自閉症の障害の本質が、知覚の恒常性の異常から定型世界観の獲得失敗に至るところにあるという仮説が正しいとした場合、自閉症児の療育をどのように進めていくことが考えられるでしょうか?
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参考:知覚恒常性障害仮説に基づく発達障害系統チャートと療育の着目点
まず必要なことは、自閉症児の発達段階や障害の現状をどのようにクラス分けするかを考えることでしょう。
そのために必要な判断基準は、次の4つの軸だと思います。
1) 感覚異常が現存しているか。
2) 知覚恒常性異常が現存しているか。
3) 認識能力の発達遅滞(精神遅滞)を併合しているか。
4) 知覚・感覚の可塑性が期待できるか。
まず、精神遅滞を併合していない、つまり、アスペルガー症候群の場合、一義的に必要なことは、定型世界観を「知識として」教え、また、その定型社会観を前提として成り立っている社会との関わり方をトレーニングする、ということになります。これはすなわち、ソーシャルストーリー・トレーニングということになるでしょう。
ただ、その一方で、感覚異常・知覚恒常性異常が残存しているかどうかということも重要です。
これらについて、単に「発達が遅れた」だけで、現時点では軽減しているのであれば、特段のケアは必要ないかもしれません。
しかし実際にはそうではなく、感覚異常で辛い思いをしたり、無秩序な世界しか見えていなくて混乱したりしているケースが多いのではないかと思います。
感覚異常に対しては、薬物療法も有効かもしれませんし、「タオルをかぶる」「サングラスをかける」「耳栓をする」などの工夫によって、過剰に入ってくる感覚刺激を調整する方法が考えられます。
また、知覚恒常性の弱さに対しては、TEACCHの「構造化」が役に立つはずです。構造化は、感覚に入力される情報を単純化することによって、知覚恒常性の弱い自閉症児が「世界」を理解可能なものにするために有効に働くのではないでしょうか。
一方、精神遅滞を併合している、いわゆる「(低機能)自閉症」の場合は、感覚・知覚の異常に加えて、さらにその後の認識能力にもハンディキャップがあるわけですから、療育が非常に大変なのは目に見えています。
ここでも、感覚入力に過剰な刺激を与えないように気を配りつつ、環境を構造化して、少しでも「世界」を分かりやすくする努力を重ねるという、TEACCHのアプローチが有効でしょう。
そして、そうやって感覚・知覚レベルでの環境を整え、「療育ができる」状態にしたうえで、発達が遅れている認知スキルの発達に地道に取り組んでいくという忍耐強い療育が求められるでしょう。
認知スキルを発達段階別に体系化した療育パラダイムとしては、「太田ステージ」があげられます。
なお、「太田ステージ」では、ある程度発達が進んだ後は課題の実施という形での取り組みが進めやすいのですが、StageI-1やI-2の初頭、つまりクレーンさえできるかできないかといった発達レベルでは、少し違ったアプローチも必要なのではないかと思っています。
そこで活用できそうなのが、私が提唱している「鏡の療育」や「抱っこ好きにする方法」「『ママは味方』メソッド」などです。
そして、このような精神遅滞を伴った自閉症児の場合、ことばを教える場合も、音声言語にはこだわらず、限られた知覚・認識能力の中でトレーニング可能なPECSを検討すべきでしょう。
そして最後に、知覚・感覚の可塑性の話です。
「可塑性」というのは、変化させることができる特性、という意味で、ここで言っている「知覚・感覚の可塑性」とは、何らかの理由で異常が発生してしまった自閉症児の知覚・感覚を、正常なものに変えていくことができるかどうか、ということを指しています。
残念ながら、これらの可塑性には臨界期があると考えられ、例えば学童期になってから感覚異常を直そうと思っても、脳は既にそのような大きな変化を起こす力(可塑性)は残っていないか、弱いのではないかと考えられます。
しかしながら、例えば1歳、2歳といった非常に低年齢の時点で療育を始めた場合には、適切な療育によって感覚・知覚の正常発達を促す余地が残っていることが期待できます。
この場合に活用されるのが、感覚統合訓練ということになるでしょう。
そして、上記では、「行動療法」が出てきませんが、行動理論に基づく強化スケジュールはあらゆる療育法で当然に活用されるべきでしょうし、問題行動の抑制など、上記で出てこない問題でABA的アプローチが有効なものも多数あります。
このように考えていくと、世間に広まっている各種療育法は、どれも自閉症児のさまざまな障害のある面に有効であることが分かります。
必要なことは、自分の子どもの持つ障害の全体像を見極めて、これらの療育法を適切に組み合わせる(決して安易な「いいとこどり」ではなくて!)ことなのではないかと考えています。