ABAというのは、よくよくそのルーツをたどっていくと、スキナーの徹底的行動主義が実験心理学の表舞台から脱落して、新天地を求めて臨床の障害児教育の世界にやってきたところから生まれた側面があります。
そして、スキナーの心理学がなぜ心理学の主流から外れたかというと、ことばの獲得について言語学者のチョムスキーから徹底的な批判を受け、心理学の世界が行動主義心理学から認知心理学になだれを打つように「転向した」ことがきっかけでした。
スキナー派は、この批判はとんでもない誤読・無理解に基づくものだと考えており、こんな下らない批判で非主流にされてしまったことに対して、納得できないという強いわだかまりを感じています。
このような経緯があるために、スキナー派の人たちにとって、他の学派との対立はほとんど「宗教的」とも言えるものであり、特に「ことば」の領域でいつか一旗あげて心理学の主流に復帰したい、という「野心」はとても根強いものがある、と考えられます。
特に気をつけなければいけないのは、このスキナー派とそれ以外の心や行動に対するスタンスの違いは、科学的なものではなく哲学的な対立であるため、溝は非常に深く、今後も「和解」の可能性はほとんど期待できないということです。(参考記事)
私は、自閉症の療育手段として、基本的にはABAを支持しています。
ただし、上記のような経緯をふまえると、ABAの売り文句の「ある部分」については、「野心」の部分を割り引いて考えるべきだろう、と感じています。
具体的には、次の領域に関しては、「(ロヴァース型の古典的な)ABAが有効だ」とは言い切れないと思います。
1. ことばのゼロからの獲得。
2. 社会性のゼロからの獲得。
ここにあげた2つの領域は、いずれも、ヒトが何もないところから社会的存在になるための非常に大きな一歩を踏み出す部分ですが、私なりに勉強している範囲において、行動分析学の研究がこれらについて解明しているとはとても言えません。むしろ、あまりに難しい問題として、本質的な研究を放棄しているようにさえ見えます。
にも関わらず、「応用」行動分析(ABA)では、これらの問題を安易に単純化して、強引に療育理論を構築しているように見えてならないのです。
端的に言えば、赤ちゃんが「ことばを獲得する」ときには、おっぱいを吸うサイクルと母親が抱っこした赤ちゃんを揺らすサイクルの呼応から始まり、共同注視や指差しなど、「前言語的コミュニケーション」がことばよりも先に出てくるなど、表に出てこない認知スキルの爆発的な発達も含めた、非常に複雑な経路をたどってくるものだと考えられます。
ところが、古典的ABAのアプローチは、とにかく音声模倣をさせることを目標に、アイコンタクトとかマッチングといった、およそことばの獲得からは遠そうな目標を長いステップをかけて教え込むことしかできません。
この、「ゼロからのことば・社会性の獲得」に関しては、古典的ABA以外の療育アプローチのほうが有効である可能性がかなり高いと考えています。
※ここで、「ゼロからの」という部分が非常に重要です。既に獲得されたことばや社会性を、より高度なものに向けて伸ばしていくという「ゼロからではない」療育については、ABAがうまくいく可能性が高いでしょう。
なお、ここで「古典的」という言葉を使いましたが、最近の「より進んだ」ABAでは、かつての行動分析学の「徹底的行動主義」のドグマが薄れてきているようで、例えば最近話題のPECSやPRT(Pivotal Response Treatments)では、ABAでありながら、「認知」や「動機づけ」「自発性」といった概念を導入し始めています。
スキナーの本来の考え方からいくと、こういった傾向は進化というより迎合のようにも見えますが、これも歴史の流れなのでしょう。
そういった意味では、自閉症児療育の世界にも、「認知革命」の波が徐々に押し寄せ始めているのかもしれません。
日本には、PRTに似た“フリーオペラント法”があります。 このアプローチは、自発、模倣、動機づけが柱になっています。
私のブログにも、フリーオペラント法の文献一覧等を載せていますが、ご参考になればと思います。
お久しぶりです。
ブログも拝見させていただきました。
フリーオペラント法を専門に解説している本というのはあるのですか? もしあるのなら、一度読んでみたいですね。
最近はややABAに対して批判的な記事を多く書いていますが、これはABA全体を批判するということではなくて、ABAの限界が見えてきて、それを伝えなきゃいけない、という気持ちがとても強く出ていることが原因だと思っています。
自閉症児の親御さん(私もですが)がABAに対して最も強く期待する領域が、実はABAにとって一番苦手な領域だというのは、驚くべきことです。
だから、ABAに「過剰な期待」は持たずに、でも自閉症児療育に一番効果的な方法としてABAを使いこなしましょうというのが、ここ最近の記事で私が伝えたいメッセージです。
私にとっての、フリーオペラント法は、“生活のなかでの言語”を行動論的に考えるキッカケになったアプローチです。
まるごとフリーオペラント法、という本は今のところありません。 報告や論文が中心です。 関連本では、以下の通りです。
・ 岩本隆茂(編)『オペラント行動の基礎と臨床 ‐ その進歩と展開 ‐』川島書店1985年
・ 上里一郎(編)『心身障害児の行動療育』同朋舎1988年
・ 高木俊一郎(編集)『自閉症児の行動療法(行動療法ケース研究8)』岩崎学術出版社1990年
なんども送信してしまい、申し訳ありませんでした。
私も、りょうさんの意見に賛成です。
方法論的に行動理論を土台に置きつつ、(スキナーの崇高な哲学には申し訳ないですが)そこに認知的な内的過程を付け加えて、文字通り行動分析学を「応用」していくというのが、向かうべき方向ではないかと思っています。
コテコテのロヴァース式でもなく、理念なき「いいとこどり」でもなく、何とか「家庭で簡単にできて効果が高い」療育の枠組みができないものか、といつも考えています。
昨日の文献ですが、古本屋で探さないと見つからないかもしれません。
1000ビューおめでとうございます!
大変面白い記事をありがとうございます。Verbal behaviorの本についてのレビューか記事ないのかなあとこのブログ内を探していたら、こんなに面白い記事があったので、一気にシリーズを読み終えてしまいました。
戦国時代とか、面白く書かれてあるので、笑いながら読みました。
でもそういえば、この記事読むのは初めてじゃない気がしますが、前回よりも、少しABAを習って多少知識や問題意識が高まったせいか、より面白く感じています。
こちらの記事、とても面白いのですが、左側にリンクありますか??ないように思ったのですが・・