あきらめないで! 自閉症 幼児編
著:平岩 幹男
講談社
第1章 自閉症って何だろう
第2章 わが子が自閉症かなと思ったら
第3章 乳幼児健診でどこまでわかるの?
第4章 自閉症と診断された…どうしたらいいの?
第5章 いろいろある自閉症療育法
第6章 個別療育に取り組もう
第7章 高機能自閉症をめぐって
第8章 「できるようになった」を増やそう
第9章 幼稚園(保育園)に通う際の注意点
第10章 お父さんにできること
第11章 小学校に入る前に準備しておくこと
この本の内容を一言で表現するなら、「家庭で親御さんが自らロヴァース式のハードなABAをやりましょう、そうすれば自閉症の子も大きく伸びる可能性があります(だからあきらめないで)」という本だ、といえます。
もっと平たくいえば「つみきの会のすすめ」とでも言えばいいでしょうか。
実際、平岩氏は、つみきの会の顧問を務められていらっしゃいますし、つみきの会への入会を勧める記述も本書のなかで何度か登場します。
内容的には、自閉症の理解から診断、さまざまな療育の解説(TEACCH、PECSからキレーション、GFCFダイエットといった代替療法まで)、そしてABAによる家庭での個別療育(集団療育に対するもの)、幼稚園への通わせかたから就学相談、小学校入学準備と盛りだくさんで、「ロヴァース式ABAを中核にして自閉症の子どもの療育にチャレンジしてみたい」と考える親御さんへのガイドブックとして、かなり良くできていると思います。
ひたすらABA一本やりというわけでもなく、TEACCHの構造化の解説が何ページにもわたって詳しく書かれていたり、「特定の療育法への教条主義に陥って他の療育法を攻撃したりしないようにしましょう」あるいは「肩の力を抜いて、頑張らずに療育を続けていきましょう」といったメッセージがあったりと、ロヴァース式ABAをすすめる本としては、かなりソフトな語り口になっているのも特徴です。
でも・・・
それでも私は、この本をもろ手を挙げておすすめするのは、ちょっとためらわれます。
なぜなら、
やはり親御さんに求めるハードルが高すぎるのではないか、それは言い換えると、過剰にリスクの高いギャンブルに賭けろというメッセージになってしまっているのではないか、と危惧するからです。
まず、全体を通じて「日本では自閉症に対して受けられる支援は不十分だ(だから親が自分で個別療育しないとダメ)」という「日本の支援不足批判」が実態以上に強く書かれている印象を受けます。
療育について知っている医師は少ない(初版60ページキャプション)
自閉症療育はまだまだ知られていない(初版63ページキャプション)
ABAなどの個別療育がめざましい成果をあげているにもかかわらず、現時点では療育についての情報はそれほど多くなく、行政や医療関係者が、個別療育のことをまったく知らない場合もあります。個別療育の普及度はまだまだ低いと言わざるを得ません。(初版85ページ)
このように、よくよく読んでみると、「支援体制が不十分」というのは、要は「ABAの個別療育をやる体制が不十分」という、かなり「狭い」話をされている印象です。
個別療育だけが「十分な支援」だと考えるならばそうなのかもしれませんが、これから初めて支援を受けようとする親御さんに対しては、ちょっとミスリーディングな批判であるように思われます。
また先ほど、本書には随所に「頑張らずに療育しましょう」というメッセージが書かれている、と書いたのですが、同時に「あきらめないで」というメッセージも、同じかそれ以上に繰り返されています。
そして、本書において「あきらめない」というのはどういうことなのかと言えば、端的には「途中で挫折せず、最後までロヴァース式のABA(基本は週40時間、最低週14時間以上)をやりとげる」ということを指しているようです。そして、「低機能自閉症の子どもは『高機能自閉症』に、高機能の子は『ASDの診断基準を満たさなくなるところまで』」引き上げることを目標にできる、と鼓舞しています。
一方で以前には考えられなかったことですが、ABAなどの個別療育を行うことによって、幼児期に知的障がいを伴う自閉症と診断されたにもかかわらず、高機能自閉症と診断されるほどに劇的に発達の促進が見られる子どもたちに出会うことがあります。(中略)早期の療育によって、「第2の高機能自閉症」というグループが、誕生したのかもしれません。(中略)早期診断されても、早期絶望するしかなかったのに、「目指せ!第2の高機能自閉症」という目標を持つことができるようになったのです。(初版180~181ページ)
