哲学の謎
著:野矢 茂樹
講談社現代新書
1 意識・実在・他者
2 記憶と過去
3 時の流れ
4 私的体験
5 経験と知
6 規範の生成
7 意味の存りか
8 行為と意志
9 自由
ごめんなさい、また哲学の本です。
でも、本書に書かれていることは、自閉症の療育と無関係どころか、実は最も重要な前提知識なのかもしれないのです。
最近、自閉症の本質について、ほぼ確信しつつあることがあります。
それは、自閉症とは、哲学的な思考回路なしには真の理解に到達できない障害である、ということです。
言い換えると、ある種の哲学的な理解に至った瞬間に、自閉症とはどんな障害であるのかということが、雑多な症状の寄せ集めとしてではなく、1つの明快な全体像として見えてくるのです。
その「理解」とは、端的に書くとこうなります。
自閉症という障害の背後にある最も本質的な問題は、空間、時間、他者、自己、意識といったものに対する、我々とは異なった認識のしかた、世界観の持ち方にある。
私たちは普段、自分が「いま、ここ」に存在していて、自分の周りには世界が広がっていて、時が流れているということを、何の疑いもなく当たり前に受け入れて生活しています。
例えば、今ここに青いコップがあって、後で中身の水を飲もうと思っているとします。
哲学的な問い、その1。
「ここに青いコップがある」とは、どういうことなのでしょうか?
私たちは、目の前に空間が広がっていて、その特定の場所にコップが「存在する」と認識しますが、実際には我々は、網膜という「目の奥の狭い場所に張りついた」光の情報を脳で処理しているに過ぎません。
「目の前に空間が広がっている」というのは、最初から我々がそのように知覚できるのではなく、脳の中に作り出された「世界観」を通して、初めてそのように認識されるのです。
そういう意味では、「ここにコップがある」と私が認識している、それとまったく同じ「見えかた」で、あなたが「ここにコップがある」と認識している保証はどこにもないのです。
「青い」という部分についても同じです。
コップから反射された特定の波長の光が脳で処理されることによって「青い」という知覚が生み出されているわけですが、その「青い」という体験は、他の人が体験している「青い」と、同じものでしょうか?
私が「青い」と言っているときの「見え」は、もしかするとあなたが「赤い」と言っているときの「見え」と同じかもしれないのです。
哲学的な問い、その2。
「後で飲もう」と考えることは、「いま、ここ」にいる私とどう関係するのでしょうか?
これは、「時間とは何か?」という問いでもあります。
私たちは、時間というものが「流れて」いて、「いま」の時間から、「過去」や「未来」のことについて考えたりします。
さらに、このコップの水について、「さっき『後で飲もう』と思って水をくんできた」と考えた場合には、「過去のある瞬間に、未来について考えたことを、いま思い出している」という、複雑な認識を働かせていることになります。
でも、「時間」という客観的なものが本当に存在して「流れて」いるのでしょうか?
私たちが体験しているのは常に、「いま、ここ」だけです。未来について、あるいは過去について考えている自分も、「いま、ここ」にしか存在しません。
そう考えていくと、「時間」という概念も、私たちが物事の因果律を説明するために導入した、脳の中の世界観に過ぎないのではないでしょうか?
「時間」は、外の世界に客観的に存在しているのではなく、意識の内に構築されているだけかもしれないのです。
・・・さて、本書に取り上げられているさまざまな根源的な「哲学の謎」のうち、上記2つを取り上げたのには理由があります。
それは、自閉症の本質とは、結局のところ、このように我々が当たり前に構築している、空間や時間の「世界観」を獲得しそこなっていることにあるのではないか、と考えているからです。
この辺りの問題意識については別の記事で詳しく書きたいと思いますが、自閉症を「発達が遅れている」ととらえるのではなく「違う世界観に到達している」ととらえることこそが、この障害を理解するために決定的に重要なのではないでしょうか。
我々は、自閉症の障害を「社会性の障害」と呼びます。
では、「社会性」とは何でしょうか? それは、共同体が築きあげたルール、期待、行動パターンに過ぎないのではないでしょうか?
そこから逸脱することを「障害」と呼ぶのであれば、それを社会が許容できるか、本人が社会で生きていけるかという文化的な側面のみによって障害かそうでないかが決まっていると言えないでしょうか?
障害が「そこにある」のではなくて、社会というフィルターを通した結果として、障害が「認識される」だけなのではないでしょうか?
そして、個人の「世界観」のある軸についての、社会共同体標準からの「ずれ」の大きさがすなわち「自閉症スペクトラム」だといえないでしょうか?
これは、特に知的な遅れのみられないアスペルガー症候群の方に当てはまる話だと思います。
そして、TEACCHに見られるような、社会のあり方をも変えていこうという働きかけの意味や価値を(いい方向に)激変させる視点でもあります。
こういったことを考えていく中で、私にとっての「哲学」の意義は、ここ数か月間で180度変わりました。
そして、哲学について初めて考えるとき、難しい現代哲学の本などはまったく必要ありません。ここで求められるのは、非常に本質的な部分だけです。
そういった哲学の根源的な問題意識について理解するために、本書は最適です。平易な会話形式で書かれており、哲学書としては圧倒的に読みやすい本です。
目の前にいる、ややもすると「わけが分からない」と考えてしまう自閉症児の世界に足を踏み入れるための「脳内環境整理ツール」として、本書をぜひおすすめします。
補足:本書の86ページあたりに「自閉」という言葉が使われていますが、これは自閉症とは無関係で、文字通り、論理が「自ら閉じる」という意味で使われているのだと思われます。
※その他のブックレビューはこちら。