うぬぼれる脳―「鏡のなかの顔」と自己意識
著:ジュリアン・ポール・キーナン、ディーン・フォーク、ゴードン・ギャラップ・ジュニア
NHKブックス
今回は、この本の中で紹介されている興味深いエピソードをご紹介します。
それは、鏡テストによって一部の動物には自己意識(セルフ・アウェアネス)があるとしたギャラップの実験の結果を、行動主義心理学者(そしてABAのルーツ)であるスキナーらが、やはり実験によって「否定」しようとしたという話です。
このエピソードは、スキナー派の行動主義心理学が「心」や「意識」をどのように考え、どのように扱っているかを典型的に示しており、行動主義心理学と認知心理学の違い、さらには、なぜ実験心理学の世界で行動主義が廃れていったのかが、ある意味「誰にでも分かる」形で提示されています。
そしてそれは、私がなぜ「心や意識、そしてそれらと密接に関わることばの獲得については従来型のABAには期待できない」と考えているかの1つの傍証にもなっていると思います。
ここで、ギャラップの「鏡テスト」のやり方を改めて簡単に整理しておきます。
まず、動物のおりに鏡を設置し、慣れさせる。
次に、動物に麻酔をかけ、眠っている間に、自分では直接見えないおでこに、マークをつける。
動物が麻酔からさめ、鏡を見たときに、自分のおでこをしきりに触るなどの行動を取れば、鏡の中の像が自分だということが分かっており、「自分」という認知ができる、つまり自己意識があると考えられる。
この実験は、自己意識という「内的な過程」を仮定し、それを実験によって証明しているので、認知心理学のアプローチであることが分かります。
この実験に異を唱えたのがスキナーらの行動主義派です。スキナーらは「"Self-Awareness" in the pigeon(ハトの”自己意識”)」といういかにも小馬鹿にしたタイトルで、「鏡テストへの反応は、単なる強化による行動変容であり、自己意識の有無などという議論は意味がなく、しかも誤っている」ということを証明しようとしました。
スキナーらの行なった実験は以下のとおりです。
ハトに、自分の体につけられた点をつつく行動を形成する。
次に、ハトに、「設置された鏡を見て自分の体の点をつつく」という行動を形成する。(シェイピング)
最後に、ハトの首に視界をさえぎる胸あてをつけ、鏡の前に立たせたとき、ハトは自分の体の点をつつく行動を見せた。
以上により、鏡テストに合格するのは単なる強化による行動形成で説明できる。
この実験に刺激されたギャラップは、追試を行なうためにスキナーらに連絡をとり、ビデオなどより詳細な資料の提供を求めましたが、なぜか出てきませんでした。そして、そのやり取りの中で、ハトが真に学習したのは「点のあるハトを見たら自分の体をつつく」という行動だったことが判明したのです。
この違いは、体に点をつけた別のハトを見せたときにはっきりします。スキナーらのハトは、この赤の他人(他バト?)を見たときも、自分の体をつついてしまうというわけです。
結局スキナーらの実験は、ギャラップが証明した「自己意識に基づく行動」を扱ってはおらず、それとは似て非なる、見当違いの行動を形成しただけだったのです。
ところが、行動主義の大御所であるスキナーですら、この実験にこのような致命的な欠陥があることには気づかなかった、あるいは気づいていても無視したということが重要です。
行動主義派は、「『心』や『意識』も行動主義で扱える」と主張し、それを証明するために躍起になっていますが、実際にはうまくいっているとは言えません。
しかもその反動として、これらの内的過程を軽視もしくは非常に大雑把に扱う(しかもしばしば不適切な方法で)傾向がありますが、このエピソードはまさにその典型だと言えます。
心や意識、認識、それらの発達といった問題に関心のある心理学者たちがスキナー的行動主義に違和感を感じ、見切りをつけ、認知心理学に「転向」したのも、当然といえば当然だと言えるのではないでしょうか。
そして、このハトの実験の発表は1981年、ロヴァースが「ミーブック」を世に問い、自閉症児への早期集中介入を広め始めたのと同じ年だということにも注目すべきでしょう。
「彼ら」が、よく分かっていると自称している「内的な過程」への認識と実績は、実はこの程度のものでしかないのです。
そして、このハトの実験での「行動形成」と、ロヴァース式などで行なわれる「ことばの獲得のための介入」との間に、大きな類似性があることも見逃せません。
「ことばを話す」ためにマッチングや動作模倣をするのと、ハトに「自己意識を持たせる」ために点をつつくトレーニングをするのと、考えの根底にあるものはまったく同じです。
だとすれば、「ハトの点つつき」が結局「自己意識」を扱っていなかったのと同じように、「ABAのことばトレーニング」は、もしかすると本質的な意味での「ことば」を育てていないかもしれません。
だからこそ私は、自閉症児の療育は、現状の行動療法、ABAでよしとするのではなく、認知心理学的アプローチによって、さらに「内面」に踏み込んでいく必要があると感じているのです。