さらに、ロヴァース式ABAの成果として、ばらつきの最上位に位置する、ごくまれな「外れ値」的なサンプルを強調して、「ABAという働きかけと因果関係のある結果として、このような目覚しい成果がある」というニュアンスをもたせた記述があるのも、気になります。
でもあきらめないでください。後で紹介する個別療育を行ってみると、発達指数が2歳6か月の時点で45であったのに4歳では70になる場合や、3歳8か月で58であったのに5歳2か月では85になったという場合も経験しました。すべてがうまくいくわけではありませんが、そんな場合もあるのです。(初版69ページ)
加えて、さまざまな療育の効果を、著者の「印象」に基づいてランキングして、「何もしないよりTEACCHが良くて、TEACCHの集団療育よりPECSが良くて、さらにそれらより優れている最上位の療育法がロヴァース式ABA」といった形で「1本のモノサシ」的に語っているのも、やや違和感を感じるところです。
例えば、ケーススタディとして、自然の経過にまかせた場合、TEACCHで療育した場合、「つみきの会」に入会してロヴァース式ABAを行なった場合が比較されています。
ケース1:自然の経過(初版78~79ページ)→予後が良くない状態を描写
ケース2:TEACCHで療育したケース(初版114~115ページ)→ケース1より良好だがコミュニケーションに限界あり
ケース3:ロヴァース式ABAで療育したケース(初版124~125ページ)→劇的に伸びて通常学級に進級
あるいは、こんな記述もあります。
※TEACCH……自閉症療育の草分け的な存在。(中略)集団療育にも対応できる反面、個々の障がいの特性に応じた個別療育の対応ではABA、PECSに劣るという印象がある
(中略)
※PECS……絵カードを用いたコミュニケーション指導法。(中略)ABAに比べて、時間的・心理的な負担が小さい。反面、自発言語の取得という面でABAよりは劣るという印象がある
(初版146~147ページ)
他の療育法も紹介されていますし、「頑張らずにやりましょう」というメッセージも書かれてはいるのですが、結局のところ、やはり全体としては「ロヴァース式ABAが最高、ハードだけどあきらめないで、短時間ではダメで週何十時間もやりましょう、ロヴァース式なら目覚しい効果が期待できます」といった、これまでのロヴァース式ABA(礼賛)本と同じニオイを感じる本になっている、という印象を拭い去ることができませんでした。
自閉症を克服する―行動分析で子どもの人生が変わる(レビュー記事)
わが子よ、声を聞かせて―自閉症と闘った母と子(レビュー記事)
自閉症児の親を療育者にする教育―応用行動分析学による英国の実践と成果(レビュー記事)
もちろん、ロヴァース式ABAを否定するつもりはありません。
EBM的に評価するならば、自閉症療育としてもっとも効果が明確なのがABAであり、なかでも「量が最大」のロヴァース式が「結果」を出しやすそうだ、というのは間違いのないところでしょう。
そして、週に20時間とか40時間のABAを実際に実施して、最後までやりとげて結果を出した親御さんは、本当に素晴らしいと思います。
でもそれは、「すべての親御さんが目指さなければいけないレベル」だ、とは私は思いません。
親なら誰だって、子どもの成長を「あきらめ」るつもりなど、あるわけがありません。
でも、「あきらめない」=「ロヴァース式ABAをやりとげる」、すなわち(対偶をとって)「ロヴァース式ABAをやりとげない親はあきらめてしまっている」なんてことは、決してないと思います。
子どもが過ごしやすい環境をつくり、コミュニケーションのやりかたを工夫して、子どもが自ら成長していくことに「肥料や水を与え」て、必要なときには少しだけ方向修正をする。そうやって「幸せな家族のかたち」を細く長く作っていく療育のスタイルだって、子どもの成長を信じ、有効な働きかけを行なっているという点において、「あきらめない」療育であることには何の変わりもない、と思っているのです。(関連記事)
本書でも何度も触れられているとおり、ハードなABAには、療育する側が挫折するリスクや、精神的ストレスからうつになってしまうリスクが確実に(それもかなり高い確率で)存在します。子ども自身の負担も考慮する必要があります。
