ひとは、どのようにしてことばを獲得するのでしょうか?
これまた、発達心理学や言語学における難問中の難問でしょう。
自閉症の療育を考えていくと、このようなヒトの「知」に対する、根源的な難問にしばしばぶつかります。
この問いに対する唯一の誠実な回答は「分からない」だと思います。
ABAでは、ことばは他人とのかかわりの中で強化されていると考えますが、これは既に獲得された言語の使われ方は説明できるものの、そもそも赤ちゃんがどうやってことばをゼロから獲得するのか(そしてなぜ自閉症児は獲得できないのか)を説明しているとは考えられません。
ことばの獲得には、新生児が持っている何らかの生得的なスキルや感覚入力の処理方法、お母さんとのやりとりの受け止め方、外の世界への関わり方など、必ずしも表面化しないさまざまな認知過程の発達が必要だと考えられ、自閉症児の場合はこの仕組みのどこかに不具合があると考えられます。しかし、このような「内的な世界」に関しては、ABAは極めて無力です。
でも、ただ分からないと言っているだけでは、目の前でことばの獲得に失敗している子どもを療育することはできません。
ここで、取るべき態度は大きく2つに分かれます。
1つは、そのターゲット行動への道すじが「分からない」のなら、同じ目的を(機能的に)達成できて、かつ確実に到達できる別のターゲット行動に目標を変更することです。(機能へのフォーカス)
「ことばの獲得」を例にとれば、音声言語を獲得させるやり方が「分からない」のであれば、そのターゲット行動は一旦あきらめ、本来の目的であるコミュニケーションという機能を療育が容易な別の方法で達成する方法を考えます。
その代表的なアプローチの1つが、PECSだということになります。
もう1つは、そのターゲット行動の詳細が分からなくても、ABA的なシェイピングによって、とにかくターゲット行動を達成してしまおうという考え方です。(行動へのフォーカス)
これもことばの獲得を例にとると、マッチング課題と音声模倣課題をトレーニングし、まずは絵をみてその名前を言うこと(タクト)や大人のいう単語を模倣すること(エコーイック)から入り、やがて自分の欲しいものを言う(マンド)という言語行動が発生するように促します。
ロヴァース式をはじめとする早期集中介入派の「主流」は、こちらの考え方でしょう。
当ブログの記事をご覧いただいている方はお分かりのとおり、私の立場は明確に前者です。
それには、2つ理由があります。
1つは、言うまでもなく圧倒的な効率の違いです。
上記の例でいうと、PECSはトレーニング初日から(手助けは必要ですが)コミュニケーションが成立します。1週間もすれば、「自発的な」コミュニケーションさえ期待できるようになります。1日のトレーニング時間もごくわずかで、いすに座る練習すら必要ありません。
これに対して、ロヴァース式の場合、毎日何時間ものトレーニングが必要なだけでなく、かなりの長期間にわたって、コミュニケーションという本来の目的とは無関係のフォーマルトレーニングを続けなければなりません。
いすに座る→アイコンタクト→マッチング→動作模倣→音声模倣→音声マッチングと、ここまできても、まだみかんが欲しいときに「みかん」と言わせることができません。欲しいものを欲しいと言う「コミュニケーション」がいつになったら成立するのか、それこそ気が遠くなるようなステップが必要です。
そして、2つめの理由は、より本質的なものです。
(次回に続きます。)