結局、行動療法とは、「行動をコントロールする技術」です。それ以上でも、それ以下でもありません。
ほとんどこの定義ですべてが言い尽くされています。
行動をコントロールすれば問題がすべて解決するようなタイプの療育課題に対しては、行動療法が絶大な力を発揮します。
特にことばが通じない自閉症児に対する療育法としては、行動療法がほとんど唯一の方法といってもいいでしょう。
問題行動の抑制や、パターン化された自助スキルの獲得などは、このカテゴリに入ります。
こういった分野に行動療法を適用することの有効性については、疑問をさしはさむ余地はないのではないかと思います。
逆に、行動に表れない内的な過程が重要と考えられ、しかもその内的な過程がよく分からないような療育課題に対しては、行動療法は極めて効率が悪く、しかも期待した結果が得られない可能性が高くなります。
このカテゴリに属する典型的なものが、「ことばの獲得」です。
これら両者の中間にあるのが、既に獲得したことばを伸ばしていく療育や、友達の中に入っていって「社会性」を伸ばす療育などでしょう。
これらは、行動を形成すればそれなりに目的が達成できるという意味では「行動のコントロール」で話が済むのですが、その背後にある内的な発達を重視すればするほど、行動療法ではその部分が抜け落ちてしまうという懸念が大きくなります。
この、行動療法の得手・不得手をみていると、とても皮肉な感じがします。
行動療法は、自閉症の療育で大きな成果を上げているといわれています。
それは事実でしょう。私自身、娘の療育に行動療法を応用することで、大きく助けられていると実感します。
ところが、自閉症の最も深刻な障害である「ことばの障害」や「社会性の障害」は、実は行動療法の得意分野だとはいえず、特に親御さんの誰もが最優先に考える「ことばのゼロからの獲得」については、明らかに力不足なのです。
大切なことは、力不足なら力不足だと認めたうえで、じゃあ行動療法で効率的に教えられる範囲で、子どもを助けることはできないのか、という発想の転換でしょう。それが、前回までに説明した、「機能性フォーカス」の行動療法という立場です。
そのような状況でも徹底的行動主義を貫く、「行動フォーカス」の行動療法については、私は有効性に疑問を感じています。
少なくとも、「そらまめ式」で考える「頑張らない家庭の療育」には適用できないと言えるでしょう。
私がPECSを高く評価しているのは、この行動療法にとっての大難問である「ことばの獲得」という課題に対して、「機能性フォーカス」という考え方で真面目に取り組むことによって生まれた療育法だからです。
また、先日ご紹介した「みんなの自立支援を目指すやさしい応用行動分析学」がABAの入門書としておすすめできる理由も、この本がちゃんと「ABAが得意な分野」に焦点を当てていて、文字通り「やさしいABA」になっているからです。
こちらで紹介されていた「自閉症のすべてがわかる本」、近所で購入することができました。
またPECSスケジュールのエントリも、とくに画像をupしていただけたことがとても参考になっています。ありがとうございます。
「自閉症を克服する」も読んだのですが、言葉を持たない、表情の模倣も難しいわが子には到底たどり着けそうもない遠い道のりを感じてしまっていました。
ここでそらパパさんが詳しく分析されていること、目からうろこといった感じです。
お忙しいと思いますが、記事楽しみにしています。それでは。
スケジュールについては、今日また新しい記事をアップしましたが、私がやっているのがPECSの標準ということはまったくないので、その点はご注意ください。
私の娘の場合、「どこに行くのか」と「どの乗り物で行くのか」が最も関心のあるポイントらしい、と分かったので、この2点に情報をしぼりこむ形でスケジュールを作ったわけです。(時計を追加した理由はこの記事に書きました)
お子さんによっては、別の情報が重要な場合もあると思います。大切なことは、子どもが気にしていることについて「見通し」を持たせることだ、と思っています。
「自閉症を克服する」は、私も今ではあまり重要な本だとは思わなくなっています。こういう考え方もあるといった程度に読むのがいいんじゃないかな、と思います。
何冊か読みました。
確かに自閉症児より
定型発達の子の方がより効果があるようで