本書ではそういったリスクがありつつも、絶大な効果が認められるという点から、ロヴァース式を「ハイリスク・ハイリターンが見込める『投資』」にたとえていますが、投資とは異なる最大の問題は、ロヴァース式ABAは、やり始めたらそれにかかりっきりにならざるを得ないために、療育の「ポートフォリオ」を組めない(「分散投資」ができない)、という点にあります。
全財産を先物やFXにつぎ込むような投資は、たとえそれが「非常に高いリターンを生む可能性がある」としても、優れた投資方法だとは言いがたいでしょう。
同じように、「子どもの将来をあきらめないのなら、ロヴァース式ABAにチャレンジするべきだ」という療育方針は、少なくとも「万人向け」だとは思われないのです。
私もブログ等でABAをおすすめしていますが、そこでおすすめしているのはロヴァース式に近いような「ハードな」ABAではなく、「日々の生活を『強化的』にすること」や、「毎日15~30分程度の課題の時間を継続すること」など、他の療育法とポートフォリオを組めるような「ライトな」ABAです。
・・・さて、かなり批判的なレビューになりましたが、上記の批判は、基本的にはすべて内容の妥当性というよりも、本書の「思想的な側面」について語ったものです。
ですから、私と異なる思想的立場(例えば「最もチャンスのあるやり方に、リスクがあっても最大のリソースをつぎ込むべきだ」と考えられる方)を取られる方にとっては、恐らく上記の批判はあまり重要ではなく、「一番効果のありそうな療育法」を明快に紹介する入門書として、強い共感をもって読むことができると思います。
子どもの自閉症を疑い、これから診断、療育と進めていこうという段階にある方で、「ハードだけど一番効果があるらしい」ロヴァース式ABAに関心があり、できればその方向でやってみたい、とお考えの方には、手ごろな入門書としておすすめできると思いますし、「ロヴァース式で成功すればこれだけの『夢』が持てるんだ」と希望をもつこともできるでしょう。
※他のブックレビューはこちら。
は何もないと考えています。
3歳3ヶ月の自閉症のムスメがおります。
2歳前からずっと母親である私は疑いつつ・・でしたが、最近、とうとう診断が確定しました。
これからどうしたものかと思い悩みつつこの本を手にとってしまいました。
ついつい誘導?され、つみきの会のHPを見てみました。
まず、会員費等払わないと実際何をしていくのかわからないというハードルの高さに足踏みしてしまい、あちこちネットをさまよいこちらへ伺ってしまいました・・。
こちらのブログはいろいろ参考にできるところがたくさんあるようですので、これからいろいろ読ませていただきます。
ムスメの今後については、家族、担当医師や、児童相談所などと相談してじっくり考えていきたいと思います。
ABA療法は、早く始めたほうがいいようですけれど・・・、いったん落ち着いてムスメ、そして家族にとって何が一番いいのか考えて行かなければと思います。
子供が2歳6ヶ月位から初めて1年程度集中的にやってきましたが、効果は明らかにあったと思います。親の目から見ると「劇的」に良くなりました。おっしゃられているような「外れ値?」に近い結果かもしれません。
親だけでやるのはつらいので、つみきの会に限らず、民間のセラピストを活用しながら、ロバースの言うほどの時間はかけませんでしたが、週に10時間以上は時間をかけています。
平岩先生の本はざっと読みましたが、ABAをやって結果が出ているとおもわれる我が家からするとあんまり違和感はなかったです。むしろ、こういう本が出てくれないと、保育園や幼稚園でのABAへの理解がすすまず、大変ありがたいと考えているくらいです。
「ハードだけども、やるだけやるぞ!」でやり、実際に成果が出た家庭での意見です。ご参考まで。
スカラベさん、
子育てにギャンブルはそぐわない、的確な指摘だと思います。
一方で、自閉症児の子育ては、工夫次第でかなり子どもをサポートできる部分が大きいので、そういう意味では「特別な部分」もなくはない、と思います。本質が変わるわけではまったくないですが、工夫や努力が定型のお子さん以上に「違いを生みやすい」のが、自閉症児の子育てなんじゃないかと思っています。
maruさん、
ロヴァース式ABAは、効果が高いと言われている一方、挫折する危険性も極めて高い、難しい療育法です。
