2010年07月12日

3た論法から療育リテラシーを考える(1)

当ブログでは、個々の療育技法を学ぶことよりももっと重要なこととして、療育にまつわるさまざまな主張を科学的に整理・検証するためのものごとの考えかた=「療育リテラシー」というテーマを継続的に取り扱っています。

「療育リテラシー」とは、療育についての「科学的・批判的思考法=クリティカル・シンキング」なのですが、要は、いかに自分のお子さんにとって意義のある療育を適切に選択するか(そうでないものは適切に除外するか)を判断する基本的な考えかたであり、もっとはっきり言ってしまえば、俗にいうインチキ療法にだまされない思考法を指します。

療育リテラシーは、「初めて療育にチャレンジする親御さん」が、「たくさんの親御さんを手玉にとってきた、百戦錬磨のインチキ療法業者」にだまされないために必要な「論理武装」です。
療育においては、そもそもこのように、親御さんと「インチキ療法業者」との間に情報格差が存在し、親御さんの方が不利な立場にあります。なので、その「不利な状況」からくる判断の誤りを避け、適切な療法を適切に選ぶために、個々の療法よりもより重要なこととして、当ブログでは繰り返し取り上げているわけです。

今回は、その療育リテラシーのなかでも特に重要な「もっともらしい『この療育は効く!』という主張を批判的に検証するためのベースとなる知識」について、「3た論法」批判という観点からまとめていきたいと思います。

「3た論法」とは、ある医療的、あるいは教育的その他の働きかけの効果の有無について、「治療した→治った→治療効果があった」という論理で「効果がある」と主張する論法を言います。
療育の文脈でこれをもう少し分かりやすく書くと、こういう感じになります。

「ナントカ療育を試した・良くなった・ナントカ療法は効く!」

ここで、「良くなった」のところは、穏やかになった・下痢が治ったといった定性的なもの(数値で測らないもの)に限らず、ちゃんと事前・事後で計測して「発語数が増えた」「パニックの回数が減った」「睡眠時間が伸びた」といったように定量的に示したもの(数値で測られたもの)も含まれます。
とにかく、何か療育法をやって「良くなった」という結果が出たからその療育法には効果があったんだ、という主張を、ここでは「3た論法」と呼びます。

「3た論法」という用語は知らなくても、上記のような「効く!」という主張は、ネットでも日常でも当たり前のように見かけることと思います。

一見、この「3た論法」は正当な主張であるように見えます。
特に、ちゃんと計測して、事前・事後で「改善した」という結果が数値で示されているような報告については、「エビデンスもある=EBM的に証明された」とさえ考えてしまうかもしれません。
だからこそ、私たちはこういった「効く!」という主張に心動かされ、そこに登場する劇的改善エピソードから目が離せなくなり、さらに数値まで出ていることで信用してしまって、お金を払ってそのナントカ療法を試してみよう(試さないと損するかも)、と不安にかられたりしてしまいがちです。

でも、ちょっと待ってください。

「3た論法」によって示されている「効果」って、実は全然信用できないのです。
ちゃんとした実験デザインで検証されない限り、たとえ事前・事後で「計測」を行なって数値そのものが改善した(という報告があった)としても、「3た論法」によってその療育法の有効性が示された、という結論は単純には出てきません。

なぜでしょうか?

理由はたくさんあります。
この後、シリーズ記事として、その「理由」を10点ほど順次説明していく予定ですが、その中でも、今日のエントリでは最も本質的な問題として、

(1)3た論法は因果関係を示しているとは限らない

というポイントを取り上げたいと思います。

何かやったら何かに変化があったからといって、その変化の「原因」が自分がやったことであるという保証はどこにもありません。例えば、

「てるてる坊主をつるした・晴れた・てるてる坊主は晴れにする効果がある」
「幸運のお守りを買った・宝くじに当たった・幸運のお守りにはご利益がある」


こういった主張を、本気で信じる人はあまりいないだろうと思います。(もちろん、罪のないおまじないとして受け入れるというのは全然別の話です)
「3た論法」の一番の問題は、こういった「因果関係のないところに因果関係を見出してしまう」誤りを避けることがまったくできないという点にあります。

「子どもの日々の状況の変化・改善」は、さまざまな要因によって起こります。その多くは、単なる周期的変動、あるいは「発達」とか「体調」のような私たちの小手先のコントロールの先にあるものです。そして、同じお子さんのなかにも「よくなったこと」と「悪くなったこと」が日々共存しているでしょう。
そんななかから、「ある日、(たまたま、あるいは自然に)良くなったこと」だけをことさらに取り出して、そのとき同じくたまたま取り組んでいた「ナントカ療法」と因果的に結びつけて、「ナントカ療法のおかげで良くなったんだ」と考えることは、あらゆることに因果性を探してしまう傾向をもつヒトの認知システムがよくやってしまう過ちです。
特に、「何かをコントロールしようとして行なった行為」と、「コントロールしようとした対象の変化」が連続的に現われたとき、ヒトは「因果関係があると推測する」傾向が強くなります。(だからこそ、上で紹介した「てるてる坊主」や「幸運のお守り」みたいなものが廃れずに長く愛され?続けているのでしょう。)