我が家では主に長女の育児に
活躍してしまっています。
PECSは一週間程度で
かなり使いこなせるようになりましたよ。
ちなみに自閉症の長男は
三歳一ヶ月で有意語はありません。
こんばんわ。
確かに、自閉症でない子どものほうが行動療法ははるかに効果があると思います。
(そういえば、先日ご紹介した、フリー配布の「子どもと親」は、普通の子どもに行動療法でしつけをするという面白い本でしたね。)
自閉症児は、行動療法的なやりかたを含め、「学習する」ということのある面が障害されているのだと考えられます。
PECS、1週間で効果が出たなんて素晴らしいですね。
PECSはこの即効性が最大の魅力です。確かに我が家でも1週間もするといくつかの品物の要求ができるようになりました。
PECS以外で、始めてから1週間程度で目に見える効果が出る療育というのを私はほとんど知りません。
3歳3か月の自閉症男児の母親です。
ずいぶん前の記事にコメントしてしまっていいものかどうかわからなかったのですが、ぜひご意見をお伺いしたく、思い切って書かせていただくことにしました。
うちの息子は独り言(遅延エコラリア)がひどく、ほぼ一日中しゃべっています。
一応ほとんどは日本語で聞き取れはするのですが、脈絡が全くなく、支離滅裂です。会話は全くできません。
この独り言を聞いていると我が息子ながらいかにも異様な感じがして気が滅入ってしまうのですが、自閉症関連の本には「独り言は問題行動と言うほど害のあるものではないから言わせておいた方がよい」というようなことが書いてあります。私としてはこのままだと周りの人に奇異な目で見られるのは避けられないし、何より私自身が日々子育てしていく上で非常にしんどいので、何とか別の行動に置き換えることはできないものかと思っているのですが、ABAの手法でそれは可能でしょうか?
また、2歳台後半頃は「これなあに?」や「これ何色?」の質問にはかなり答えることができ、(遅延エコラリアで言っている絵本の文章に対して)「それ何のお話?」「それ何に出てきたの?」と聞くとほぼ確実に本のタイトルを答えていたのですが、3歳になった頃から段々と質問に答えなくなり、今では何を聞いても全く無視という状態です。
自閉症では退行が起こることもあると聞いたことがありますが、退行というのは一度獲得した能力や行動が完全に失われてしまうものなのでしょうか?だとすると、もう一度これらの質問に答えられるようにするには、ABAでは難しいのでしょうか?
ちなみに、質問に答えないだけではなく、親の言うこともほとんどききません。以前は、「お風呂入るよ~おいで~」とか「ドア閉めてきて」などの指示には従っていましたが、それもなくなりました。
「障害のある子でも必ずその子なりに成長していく」と言いますが、うちの子のように退行されると、親としては本当につらく、先が真っ暗な気がして鬱々としてしまっています。
とりとめもなくだらだらと書いてしまってすみません。
日々お忙しいことと思いますが、もしお目に留まれば、お時間のある時にお返事いただけると大変嬉しいです。
長文失礼いたしました。
コメントありがとうございます。
ご質問のエコラリアの件ですが、率直なところ、そのあたりは娘の場合にはまったく問題とならなかった領域ですので、ご質問に精緻にお答えできるような経験や知識が不足していると感じます。
申し訳ありません。
ただ、そのうえで言えることとしては、仮にそれが意味を見いだせないようなエコラリアだったとしても、発話がまったくないよりはあるほうがはるかにいろいろな可能性がある、ということです。
発話がない(あるいは消滅した)ところから、発話を作っていくことは非常に大変です。
それに比べれば、無意味であったとしても発話があるところから、そこに何らかの意味を持たせていくほうが技術的にはずっと難易度が低いと思います。
また、ことばによる意思の疎通の退行についてですが、あらゆることばが通じなくなったのか、子どもにとってメリットのあることば(ご飯食べるよ、とか、出かけるよ、みたいなことば)は通じて、質問に答えるとか命令のことばは通じなくなっているのであれば、それは単に、反応してもメリットのないことばに反応しなくなっただけかもしれません。