「効果」については、この本ではあまり客観的な指標が示されておらず、「効果がある、劇的に良くなることもある」といった印象で語られているところがありますが、もう少し客観的な「効果の資料」として、つみきの会が厚生労働省の補助金を受けて実施した研究成果が掲載されていますので、こちらを参照いただくのがいいと思います。
http://www.tsumiki.org/kakenkekka.pdf
つみきの会のABA家庭療育の効果(2009)
この結果をみると、「多くの子どもが劇的に良くなる」というのは、一面の真理を含みつつも、必ずしもそうは言えないという印象です。
参加した14家族のうち、1年で3家族が脱落しており、これら3家族はあまり成果が上がらなかった(だから続かなかった)と考えるのが自然でしょう。ですから、この結果のグラフは、真横ないしやや下向きの線が3本追加されたイメージでとらえるのが安全です。
さらに、外れ値的な動きを見せている1番のサンプルの「劇的な伸び(DQが1年で62から128に上昇)」が、ABAによる効果なのか自然な発達によるものなのか、あるいは別の要素(最初のテスト時のコンディションなど)なのかも、批判的に吟味する必要があります。
また、DQが低めの子(サンプル4,6,10)は1年間の集中介入の成果がほとんど見られず、むしろDQが下がり気味だというのも気になる点です。
一方で、DQが高めの子の何人かは確かにDQが上昇し、中度から軽度に移行したりといった「成果」がみられます。
つみきの会自体は、「親の会」ですので、入会したらセラピストが来てくれるとかそういったものではないと思います(条件が合えば紹介はしてくれると思いますが)。そうではなく、DVDを初めとする各種つみきの会でしか手に入らないロヴァース式ABAの参考資料が手に入るとか、会合や勉強会、掲示板などに参加して他のロヴァース式ABAを頑張っている親御さんとつながることができるとか、そういうものだと聞いています。
もしご興味があるなら、直接つみきの会にお問い合わせになるのがいいと思います。
自閉症の療育は、ロヴァース式のABAだけではありません。
ロヴァース式ではない、もっと気軽に取り組めるABAもありますし、TEACCHやPECS(絵カード療育)なども、この本でも紹介されているように、有力な療育法です。
そして、児童精神科医の先生や心理士、児童相談所など、さまざまな支援の仕組み、支援者とのコミュニケーションも重要です。
ABA早期療育さん、
効果があったという方からのコメント、ありがとうございます。
実際、私も集中介入型のABAで大きく成果が出たお子さんの話は数多く聞いていますし、今回のレビューでもABAの効果そのものに疑問を呈しているわけではありません。
早期集中介入型のABAに関心のある親御さんは、さまざまな情報にあたり、ご自身の子育てや療育についての考え方を整理されたうえで、自らを納得させて、どのような療育をやっていくかを選んでいかれることが大事だと思います。
>私の意見としては如何なる子育てもバクチは馴染まないと考えています。
女のわたしから言えば出産そのものが博打なんだけどな。いやだからわたしは産まないって選択したんだが。
そらパパくんも奥さんに聞いてみそ? あ、いやそうじゃない女性も多くいるとは思うが。
まあ、「子育て」と「出産」は違う、って言われたらそうかもしれんが、女にとって「出産」ってのは一種トラウマになるレベルの強烈な事件で、そういった「出産」観を下敷きにした「子育て」観になっててもおかしくあるまい。
「「子育て」が博打になること」って、たとえば教育ママみたいなん連想したらいいんかね? わたし療育とかとんと興味ないから一般化して考えないとわからんのだ。
で、そうだとしたら、「教育ママ」って言葉その通りに、「「子育て」が博打になる」のって、母親の方が多いのかもしれんね。
で、その理由として、「出産」って事件を考慮すれば、すっきりした推測が成り立つ、って話でした。
単に「「子育て」が博打になるのはだめ」じゃお話になんないじゃん。「なんで博打になっちゃうの?」って思考しないと。
そういうこった。
う。一例として中学受験を目指す小学生のママ達は実に合理的、計画的に行動します。まずPTAの仕事が6年生にまわって来ないように1年から計画的に係りに応募しますし、子
どもの友人関係もいろいろ計画的に介入しますし、親同士の人間関係も受験組と非受験組を計算して行動しています。また塾の選択もブランドを中心にして徹底的に情報を取り、容赦なく
移動して行きます。その行動は私にはバクチとは真逆に見えますがどうなんでしょうか?