てるてる坊主の例えが「身近すぎる」ためにかえってピンとこないかもしれませんから、少しアレンジして、すべて「3た論法」で書いてみます。

1.てるてる坊主をつるしたら、翌日に自閉症のわが子にことばが出た → てるてる坊主が自閉症に効いた!
2.病気治療にご利益があるという霊力人形をつるしたら、翌日に自閉症のわが子にことばが出た → 霊力人形が自閉症に効いた!
3.気を注入するという「念力治療」を受けたら、翌日に自閉症のわが子にことばが出た → 念力治療が自閉症に効いた!
4.万病に効くというアルカリ水を飲ませたら、翌日に自閉症のわが子にことばが出た → アルカリ水が自閉症に効いた!


さて、上記1.から4.を、例えば知り合いから聞いたうわさ話だと仮定して、読んでみた印象はどうなるでしょうか。
おそらく、すべて「うさんくさい」とは感じるでしょうが、1.から4.に進むにしたがって「もしかしたら効いたのかも」と感じる度合いが増していくのではないかと思います。(また、1.と2.ではほとんどやっていることは同じなのに、1.より2.のほうが「効能があった感」が強くなるところも見逃せません。)

実際のところ、「発話」のような複雑な発達課題が、1日やそこらの「発達」によって達成できるとは考えられませんから、ここで見られた「発話」は、自然な発達によってたまたまその日に起こったことだと考えるのが自然です。その前提に立つなら、上記の1.~4.の「3た論法」は、すべて「因果関係の推測の誤り」であると言えます。
ただ、1.の「てるてる坊主」があきらかに自閉症と無関係であるのに対して、2.の「霊力人形」は多少自閉症とつながりがあり、3.では具体的な「子どもに対する施術」が生じ、4.になると「子どもの体内に何かを入れる」という、さらに「踏み込んだ」行為が含まれるため、子どもの自閉症に対して「働きかけている、コントロールしようとしている」度合いが強くなっています。
それに比例して、子どもに変化が起こった場合に、「その変化の原因が自分の働きかけにある」と推測する傾向が強くなっていく
わけです。

私たちは、「世の中のできごとは、私たちが感じるほど単純な因果関係に基づいて動いているわけじゃない」「私たちが感じるほど自分の力でコントロールされているわけじゃない」ということを常に意識して、安易に「(私が)AをしたからBになった」と考えてしまわないことが重要でしょう。
このあたりについては、以前レビューでもご紹介した「『自分だまし』の心理学」で話題にした「統制感の幻想」という視点も参考になると思います。




※重要なポイント

このシリーズ記事の趣旨は、「何も信じるな」みたいなことではなくて(笑)、端的には「3た論法だけで効果を強弁している人、療法は眉につばをつけて聞きましょう」ということであり、自分自身や身の回りで何かが「効いた」という「素朴な印象」を、そのまま信じるよりは少し「科学的に考えてみる」と、いいことがあるかもしれませんよ、ということです。
「批判的検証」は単純に「否定」につながるものではなく、その検証のうえで、仮に効果がはっきりしなくても「それでも私はこれを選ぶ」という判断ももちろんアリなわけですが、「検証せずに選ぶ」よりも「検証してから選ぶ」ほうが、適切な療育を適切に(優先的に)選ぶことができる可能性が高まるでしょう。

そして、そうやって「効能に偽りのある療育法」を選ばないことによって手元に残った時間やお金のリソース(資源)は、たとえば家族でどこかに遊びに行くのに使ってみてはどうでしょうか。療育はとても大切なことですが、だからこそ「効能に偽りのある療育」にリソースを使うくらいなら、それを別のことに使った方が誰もが(業者以外)幸せになれます。そういう、「家族全員がより幸せになるようなリソースの最適化」こそが、「療育リテラシー」によって得られる最大の果実だと思います。


※さらにオマケ

このシリーズ記事でご紹介予定の「3た論法における問題点」は以下の通りです。1回の記事につき1つずつ取り上げていく予定です。のんびりしたシリーズ記事ですみません(^^;)。

・因果関係の錯覚 ←今回の記事
・脱落効果
・発表バイアス
・平均への回帰
・発達の一方向性と離散性
・観察者バイアス
・あとづけの効能選択
・プラセボ効果、ピグマリオン効果、ホーソン効果 ←こればかりが話題になりますが、あえて最後にしました。それ以外にも重要なポイントがたくさんあるので。


(次回に続きます。)
posted by そらパパ at 20:19| Comment(5) | TrackBack(0) | 理論・知見 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そらパパさま

いつもありがとうございます。
そらパパさんの熱意のこもったシリーズ物。
真骨頂、期待しています!

