2006年04月14日

知覚の恒常性障害という仮説(3)

前回、「心の理論」とは、子どもが素朴物理学で説明できない対象を説明するためにひねり出す、新しい世界観のことなのではないか、という話を書きました。

なぜこんな「世界観」といった回りくどい言い方をするかというと、以前も少し触れましたが、この「心の理論」――「素朴物理学」と同じニュアンスで表現するなら「素朴心理学」と呼んでもいいのですが――というものは、あくまでも各人の脳の中にある「仮想」であって、その正しさを誰も証明できないからです。

お母さんがにっこりと笑っておやつをくれた。
これは、きっと僕のことが好きだからに違いない。

いじめっ子がにっこりと笑っておやつをくれた。
これは、きっと何か悪いことをたくらんでいるに違いない。


上記の例では、見た目はまったく同じ他人の行動に、違う「心」を帰属させています。この違いを生み出しているのは、子どもの中にある「心の理論処理プロセス」であって、行為者の本当の考えではありません
本当は、母親はフリーオペラント法を実行中で、強化子としておやつを渡したのかもしれないし、いじめっ子は直前に読んだ童話に感動していいことをしようとしておやつをくれたのかもしれない。
「本当のところ」は、結局分からないのです。

これは、大人になって、「心の理論」を使いこなして他人の行動を理解したつもりになっている私たちについても、まったく同じように当てはまります。

「他人の心を推測して他人の行動の理由がわかった気になる」というのは、突き詰めて考えていくと、何の確証もない仮想を信じているだけです。

つまり、「心の理論」にしても、「素朴物理学」にしても、それはヒトが当然に到達する真理だと考えるのは間違いで、この世界で効率的に生きていくための「適応」の一種として獲得する、世界の「見方」、枠組みなのです。

このように、「心の理論」が、結局は脳に生まれる仮想の世界観でしかないとすれば、にもかかわらず、誰もがほとんど例外なくこの「心の理論」という世界観の枠組みを持つということが、とても不思議なことに思えてきます。

新生児の脳の中に「心の理論モジュール」が最初からあると考えると話が進まなくなってしまうので、ここでは、ヒトがなぜ発達の過程で「必然的に」心の理論を獲得するのかという「道すじ」を考えてみます。

もしそれができれば、自閉症児が「心の理論」の獲得にたどり着かない、あるいはそれが遅れる、歪むという問題がなぜ生ずるのかに近づけるでしょう。

そのような問題意識のもとに、「心の理論」が生まれる前段階の必然性として「素朴物理学」の存在の可能性を指摘したのが、前回の記事ということになります。

ここまでの考えを図に示すと、こんなイメージになります。



このモデルは、小さい子どもがヒトだけでなく動物や虫までも擬人化して考える傾向があることや、見立て遊びで、子どもが「モノ」を「ヒト」のように扱うことの意味などについて、興味深いヒントを与えてくれるように思います。

さて、それでは、さらにさかのぼって、この「素朴物理学」を獲得するために必要な認知スキルないし知覚とは何でしょうか。
そう考えたとき、はたと、「知覚の恒常性」の重要性に思い至ったのです。

(次回に続きます。)
posted by そらパパ at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | そらまめ式 | 更新情報をチェックする
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