子どもが自閉症かもしれない!どうしよう!という親御さんへのアドバイスはこちら
孫が自閉症らしい、どうしたら?という祖父母の方へのアドバイスはこちら

fortop.gif当ブログの全体像を知るには、こちらをご覧ください。
←時間の構造化に役立つ電子タイマー製作キットです。
PECS等に使える絵カード用テンプレートを公開しています。
自閉症関連のブックレビューも多数掲載しています。

花風社・浅見淳子社長との経緯についてはこちらでまとめています。

2006年07月13日 [ Thu ]

行動療法の効用と限界(6)

ことばの獲得のような、いまだ解明されていない内的な過程が多く存在すると思われる目標に向けた行動療法を考えたとき、機能にフォーカスする考え方(例:PECS)と、あくまで行動にフォーカスする考え方(例:ロヴァース式)とでは、明らかに前者の「機能主義」に優位性があると私は考えています。

その第1の理由は、圧倒的な効率の違いにあります。(前回記事参照)

そして第2の理由は、より本質的なものです。

PECSでは、子どもが「欲しい」と思うもののカードを用意し、子どもが自発的にそのカードを渡すと、欲しいものが手に入るという経験を繰り返しトレーニングします。
コミュニケーションのきっかけは子どもの「欲しい」という気持ちであり、絵カードは、その気持ちと1対1で対応する「ことば」であり、それを渡して欲しいものを手に入れるということは、紛れもない「コミュニケーション」です。

つまり、ことばを話すのと機能的にまったく同等のコミュニケーションを、トレーニング1日目から繰り返し学習することができるのです。

ことばを話すのと機能的に同じことが体験できる、ということは、ことばを獲得する過程の詳細が分からない、ということと考え合わせると、非常に大きな意味を持ってきます

ことばを獲得する過程には、目に見えないさまざまな経験の積み重ねがあると考えられます。
例えば、内言語の獲得も、その重要な過程の1つだと思われます。

内言語というのは、言葉による思考のことです。
私たちは、物事を考えるとき、頭の中でひとりごとを言うように考えます。
この「内言語」がどのようなものなのかというのも脳科学の難問ですが、とにかく、一般の大人が何かを考えるとき、頭の中でことばを操っているということだけは疑いようがありません。

そして、ことばを獲得していない自閉症児は、恐らく内言語も獲得していません。内言語がなければ、論理的思考も、将来への見通しも立てられないでしょうから、目の前の刺激にただ反応するだけの行動パターンを強いられます。
内言語の獲得は、知的発達レベルのどこかの段階で、必ず必要になる発達過程なのではないかと私は考えています。

それでは、PECSのトレーニングと、この内言語の発達はどう関係するでしょうか。
PECSを毎日続けていて、子どもの認知プロセスにやがて変化が生じ、「みかんが欲しい」という気持ちが、頭の中で「みかんカードのイメージ」になり、その後にみかんカードを取りに行くという「流れ」ができたとすれば、これはもう内言語の芽生えということができます
これは証明できるわけではありませんが、ことばを話すことと機能的に同じことを毎日続けていれば、こういった発達が促進される可能性は大いにあると考えられます。

ことばの獲得に関連する「目に見えないスキル」は、内言語の獲得以外にもいろいろあるでしょう。PECSのような機能性にフォーカスした療育のメリットは、このような「ことばの獲得に必要な(詳細は不明だけれどもきっとあるはずの)もろもろのスキル」が、知らないうちに同時にトレーニングできる可能性がある、ということにあります。

これに対しロヴァース式のような「行動フォーカス」の療育によって言語行動を獲得した状態とは、言ってみれば「ごほうびにつられて大人のマネをしていたら、やがて単語を話すようになっていた」といったものです。
つまり、例えば「みかん」と言ってみかんをもらうという行動がトレーニングの場面で学習されたとしても、それで本当に「みかんが欲しいからみかんと言おう」と「考える」ことが学習されたとは言い切れないのです。

しかも、「みかん」と言ってみかんをもらえるようになるまでに費やす膨大な時間の大部分は、コミュニケーション以外のことに使われています。
同じ時間、PECSで絵カードを盛んに交換して「コミュニケーション」している子どもと比べ、この点も明らかに劣ります

「ことばの獲得には、目に見える行動以外にたくさんの目に見えない『内的』なスキルの発達が必要だ」と考える立場からは、機能面にフォーカスした療育を選択するのが自然な結論だということがお分かりいただけると思います。

(次回に続きます。)

posted by そらパパ at 21:00 はてなブックマーク | コメント(6) | トラックバック(0) | 理論・知見
この記事へのコメント
そらぱぱさん、こんにちは。
韓国出張から戻られましたでしょうか?
先日メールいただいているというのに、まだお返事ができず恐縮です。
なかなか時間が取れず・・夜は不覚にも子供と一緒に添い寝して朝までが続き、なかなかPCできずです。
頑張って返信しますので待っててください。(笑)

話題のPECSというものはまだ日本には輸入されていないんですよね・・少し残念。絵カードコニュニケーションは飲み物だけ使っています。2ヶ月前はまったく無反応でしたが、最近は冷蔵庫の前で選ばせるようにしています。選んだものが出てくる楽しさを知ったようで率先してやっています。
他の生活シーンでも使えるようにバリエーションを増やさないとと思いつつ、時間に追われて進まないのですががんばります。

内言語のお話ですが、たとえば顔をぶつけて思わず「いた!」とか洋服を変えるのを嫌がって「いや〜!」というのも内言語?になるのでしょうかね??