とはいえ、ぼちぼち夏休みになって、子どもが家にいる時間も増えます。奥様ともども体に無理なされずに。ですね。
それでは。
Posted by あやぱぱ at 2010年07月12日 22:20
そらパパさん、はじめまして。

私はアスペルガー当事者でアスペルガー児の母です。

療育リテラシーという考え方はとても理にかなっていると思いながら読ませていただきました。

また、高機能当事者のだまされやすさにも、クリティカルシンキングは役に立つので、
(成人当事者は、サムライ商法とか、成功セミナーによくだまされるんです)この企画、とても楽しみにしています。

ではでは。

Posted by 狸穴猫 at 2010年07月12日 22:56
「空飛ぶスパゲッティ」論法というやつですね。
うちでも「コレをやったから娘がしゃべるようになった」とか
ツイッターでも「鏡の療育で…」という会話をしていますが
あくまで親の「自分たちの努力が実った」という結果を
実感したいという気持ちのなせる視点だと思います。

原因があるから結果が出たのではなく
そもそもその結果が出る段階まで発育が進んでいることが原因としてある
ということなのでしょうか?
「何か効果のあるものをやってあげないと」という親心からすると
ちょっと脱力してしまいそうですが
いちいちアプローチに一喜一憂せず
子供の全体的で長期的な成長を見据えた療育が大切…ということですね。
Posted by オルキリア at 2010年07月13日 09:17
こちらには久々のコメントになりますが・・・。
なかなか読みごたえのあるシリーズ記事になりそうですね。
楽しみにしています。

私自身、あれこれ思うことはあるのですが同じ対象物を見ていても、普通の方とASの私では思考回路(もしくは表現の仕方というか言葉の使い方)が違うせいか、書き上げると「何だか違う」になってしまいます。
しかし、書きたい思いはあるので、何らかの形にしてみたいと思っています。
Posted by はらぺこるい at 2010年07月13日 12:54
皆さん、コメントありがとうございます。

あやぱぱさん、

療育リテラシーに関連する記事は、割と久しぶりかもしれません(もしかすると、これまでは単発記事ばかりだったので、シリーズ記事は初めてかもしれません)。
先日の代替療法がらみのビタミンK2不投与事件を見て、やはりこの問題は重要だな、と改めて感じたので公開することにしました。

夏休みですが、先日近所のプールに連れて行ったら今年も大丈夫そうだったので、去年に引き続き、週に1~2回程度はプールに連れていけそうです。
また、今年は私も夏休みが長く取れそうなので、少しは夫婦で分担できそうです。


狸穴猫さん、

自閉症、発達障害への療育、支援という視点から、クリティカルシンキングとか科学的なものの考えかたを解説している本やウェブサイトというのは非常に少ないと思います。
そういった思いも込めて、拙著の2冊め(ぶどう社さんのほう)ではその辺りにページを割きましたし、当ブログでも繰り返し話題として取り上げています。(「クリティカル進化論」というクリシンの入門書を、療育書と並んで当ブログ殿堂入りとしているのも、そういう思いがあってこそです。)

今回のシリーズ記事では、「3た論法」で使われるインチキロジックのかなりの部分を解説できると思いますので、参考になるところがあれば嬉しく思います。


オルキリアさん、

空飛ぶスパゲッティっていうのは、たぶんこれのことですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E9%A3%9B%E3%81%B6%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%B2%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E6%95%99

私は初めて知りました。ID説を皮肉るためのでっちあげ宗教なのですね。面白いです。
この辺りはいわゆる「悪魔の証明」に類するところで、トンデモ系の主張をする人が「反対するなら、私たちの主張する事象が『存在しないこと』を証明しろ」と相手に非常に困難な実証責任を押し付けることで自らの主張を守る手法と関連していると思います。

療育をやったあとに何らかの変化が現われたとき、私たちは「その療育をやらなかった場合の『いま』」というものを知ることは絶対にできませんから、一見、一番信頼がおけそうな「自らの体験した『効能』」は、療育においては思いのほか頼りにならないということになります。(例えばABAで、実施前からターゲット行動を明確にし、継続的に結果を記録し、場合によってはABデザインを採用し、そうやって数ヶ月くらいのスパンで継続してターゲット行動に変化が見られれば、ある程度は「療育の効果」だと判断できるとは思いますが)
だからこそ、私たちは単なるエピソードや、統制されていない「3た論法」による効能宣伝に惑わされず、可能な限りEBM的に検証され、その検証を耐え抜いてきている療育を優先して採用していくことが、結果として、適切な療育ポートフォリオを組んでいくことにつながっていくだろうと期待しています。

そして、あまり「統制感の幻想」をもたずに、ただシンプルに「力強く成長・発達していく子ども」の姿に喜び、それを支えていくという視点から療育をやっていきたいなあ、と思います。


はらぺこるいさん、

確かに、自閉症スペクトラムの方は、そうでない方とは認知の構造が異なっていて、その違いが、こういったインチキ系の論法に対する「だまされやすいツボ」の違いにまでつながっていく可能性は高そうですね。
それは、単純に「ASの人のほうがだまされやすい」ということでもなく、だまされやすい側面・逆にだまされにくい側面、両方あるような予感が(はっきりとした根拠はないのですが)します。

はらぺこるいさんのエントリも楽しみにしています。もしエントリ書かれたら、こちらのコメントかTwitterでぜひ教えてください。
Posted by そらパパ at 2010年07月14日 22:09
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