それから「出産」と「子育て」は違います。オットー・ランクの読みすぎです。w
いやま、この記事の「ハイリスク・ハイリターン」の意味が違う気もするんだが。そらパパさんの言葉遣いが間違っている、と。
ここでの意味は「多大な労力を投資して大きな報酬を得る」って意味だろ? 本来の「ハイリスク・ハイリターン」はそういう意味ではない。「大きな危険を冒さないと大きな報酬は得られない」という意味だ。
で、「教育ママ」は、多大な労力をかけて多大な報酬をえようとしている。
つまり、この記事の「多大な労力を投資して大きな報酬をえる」という意味では、わたしの「教育ママ」という概念の方が適格だと思うんだが。
むしろ君が勝手に「博打」と言う言葉にして、この記事における「多大な労力を投資して大きな報酬を得る」という、本来の「ハイリスク・ハイリターン」という意味からずれた意味を、「博打」という言葉によって、もとの意味にもどしているから、ずれているだけじゃないか、と思うんだが。
わたしの言う「教育ママ」はこの記事の文脈を引いたものだ。「博打」も、その文脈を引いて君がそう言っているものと思って「出産は博打だ」と言ったんだが。
整理しよう。
君が「博打」と言ったのは、
「多大な労力を投資して大きな報酬を得る」
という意味で言ったのか、
「大きな危険を冒さないと大きな報酬は得られない」
という意味で言ったのか、どちらだい?
>それから「出産」と「子育て」は違います。
うん、そう思うよ。「語義」ではね。
でも実際に出産して子育てする母親にとっては、それこそPTSD的機制で、たとえ頭で別物と思ってはいても、そうならないんじゃねえの? って言ってるわけだ。
母親にとって、「単なる言葉の意味として」言われているのではないとすれば、
「あなたがお腹をいためて産んだ子と、今育てている子供は違います」
って言われていることになると思うんだが。
あれだ。そう簡単に割り切れたら人間心を病んだりしねえわな。
「多大な労力を投資して大きな報酬を得る」
と
「大きな危険を冒して大きな報酬を得る」
って二つの意味があったとは思うな。
わたしには「大きな報酬」と思えなかったから、まあそれを得られる可能性はゼロと言い切れはしないとも思っていたが、堅実にそれを避けた、ということになるな。
ちょっとコメントの流れがエントリの趣旨とずれつつあるように思いますが、
ご質問があったので、私にとっての「ハイリスク・ハイリターン」の意味について。
・ハイリスク:リターンのボラタリティが大きい
・ハイリターン:リターンの平均値が高い
となります。
そらパパくんの意味は語義通りなんだが、さてそうなら、母親にとっては、子供のそのものが「ハイリスク」になってんだと思うぜ、って話だな。
そも大人になってメンヘラになるか立派な社会人になるかなんて親は決められないだろ。
そう考えると、「リターンのボラタリティが大きい」子育てって、「放任主義」みたいなもんになると思うんだが、どうだろう?
