Slide 13 : 自閉症への働きかけモデル(図)
Slide 14 : 自閉症への働きかけモデル:キーワード(1)
Slide 15 : 自閉症への働きかけモデル:キーワード(2)
前回のお話の続きです。
繰り返しになりますけど、自閉症の療育というのは、自閉症の人と環境との「接点」に対して働きかけることです。
支援する側の人が働きかけることによって、自閉症の人が環境とうまくかかわることができて、この図でいうフィードバック・サイクルがうまく回るようになって、そして道具を使いこなせるようになって、そしてニッチが広がって人生が豊かになっていく、そういう働きかけ、そういう営みだと思います。
ここで、自閉症の人と環境との「接点」に働きかけるというとき、自閉症の人を訓練したり何かを教えたりするという方向性と、自閉症の人をとりまく環境や使う道具を、私たちが変えていくという方向性、この2つのどちらもあっていいということ、これもとても重要なポイントですね。
この2つは本質的には同列のもの、つまりどちらが望ましいとかどちらが優れているといったことはなく、並び立っているものです。
ですから、負担が軽くて効果の高いものを選べばいいわけです。
私たちも、友だちのメールアドレスを覚えるとき、口頭で言ってもらってそれを暗記するよりは、紙に書いてもらったほうが楽で確実ですし、もっと簡単に、赤外線通信をしたり、空メールを送ってもらったりして済ませたりしますよね。
それと同じように、療育というのも、何でもかんでも子どもに詰め込もうと考えるのではなくて、それこそメールアドレスを覚える代わりに空メールを送ってもらうような、そういう、環境の側にうまく働きかけて、それで「できることが広がる」というアプローチも、幅広く考えていくことが大事だと思います。
同じことを実現するのにいろいろな方法があるわけですから、どれが一番効率がよくて子どものためになるだろうか、ということに頭をひねる必要が出てきます。でも、ここにこそ、療育する側にとってもクリエイティブな療育の面白さ、醍醐味があるんじゃないかなと思います。
最後に、自閉症の療育にあたっては「汎化訓練」というのは必ずしも重要ではないんじゃないか、という問題提起をさせていただいて、一般化障害仮説という、私のオリジナルの認知仮説にもとづいたお話を締めたいと思います。
このモデルによると、自閉症のお子さんは、一般化という力が弱いために簡単にオーバーフローが起こってしまう、つまり、新しいルールを覚えることが難しいだけじゃなくて、いったん定着したルールであっても、そのルールをさらに複雑化しようとすると、根っこから壊れてしまうリスクが大きいということになります。
自閉症児に「ことばの折れ線現象」がおこることがあるのも、この「オーバーフロー」によって、一度獲得されたことばのルールが根っこから崩壊してしまうことによるものではないか、ということも、先ほどお話ししました。
ですから、例えば、マクドナルドでチーズバーガーを買う、という単純化されたルールをマスターした重度の自閉症のお子さんに、それじゃあ汎化訓練だということで、どんなレストランでも注文できるようなより汎用的で複雑なルールを教えようとすると、そこで一般化処理のオーバーフローが起こってしまって、場合によっては、いったんマスターした「マックでチーズバーガー」というルールも含めて、全部できなくなってしまう恐れがあるんじゃないか、そう考えられるわけです、この仮説からは。
まあ、そこまで極端な結果にならないとしても、自閉症の人にとって、単純なルールをマスターすることと、それをさらに複雑にした汎化訓練とは、つながっている延長線上にあるというよりは、まったく難易度の違う、非常に困難な別々の訓練になってしまっているんじゃないか、と考えられるのです。
ですので私は、自閉症療育では、単純化された訓練よりも汎化訓練のほうがエラいんだ、という価値観はあえて持たないほうがいいんじゃないかと考えています。
マックでチーズバーガーが買えるようになったお子さんに、吉野家で牛丼も食べられるようになってほしいと思うなら、レストラン一般に役立つ汎化訓練に進むんじゃなくて、「吉野屋で牛丼」の練習を、追加で教えてあげたほうがいいかもしれない、ということですね。
そして、10種類のレストランにいけるようになってほしかったら、10種類のパターンの個別のトレーニングをやったほうが、どれにでも通用する1種類の汎化訓練をやるよりも、有効な可能性があるわけですね。
・・・ここまでが、「自閉症の認知システム」という話題についてのお話でした。
いかがだったでしょうか。
恐らく、ほとんどの方にとっては、今まで聞いたことがないような話だったんじゃないかと思います。できるだけ噛み砕いて話をしてきたつもりですが、話している内容そのものには、かなり難しいことが含まれています。
ですのでこの後は、ここまでのおさらいを兼ねて、ちょっとクイズみたいなものを出してみたいと思います。
(次回に続きます。)
(11)のコメントに「臨床の極意?はいろいろな理論のいいとこ取りであり、臨床家にとって大切なことは患者が回復することである」と書いた時も同様でしたが、「同じことを実現するのにいろいろな方法があるわけですから、どれが一番効率がよくて子どものためになるだろうか、ということに頭をひねる必要が出てきます。」と書かれていたので当たらずとも遠からずとホッとしました。
すぐにオーバーフローしてる我が子です^^;
1つ質問があるのですが・・・
知的には問題なく、自閉的には重い という子もいますよね。
そういう子の場合、この仮説では
どのように説明ができるのでしょうか?
知的に重い子は、オーバーフローしてしまい
学習する力が弱い と解釈しております。
(そもそも、この私の解釈が間違えてるのかな???)
とすると、自閉的に重い子で知的には高い子の場合でも、オーバーフローしてるはずで・・・
???
と私がオーバーフロー気味^^;
お助けください(笑)
TOYOBAYさん、
理論や技法も、子どもが混乱したり、働きかけが矛盾したりしないように配慮しつつ、さまざまなものをうまく組み合わせて「ポートフォリオ」を組んでいくのが一番いいと思いますし、今回の記事で触れているように、ある目的を達成するための「手段(働きかけの対象)」も、状況や能力、汎用性などを考慮して臨機応変に選択していくことが求められると思います。
それと、言論というのは、究極的にいうと「どういう意図で発言したか」よりも、「どのように受け止められたか」だと、私は思っています。
ですから逆に、TOYOBAYさんが「受け止めた」内容が、私が書きながら考えていたことと近いのだとすれば、嬉しく思うのはむしろ私のほうです。
ありがとうございます。
カトリックさん、
このときの講演では、「一般化障害仮説」を、単純化のためにどちらかというと知的な障害をあわせもつケースに限定して話をしたのですが、実際にはこの仮説は自閉症スペクトラム全体(しかも、自閉性が高い-低いも含めて)を説明できる、より適用範囲の広い仮説です。
本来の「より広い」仮説については、当ブログのシリーズ記事「一般化障害仮説」(ブログの左サイドバーにあります)全体、特に第11~12回のあたりをご覧いただくか、拙著の1冊目「自閉症-からだとせかいをつなぐ新しい理解と療育」をお読みいただければと思います。
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/24619728.html
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/24619778.html
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/106410360.html#book1
※旧シリーズ記事で「抽象化」と書かれている概念は、本シリーズ記事を初めとする最近の記述で「抽出」と呼ばれているものと同じです。
すごく大雑把にいうと、知的には高くて自閉性の高い方は、「抽出」の処理能力が高すぎるために、定型発達とは異なる(相対的に弱い一般化処理がオーバーフローしにくいような)バランスで脳が発達し、環境に適応している状態であると考えています。