Posted by marine at 2006年07月14日 15:35
marineさんこんにちは。

まだ韓国です。
帰りは土曜日の予定です。

PECSですが、実は既に日本語マニュアルが入手可能になっています。
一般の書店にはないのですが、NPO法人「それいゆ」に直接問い合わせると、9800円+送料で買えるようですよ。(私も買う予定です)

http://npo.autism-soreiyu.com/

内言語ですが、出していただいた例は内言語とは言えないと思いますが、考えていることを口にするような、意味のある独り言はある種の内言語だと言えると思います。(意味のないことばは違います)
Posted by そらパパ at 2006年07月14日 20:48
 一般化障害仮説を興味深く拝見しています。
「抽象化処理」と「一般化処理」は、違った概念で理解できるのではないでしょうか。
世界は時間と空間で構成されており、心も例外ではありません。そこで、心は、原理的に3つの領域−−−身体から生まれる心(時間意識、抽象作用、感性・悟性・理性)と環境から生まれる心(空間意識、関係作用、知覚)と心から生まれる心(時空意識、統合作用、統合感覚)−−−で構成されると仮定しましょう。したがって、心の障害も、子供の心の位相(現実意識)では、知恵遅れ、こだわり・多動症、自閉症に3区分され、若者の心の位相(表現意識)では、ヒステリー、心気症、恐怖症に、大人の心(統覚意識)の領域ではてんかん精神病、躁鬱病、統合失調症に分かれるのだと思います。
 そこで、自閉症ですが、身体から生まれる心が母(=他者=社会)の意識水準を飛び越えて抽象化し、それに引かれて関係意識が狭窄するものと考えられます。知恵遅れは逆に心が身体の方に引き込まれ、それによって関係意識も狭窄するもの、こだわり・多動症は心の抽象化に異常はないが、関係意識が狭まったり、拡張したりするものといえます。
 この3つの領域区分に「心の位相」という概念を加えれば、行動や症状はよく理解できるのではないでしょうか。子供の心では、物や身体をまとまりとして認識する実在レベル(乳児)、物の背後に言葉を知る定在レベル(幼児)、物を貫く法則やルールを知る実体レベル(児童)の障害が、重度、中度、軽度の区分になると思うのです。カナー型は中度、アスペルガー型は軽度となります。
 わたしは、発達障害理論の欠陥は「意志論」を欠くことだと思っています。言葉に子供の意志が含まれなければ、その言葉はオウム返しでしかありません。二つの心を一つにしたいという、子供の意志がなければ、言葉を理解することと、言葉を話すことはつながりません。言葉は子供が母(=他者=社会)の心と自分の心を同致、同調させようと意志するところに創造されると考えます。
 ぶしつけな感想をご容赦ください。
Posted by 神田正光 at 2010年04月28日 16:15
神田さん、

コメントありがとうございます。
また、私の仮説について興味をお持ちくださり、ありがとうございます。

さて、私の仮説を出発点に、とても難しそうな仮説をいただきましたが、私は実はそもそも、「こころ」に実体があるということ自体を疑う、という考えかたです。
ですから、「一般障害化仮説」も、「こころ」という概念を使わずに自閉症が説明できるものとして構築しています。

ですから、神田さんのお考えと、私がこの仮説で考えたこととは、かなり違いそうだな、というのが率直な感想ですね。神田さんの仮説をさらに広げていくような、お役に立てそうなコメントにならず、すみません。
Posted by そらパパ at 2010年04月28日 21:57
 ありがとうございました。私としては、とても近い考えに出会った思い、(嬉しくて)失礼とは思いながらコメントしました。
「抽象化処理」は身体から生まれる了解作用に、「一般化処理」は環境から生まれる関係作用に置き換えられると思ったのです。
 心は実体ではありませんが、脳生理に還元できない位相というものを想定しないと、注意、意志、自己というものを対象にできないと思うのです。
 私なりに、指さし、言葉の発生、内言語、パニックなど説明したものがあります。送付の用意がありますので、ご笑味をいただければ嬉しいです。
 なお、このコメントは特に表示は求めませんので、無視いただいてもかまいません。
 
Posted by 神田正光 at 2010年04月29日 11:40
神田さん、

コメントありがとうございます。
おっしゃっているのは、いわゆるクオリア問題、脳科学のハードプロブレムと呼ばれているような議論に近いのかもしれませんね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2

ある種の「こころの現象」に、「こころの解釈」から近づいていくか、脳科学的なモデルから近づいていくか、思弁的なアプローチとしては、どちらもありだろうと思います。

お考えをまとめたもの、もしメールでお送りいただけるようなものであれば、このブログの右上あたりにあるプロフィールのメールアドレスにお送りいただければ拝見させていただきます。(わざわざ費用と手間をかけて郵送、ということであれば、ちょっと恐縮してしまいますが)

なお、今回、コメントを表示させていただきましたが、もしご都合が悪い場合は非表示とさせていただきますので、ご連絡ください。
Posted by そらパパ at 2010年04月29日 12:19


コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※コメントはブログオーナーの確認後に表示されます。中傷的内容は掲載しません。
※コメントされた内容の著作権はブログオーナーに帰属します。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/15151563
※トラックバックはブログオーナーの確認後に表示されます。

この記事へのトラックバック

書籍ベストセラー