あ、そらパパくんに聞いているわけじゃないぜ? 君のこの記事の論旨は理解できる。その意味においても。
いやもちろん出産しない男性側からすれば、そのボラタリティは小さいかもしれない。それはそうでいいと思う。あたしゃ別に「男も出産の苦しみを知るべきだ」だなんてフェミ論者みたいなことは言わない。つかあたし産まないって決めた人だからそんなこと言う資格はない。
だけど女性にとっての出産とは、自分の体の変調・苦痛を伴うもの。これはリターンとしては大きな損益が返ってくるようなことだ。
そりゃーボラタリティはでかくなるだろうよ。
陣痛にしろつわりにしても人それぞれだしな。ほとんどつわりがないまま産んだって人もいる。
その出産の時点で、母親にとっては子供そのものが「ハイリスク」となり、それが心に強く焼きついて、子育てについても「ハイリスク」に思えてしまう(なんせ「子供自体がハイリスク」なんだから)、というありがちな「内面」をわたしは言いたいだけだな。
そんな「教育ママ」みたいな母親を擁護しているわけではない。
わたしはこの本を読んでないのでなんとも言えんが、そらパパくんの感想を採用するならば、「ハイリスク・ハイリターン」を謳うこの本には、父親より母親の方がよく釣られるんじゃないかい? って話でもある。つかそういうことを言いたかっただけ。
私の論旨というか、このエントリを興味をもたれて、エントリやコメント読もうと思う方は、主として「ロヴァース式ABAをやってみようかな」という方だと思いますので、話題が自閉症の療育から離れていくのは「趣旨からずれる方向じゃないか」と感じている、ということです。
そういう「ずれ」の大きさと、コメントの数・量とのバランスについて考慮しています。
(「ずれの大きさ×コメント量」が大きくなりすぎるのは、好ましくないと考えています。)
判が共存します。そして運の悪い親は我が子にも批判されます。w それから私のバクチとは判断能力が低下した(させられた)状態で
取り返す事が困難なコストを結果の良し悪し
に関わらず強いられると言う意味で、インフォームド・コンセントの意味に近い意味での使用です。少し違うのは判断能力の回復も要求している点です。
合理性、計画性があれば博打ではない、っつーのもおかしいよな。
まあでも「株は博打じゃない」って言い張る人の論法はそういう感じが多い。「合理性、計画性」重視だから違う、と。「博打と投資は別物だ」って奴だな。
まあ三者三様それぞれの意味で「ハイリスク・ハイリターン」「博打」を考えているだけってこったろ。
あ、スカラベさんの主張する「教育ママは博打じゃない」ってのはそれでいいよ。「でもそうなら博打な子育てってのは、たとえば放任主義?」っつってるだけ。
ロヴァース式への取り組みを考えるような親は、敢えて何もしない(というと言い過ぎですが)選択をする能力がありません。やらなかった後悔とやって挫折するリスクを天秤にかけて選択してしまうと思われることから、時間と労力以外にも考慮すべき事象はあると思います。
なお、人生において何をやるにも100%確実ということがありえないことを前提にすれば、博打という表現は恣意的だと思います。
例えば受験も就職も結婚も博打と言えば博打であり、子育てだけは別というのも無理があるかな、と。
安全確実高利回りな子育て法があるなら、それを本にするだけでかなりの収入が得られますよ。
以上です。
投資も療育もその点は共通です。投資理論は療育上の意思決定にも参考になるでしょう。
経済的に言えば、
お金を払ってリスクを買うのが博打、
お金をもらってリスクを引き受けるのが投資、
となります。
リスクを好むも嫌うも本来は好みの問題ですが、合理的な判断を行う場面においては計算の妨げとなるリスクは忌避されるべきです。当然、療育においてもです。
結論としては、相応のプレミアムが期待できない場合にはリスクを取るべきではない、逆に、期待できる場合には果敢にリスクを取る行動こそが合理的です。
コメントありがとうございます。
ただ、前回も書きましたが、当エントリの趣旨を考慮すると、やや脱線ぎみな議論が続いてしまっていると感じていますので、恐縮ですがそろそろ配慮いただければと思います。
はじめさん、
著者がABA以外を全否定していないことは、もちろん既にレビューでも書かせていただいています。
