうような気もします(うまく言えませんが…)。
「私の愛情がなくなったから退行してしまった」と考えるのではなく、「愛情がなくなった故に適切な働きかけができなくなったから退行した」と考えればよいのでしょうか?
また、極端な話になりますが、子供に全く愛情を持っていないとしても、働きかけさえ適切なら、その子の能力を伸ばすことはできるのでしょうか?
今日、「そらまめ式絵カード療育」のシリーズを最後まで読ませていただきました。
まずは「要求のコミュニケーション」を教えることから始めるとのことですが、以前の息子は、そらパパさんが最後の段階として書かれている「叙述のコミュニケーション」が時々できていたのです(「パパ靴下穴開いてるね~」とか、「パパチェックの服着てるね~」とか、一時期は「ママのことが好き」としょっちゅう言っていました)。
残念ながら今はそういう類のことは一切言わなくなってしまいましたが、このような場合でも、やはり一番最初の段階(1つの場所に1枚の絵カードでの要求)から始めた方がよいでしょうか?
お忙しいところ恐縮ですが、またお時間のある時にお返事いただければ幸いです。
コメントありがとうございます。
レスが遅くなりました。
「心の問題にしない」ということは、そもそも「愛情がなくなった故に…」みたいなことを理由にしない、ということです。
また、退行自体は実は「発達」の1つの在り方である可能性もあります。(このあたりについては、拙著1冊目「自閉症」もしくは、当ブログの「一般化障害仮説」のシリーズ記事に書いていますが、ちょっと難しいので必ずしも読んでいただく必要はないかもしれません)
いずれにせよ、お子さんが「いまある状態」を素直に受け止めて、そこからどう改善していくかを行動ベースで考えていくのがいいのではないかと思います。
絵カードについては、「とりあえずはステップ1から始める」のが基本です。
もしステップ1が簡単であれば、すぐに習得してあっという間にステップ2、3と進んでいけるはずですので、時間の無駄にはならないと思います。