子どもとのことばのやりとりを、ABAでいうところの「強化」の構造のなかにどう持ち込んでいくか(つまり、子どもにとって親とのことばのやりとりが「反応する・やりとりすることがメリットがある」という状態を作るか)、ということが重要である場合もあります。
ことばのやりとりが、子どもにとってあまり嬉しくないような命令的なものばかりだと、やがてそのことばに反応しない(反応しないと親がよきにはからってくれる、反応すると嫌なことをやらされてしまう)という「学習」が成立してしまうこともあるかもしれません。
「無意味であったとしても、発話があるところからそこに何らかの意味を持たせていくほうがずっと技術的には難易度が低いと思います」という言葉に、少し励まされました。
正直言って、母親として最低だとは思いつつ、息子のエコラリアに嫌悪感を抱いてしまうようになってきていました。
最初は何でも言葉をしゃべってくれるだけで嬉しかったのに、1年以上経ってもその段階から進まず、むしろ内容がめちゃくちゃになってきている(以前は主に絵本の内容をまとまって話していたのが、何の関連性もない断片的な言葉を次々に言うようになった)ことに、苛立たしさやこれからどうなるのかという不安、鬱陶しさを感じてしまっています。
そらパパさんのブログは情報量が膨大なので、時間のある時に少しずつ読ませていただいており、まだまだ読めていない部分がたくさんあるのですが、昨日、ラットの実験の記事を読ませていただきました。
ラットにも愛情が必要だということを知り、やはり息子の退行は私の愛情が段々失くなっていったことによるのかもしれないと改めて思いました。
また、ピグマリオン効果やホーソン効果というものがあるということも知り、愛情がなくなることによって息子を教えようという意欲も減退し、息子に対する態度も冷たくなっていってしまったことも、退行の原因ではないかと思いました。
これはあくまで私の推測ですが、そらパパさんもそのような理由での退行はありうるとお考えになりますか?
だとすれば、私が心を入れ替えて以前のように愛情を持って療育に取り組めば、少なくとも以前のレベルに戻る可能性はありますでしょうか?
また、言葉による意思の疎通についてですが、今は、私の言う全ての言葉に対して応答がありません。ただ、我々の言葉が全く理解できていないかというと、そうとも言えないような反応をすることもあります。(「お水ここに置いとくから飲んでね」と言うと取りに来るなど。ただ単に水が見えただけかもしれませんが)
親との言葉のやりとりにメリットがあると思わせるためには、やはり何か指示してプロンプトしてやらせて、即好きな食べ物を与える、ということを始めた方がよいでしょうか?
今まで、ABA的な働きかけを多少してはきたのですが、その際の強化子としては主に褒め言葉と身体接触を使っていました。(食べ物を強化子として使うことに何となく抵抗があったので…)やはりそれでは弱いでしょうか?
また、一応言葉が出ているため、今まで絵カードの導入は考えていなかったのですが、コミュニケーションのメリットを教えるためには、やはり絵カードを利用した方が効率的でしょうか?
ただ、今通っている発達支援センターの先生が絵カードを使おうとすると、カードの内容よりもカードそのものに興味を持ってしまい、うまく使えなかったというお話を聞いたので、そういう子には使えないのか…と迷っています。
重ねて色々と質問してしまい大変恐縮ですが、アドバイスいただけると大変嬉しいです。
コメントありがとうございます。
レスが遅くなり、すみません。
まず、療育を俗にいう心の問題にはしないほうがいいと思います。
「こういう心で療育をやるとうまくいく、あるいはいかない」という考え方は、療育の成否を、目に見えず検証できない世界にもっていくものであり、実際には「うまくいかなかったから心がよくなかったのだろう」「うまくいったからいい心がけだったのだろう」という、後付けで理由をこじつけるものになってしまうだろうと思います。
そんな風に考えず、端的に目に見える行動としての働きかけがうまくいったかいかなかったかを判断していけばいいのだと私は思います。
また、ことばそれ自体がうまく機能していないときに、「コミュニケーションの意味」を教える(それが最終的には音声言語につながる)ために、絵カードを導入することには大きな可能性があると思います。
絵カードの導入については、前向きに検討されていいと思います。(もし私なら、たぶん導入してみると思います)