でも、ABAとそれ以外との間に優劣をつけて、ロヴァース式ABAを最上位にランキングしていることは事実だと思います。
ロヴァース式の存在を知った親は、誰でもその実施を検討すると思います。我が家ももちろん検討しました。(とてもこんなのは続かないし、家族全員にとって負担が重過ぎるから、うちは毎日15~30分のDTT的なABAをやって、あとは子育てを強化的なものにすればいいや、というのが我が家の結論でしたが)
ですから、ロヴァース式を検討する親が特殊である、という前提は必ずしも正しくないと思います。
ただ、どちらかというとメリットの部分が強調されすぎていて、挫折やうつ、子どものストレスといったデメリットの部分が過小評価されている印象があったり、メリットの部分についても、「やり遂げさえすればどんな子もぐんぐん伸びる」といったやや誇張されたアピールがある(実際には、先にコメント欄でご紹介したつみきの会の調査でも分かるとおり、1年間やり遂げたケースでも、半分くらいの子どもはDQで横ばいか下がっています)ことが、ロヴァース式ABAを検討する(リスクとリターンを評価する)にあたっての判断材料として、ややミスリーディングであるという点については若干懸念しています。
博打という表現は私は使っていませんが、私が使っている「ギャンブル」という表現については、「通常の投資よりもハイリスク・ハイリターンなものに投資(投機)する」という意味で使っています。
人生何をするにも100%ではない、というのは事実ですが、だからといってすべての選択のリスク(=選択の結果のボラタリティ)が同じということにはなりません。ロヴァース式ABAが、例えば毎日15分のライトなABAに比べて「ギャンブル的」だと表現することは恣意的だとは思いません。
投資の世界でローリスク・ローリターンなのは、ローリスクでハイリターンの投資案件には、投資が多くなり、例えば牛丼屋がハイリターンなら出店(投資)が増え競争が激化してリターンが低くなるためです。ハイリスク・ローリターンでは投資する人はいません。ですから、今時点でローリスク・ハイリターンの投資案件、以前はローリスク・ハイリターンであったが投資が集中して(経済成長して)ローリスク・ローリターンになった案件、今時点ではハイリスク・ハイリターンの案件の3タイプがある。
療育ではプレイヤーが基本的に親と子の二人だけでしょうし、1週間は168時間しかありませんから”投資”に上限があります。ローリスクでハイリターンの療育法がローリスク・ローリターンになることはないと思います。
問題なのは、Aという療育法が、どのような親子ではハイリターン or ローリターンor ノーリターンか、事前に判別できないという点だと思います。
過日、妊娠中の喫煙と低体重児の関係で、札幌で行われた前向きコホート研究で、ある遺伝子多型では平均の倍以上に児の体重が低下することが分かったそうです。それで、保健所で、そういう妊婦さんに重点的に禁煙指導をして効果を上げているそうです。
Aという療育法で、ハイリターンが5%、 ローリターン50%、 ノーリターン45%だったとします。療育法を行う前に、事前に、何らかの検査で、ノーリターンの9割を捕捉できてその療育を行わなければ、A療育実施でリターンを得る率が9割に上がります。ローリスクになります。逆にハイリターン、 ローリターンを確実に判別でき、そのグループだけにA療法を行えば、ノーリスクになります。
つまり、対象のASD親子を何らかの検査で細分化することで、ハイリスク・ハイリターンをローリスク化できると思います。
一口にASDと括られても、様々です。それを細分化する、ある療法の適不適で細分化する視点や考えがなく、そうした蓄積が共有化されていなくて、ASDと一括りにされている、丼勘定されていることが問題だと思います。
コメントありがとうございます。
逆にいえば、そういった「細分化」ができない限りは、たとえばロヴァース式ABAのように、最悪のケースでは親御さんがうつになって家族の危機にいたるケースもありうる、という療育法は「ハイリスク」のままであり続けてしまう、ということになるのでしょうね。
まさにヒゲ達磨さんが「対象のASD親子」と書かれているとおり、家庭療育は親と子の相互作用なので、親子の両方を1つのユニットとして「細分化」していく必要があるのだろうと思います。
