私自身にとってもちょっと想定外の展開ですが、先週もまた1つ、私たち親の予想をいい形で裏切る娘の成長を垣間見ることができた事件があったので、そのことを書いてみたいと思います。
娘は自分と私が家にいる日(=休日)になると、朝から私がパソコンを使っている部屋にやってきて近くでうろうろして、「おでかけしたい」オーラを出しまくります(笑)。
我が家の「おでかけ」には大きく2種類あって、1つは高速道路に乗って遠くまで出かけて、場合によっては夜まで外で過ごすような「とおで」と、もう1つは昼前に外出して近所のショッピングセンターで昼食&夜の食事等の買い物を済ませるだけの「かいもの」です。
娘はもちろん圧倒的に「とおで」が好きで、そうやってうろうろしているときに「なに?」と聞くと(娘は、「なに?」という問いかけに対するイントラバーバルで、結構いろんなことが答えられるのです)、いつも「とおで!」と主張します。
残念ながら遠くまででかけられないときで、どうしても答えてあげなければいけないときは、やむなく「とおで、ないよ」と答えるわけですが、そうなるといつも娘はパニックしてしまって、代わりに「かいもの」と言ったり絵カードを出したりして代替案を示しても、なかなかパニックは収まらず、ようやく収まったところで買い物に連れて行くとしぶしぶ付いてくるという感じです。
ただ、家にいるよりは「かいもの」の方がずっと好きですし、近場といっても一度出かけたら戻ってくるまで2時間くらいはかかるので、出かけてしまえばそれなりに満足して楽しんでいるようです。
先週土曜日のことです。
ちょうど台風が近づいてきていて、外は激しい雨と風が窓にたたきつけているような状態でしたが、そんな天候でも娘は相変わらず朝起きて朝食を食べると、さっそくパソコンの前にいる私の近くにやってきて、うろうろうろうろしています。
同じ部屋に課題の時間用の知育おもちゃがありますので、それを勝手に引っ張り出してきて遊んだりして時間をつぶしながら、ときどき私のすぐ近くにやってきて、「おでかけしたい」オーラを発散しまくるわけです。
娘はそんな状態で1時間くらい粘り強く待っている(その忍耐強さはそれはそれですごい)のですが、やがて、なかなか外出する気配がなさそうだ、と察知すると、プチパニックを起こし始めます。
この日も、そんな感じでちょっとパニックを起こし始めたところで、私は娘に「なに?」と問いかけました。すると案の定「とおで」という答えが・・・。
状況が分からずにパニックするよりは、(悪い状況でも)状況を理解したうえでパニックするほうがまだマシ、と考えているので、こういうときは私は「とおで、ないよ。」と答えます。
そして、いつものようにまたパニックするんだろうなあ、でも今日は「かいもの」も大雨だからちょっと行きにくいなあ、昼食は家にあるもので済ませようか、などと思って娘の反応をうかがっていると、娘はちょっとしたパニックは起こしたものの、ほとんど崩れることなく、その後すぐに驚くべき反応を返してきました。
「・・・かいもの。」
これには、本当にびっくりしました。
娘は、「とおで」ができないと悟り、そこでパニックで暴れるのではなく、気を取り直して、次善の案として自ら(こちらが提案すらしていないのに)「遠出ができないなら、近所で買い物でもいいからつれてって」と提案し、お願いしてきたのです。
私が記憶している限り、これまで娘が、Aを希望していてそれがかなえられなかったときに、自らAではないB案を提案してくるなんてことは、絵カードを使ったコミュニケーションも含め、一度もありませんでした。
それが、いきなり音声言語での「自主的な別提案」です。
私は感動して、娘には「よーし、かいもの、かいもの」と答え、さらにすぐに妻にこの話を伝え、「今日は外出しない予定だったけど予定変更。今日は『かいもの』に行こう。」と決めました。
もちろん妻もこの「事件」を喜び、大雨のなかですが買い物に出かけることに同意してくれました。
そして時間になり、絵カードで「かいもの」を伝えて娘を車へ。
娘はニコニコして車に乗り、ショッピングセンターではやはり大喜びで食事を済ませ、雨のなか、「かいもの」を満喫して帰ってきました。
私自身も、こんな当たり前の買い物に娘を連れて行くのに、こんなにワクワクした気持ちになったのは初めてでした。
こんな風に、娘とお仕着せでない(こちらの予想の範囲を越えた、サプライズのある)「コミュニケーション」が成立したことは本当に嬉しいことですし、先日の「いたい、と先生に言う」とか「歩きながらティッシュをゲット」などとも合わせて、娘の成長をあらためて実感できる素晴らしい「事件」でした。
「かいもの」で いいよと君が言ったから 10月30日は「かいもの記念日」
こういう嬉しいサプライズ、事件が続くと、療育にも熱が入りますよね。
なんか当たり前のことかもしれないことが大きな喜びとして感じられる、療育の醍醐味のような気がします。
そらまめちゃんのさらなる成長が楽しみです。
ご家族での、楽しそうな「かいもの」と食事の場面を想像して、こちらも幸せな気持ちになれました。
「別提案」記念日、ですね。
はじめてコメントを書きます。奈良県で特別支援学校の教師をしています。今は特総研の研修で神奈川にいるのですが、ここに来て初めてホームページを知りました。
一通りの記事を読ませていただきました。とっても勉強になります。ありがとうございます。
ABAやRDIなどの専門的なコメントはもちろんですが、今週先週のような「そらまめちゃん」のエピソードもとっても勉強になります。
これからも愛読させてもらいます。
皆さんコメントありがとうございました。
先週に引き続き、娘の成長を実感する嬉しい出来事が続いたので、思わず記事にしてしまいました。
また、「りんごのたね」さんのコメントで思い出したのですが、ツイッターで「サラダ記念日」をもじった短歌?を作っていたので、それを少し修正したものを記事に追加しておきました。(「かいもの記念日」)
ところで余談ですが、今回や先週の記事は、「エピソード」です。
ですから、ここから何か結論を導くことは難しいですし、あまり適切なことではありません。
そうではなくて、私が普段書いているようなより一般化された療育の方法論を実践してきた「結果」のひとつの現われとして、たまたま我が家では「いたい」と言ったり「かいもの」と別提案したりといった「結果」が生まれたんだ、とご理解いただければいいな、と考えています。
これからもよろしくお願いします。