だまされ上手が生き残る 入門!進化心理学
著:石川 幹人
光文社新書
序 章 恐怖を手なずける
第1章 人間をうみだした進化の原理
第2章 遺伝子の生存競争
第3章 わかりあえないオスとメス
第4章 狩猟採集民の脳と心
第5章 人間は「協力するサル」である
第6章 文明社会への適応戦略----信頼の転換
第7章 現代社会の生きにくさにせまる
終 章 だまされ上手の極意
本書は、心理学の一カテゴリである「進化心理学」の入門書の形をとりつつ、最終的には「社会のなかで生きるようになったヒトは、『だまされやすく』なる方向に進化した」という仮説を展開していく、という内容です。
では、その「進化心理学」とはどんなものであるのかといえば、ヒトの行動や心のはたらきを、ダーウィン進化論(突然変異と淘汰、世代交代)で説明しようというもので、例えば本書には次のような例があげられています。
(1) 女性の買い物かごは腕で抱える形を、男性のアタッシェケースは手でつかむ形をしている。男性は買い物かごを持ちにくく感じ、女性はアタッシェケースを持ちにくいと感じる。
(2) これは過去の進化の過程で、女性が腕で子どもを抱え、男性が狩猟によって得た動物を手でつかんできたことで説明できる。
(3) つまり、「腕で抱える」能力の高い女性、「手でつかむ」能力の高い男性が淘汰の過程で生き残ってきたのである。
まあ、こんな感じです。
その他にもいろいろあるのですが、行動分析などの行動主義心理学に触れてきた方から見れば、この「心理学」のとっているアプローチが、「科学」からはかなり遠いものであることを直感的に感じていただけるだろうと思います。
まず、取り上げているトピックそのもの(例えば上記の例でいえば「男女のかばんの違い」)がすべて恣意的に選ばれたエピソードにすぎず、たまたま進化論で説明できそうなものをピックアップしているに過ぎないのではないか、という疑問があります。
オリジナルのダーウィン進化論が、すべての進化を包括的に説明しようとする仮説である(ですから、「反証」を見つけるという形での検証作業が可能となり、ぎりぎり科学たりうる)のに対して、「進化心理学」は、取り扱っているテーマが「ヒトの行動・真理」という、より高次なものであるために、進化論で説明できそうなものは進化論で、そうでないものは学習や環境で説明できてしまう(つまり、反証による検証作業がほとんどできない)という問題があります。
そして、言うまでもありませんが、すべての説明が「あとづけの解釈」になっているために、いくらでも勝手な理屈がつけられる、という問題もあります。
これは、例えば野球やサッカーの実況解説者が、既に終わってしまった試合やプレイに対して勝因・敗因、成功・失敗した理由などをまことしやかに語るのと似ています。あるいは、私たちの身近な例でいえば、子どもが突然パニックを起こしたとき、その「原因」としていくつかの「可能性」を想像すると思いますが、その中のたった1つの可能性だけを断定的に語ることと似ています。(これは、問題が「解決した・うまくいった」ときの「理由」を説明するときでも同じですね。)
過去に起こったことに対する原因の解釈なり仮説はいくらでも立てることができ、そのなかの1つだけを取り上げることは「科学」ではありません。
それを「科学」にするためには、過去ではなく将来に対して、その「仮説」から予想されるとおりの事象を起こすことができるかが検証できなければなりません。
ところが、「進化心理学」の時間軸は最短でも何万年という単位のようですから、そういった「これから起こること」を活用した検証作業もできません。
このように、「進化心理学」は全体として、あとづけの解釈に基づく検証が極めて困難な仮説の集合体である、といわざるを得ず、一般的な意味では「科学」とは言いづらいところがあるように感じます。
とはいえ、すべての心理学が典型的な科学のフォーマットを志向しなければならないということはなく、1つの「仮説体系」としてとらえるならば、ヒトのさまざまな複雑な行動・心理について、突然変異や淘汰といった「機械的なメカニズム」によって説明しようとするユニークな試みであることは事実だと思います。
それは少なくとも、例えば「神がつくりたもうたもの」「不可知なもの」のように「考えること自体を放棄する」態度よりは、科学的であるといえるでしょう。
さて、そんなわけで本書は、男と女の違い、こころや感情が存在する意味、社会的かけひきがなぜ生まれてきたのか、といった幅広いテーマについて、上記の「進化心理学」というアプローチで答え(仮説)を出していきます。
その中には、「男性が女性の細いウエストを好むのは、『妊娠していない』=『自分の遺伝子を残すチャンスがある』というサインとして、そういう女性を選好する男性が淘汰の過程で生き残ってきたからだ」という、進化心理学が批判されるときによく取り上げられるかなり怪しげな仮説から、ごく近くに接近した他者には攻撃的に、そうでない他者には平和的に対応する「なわばり戦略」が進化の過程で獲得された可能性が高い、といった割と納得できそうな仮説まで、いろいろ含まれています。
実は私自身は、タイトルにもある、「『だまされやすさ』は進化の結果であり、だまされやすいヒトこそが淘汰によって生き残ってきたのだ」という仮説に興味をもって本書を手に取ったのですが、その点についての解説は思いのほか少なくて、ちょっと残念でした(一言で言えば、だまされやすい人の集合体のほうが社会が円滑に回るからそう進化したのだ、といった程度の主張でした)。
実態としては本書は主題とサブタイトルの関係は逆ですね。
本書の主題は「進化心理学全体の入門書」であり、そのなかでちょっと応用的に取り上げられているのが「だまされやすさ」だ、と思って読んでいただいたほうが、結果として期待を裏切らないと思います。
※その他のブックレビューはこちら。
※ついでにいうと、本書を買ったもう1つの理由は、著者が石川幹人氏だったからだ、ということがありました。
石川氏が共著の「入門・マインドサイエンスの思想―心の科学をめぐる現代哲学の論争」は、私が自閉症についての本を読むようになったかなり初めのころに読んで、「心理学の哲学」「思想的な観点からの心理学史」に興味をもつきっかけになった本でした。
石川氏は最近はこんな本にも参加されているようですね。昨年12月に出たばかりの本のようです。
トンデモ超能力入門