「感覚」とは、目や耳などの感覚器、ヒトの持っているセンサーから入ってくる入力信号を言います。視覚でいえば、目に入った光が網膜に映し出され、電気信号に変換された情報をいいます。
「知覚」とは、感覚入力を解析し、「理解できる情報」に変換する情報処理のことをいいます。視覚では、輪郭とか色とか形とか、図と地(物体と背景)の関係などを解析する処理を指します。
「認知」とは、知覚された情報をさらに統合し、理解する、判断する、考える、といった高次の処理を行なうことを言います。視覚で考えると、「そこにいるのは母親だ」と分かること、その母親の顔を見て「怒っている」と判断することなどが含まれます。
ここで分かるとおり、感覚、知覚、認知と進むにつれて高次の情報処理になり、ある段階の処理のために1つ前の段階の処理が利用されることが分かります。
さて、子どもが「素朴物理学」という認知の枠組みを獲得する前提として、知覚の恒常性が決定的な意味を持つことは、少し考えればすぐに理解できます。
一例として、視覚について考えてみます。
視覚の中で移動する「モノ」を認識するためには、それが移動していくことによって視界での「見え」を変えても、同じものだと認識し続けられることが絶対に必要です。
例えば、物を投げたときには放物線を描くという「素朴物理学」を学習するためには、放物線を描いて飛んでいく物体を見て、「同一のモノが位置を変えて移動している」ということが分かることが当然に必要です。
飛んでいく物体を見ても、網膜に映った映像を「大きかったものが小さくなった」と解釈してしまって、位置が動くことを正しく知覚できなければ、そこに意味のある法則は見出せない(素朴物理学を学習できない)のです。
同じように、コップが机から落ちて横向きになったときに、落ちて横になったコップと落ちる前の正立したコップが「同じもの」だと分からなければ、「机の上のコップが『消えて』、別の何かが床に『現れた』」という、誤った解釈になってしまうでしょう。
総括的にいえば、この世界にあるさまざまなもの(そこには母親やその他の人間も含まれます)について、「同じもの」を常に「同じもの」だと知覚できることが、素朴心理学が学習されるための必須条件だと考えられるのです。
「同じもの」だと分かるからこそ、世界は基本的に安定していて、その中でいくつかのものが物理的法則にしたがって動いている、という素朴物理学に到達できるわけです。
このような、「同じもの」を「同じもの」と知覚できること(知覚の恒常性の獲得)によって発達すると考えられる、「世界にはさまざまなものが安定的に存在している」という「世界の見え方」を、発達心理学者のピアジェは「物の永続性」と呼びました。
物の永続性を確立することで、子どもはこの世界を支配している基本的な法則、すなわち素朴物理学を発達させる素地を得ることができます。
そしてその「物の永続性」を確立するためには、知覚の恒常性が正常に発達することが必須になるのです。
この「知覚の恒常性」から「物の永続性の確立」という流れについては、ピアジェ理論の重要なポイントの1つと言っていいでしょう。(ピアジェはそこから「素朴物理学」ではなく「因果律」の獲得を導きますが、言っていることはほぼ同じでしょう。)
さて、これで、知覚の恒常性から心の理論にまでつながる、壮大な1つのレールを敷くことができました。
[感覚入力の正常な発達]
↓
[知覚の恒常性の発達]
↓
[物の永続性の確立]
↓
[素朴物理学の発達]
↓
[『心の理論』の発達]
「感覚入力」の段階を1つ追加しましたが、これは本記事の最初で説明したとおり、適切に知覚するためには適切な感覚入力が必要であることから、自然な拡張と言っていいと思います。
次回は、この「発達のレール」という見方から、自閉症の障害がどのように説明されるかについていよいよ考えてみたいと思います。
(次回に続きます。)