非常に産経らしい差別意識充満の記事です。
> 伝統的な子育てを見直す「脳科学に基づく親学」の普及によって、保護者や保育士にこうした発達障害の予防、早期発見・支援のあり方や脳科学に基づく知見や情報を一刻も早く伝え、発達障害の予防(子供が喜び、言葉が出て、人間性が回復する)に全力を尽くすことが(予算面など莫大な効果が期待でき)急務といえる。<
【解答乱麻】明星大教授・高橋史朗 豊かな言葉がけ見直そう
さいたま市教育相談センターの金子保所長によれば、同市内の6つの幼稚園で2歳で発語がないか、言葉が増えない子が半数もいることが保護者への調査で判明した。
埼玉県教育委員会が平成17年に発表した調査によれば、通常学級に在籍する特別な教育的支援の必要な子供は、小学校で11・7%に及んでいる。
金子氏によれば、発達障害の子供の不登校や軽度の自閉症の子供が増えており、予防により施設やスタッフにかかる予算面など莫大な効果が期待できるという。
ちなみに、特別支援を要する子供が1割を超えるアメリカでは、障害者法によって、障害の程度と性質を勘案した個別プログラムが策定され、それに準拠した教育サービスの提供が義務づけられている。そのための教育予算の不足が問題になっている。
金子氏の実践によれば、発達障害は2歳までに発見して対応すれば治り、3歳までなら5分5分、4歳以上では困難になるという。
脳科学に基づいて発達障害児を治療指導している澤口俊之氏は、発達障害は、「HQ(人間性知能)障害症候群」で、HQを伸ばす方法によって、ADHD(注意欠陥多動性障害)は確実に改善すると断言している。(澤口・金子氏ら共著『発達障害を予防する子どもの育て方』メタモル出版)。
玉川大学脳科学研究所の塚田稔教授によれば、自閉症は「治らない」とされてきたが早期発見による週30~40時間の集中治療で約半数が治ることが分かった。
発達障害児にテレビやDVDなどのない生活を用意し、豊かな言葉がけを行うよう保護者に指導したところ、大きく改善した。また「あやし」「笑わせ」「たかいたかい」などを実施したところ、子供が喜び、言葉が出て、人間性が回復することもわかった。
このような昔から日本人が当たり前に行ってきた伝統的な子育てや「普通の環境」を取り戻すことによって、2歳までの早期に治療指導を行うことが、発達障害の予防になり、この「金子式治療指導法」と澤口氏のHQを伸ばす脳科学理論は「きわめてよく一致」すると同書は述べている。
あいち小児保健医療総合センター心療科の統計では虐待を受けた子供の57%に発達障害が認められ、広汎性発達障害(自閉症とアスペルガー症候群)が25%、ADHDが23%と報告されている。10年で6倍に急増している虐待が発達障害に与える影響の大きさに気づかせ、虐待を防止するための「親育ち」支援に国を挙げて取り組む必要がある。
日本保育協会の調査によって、発達障害児への「対応方法を保護者に指導できる能力が重要」であり、早期発見・支援や個々の子供に対するケアのあり方についての研修が課題であることが明らかになった。
伝統的な子育てを見直す「脳科学に基づく親学」の普及によって、保護者や保育士にこうした発達障害の予防、早期発見・支援のあり方や脳科学に基づく知見や情報を一刻も早く伝え、発達障害の予防に全力を尽くすことが急務といえる。
◇
たかはし・しろう 元埼玉県教育委員長。明星大大学院教育学専攻主任、NPO法人師範塾・埼玉師範塾理事長。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/100419/edc1004190041000-n1.htm
記事のご紹介ありがとうございます。
この記事、あちこちで話題になっていましたね。この人たちの書いた本も立ち読みしましたが、冒頭いきなり「私たちは発達障害を治す研究をしています」と書いてあって驚きました。
この記事については、このエントリが問題の本質を突いていると思います。
http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100422/p1
産経新聞が発達障害についての俗説を広め、偏見を助長しようとしている件について
自閉症や発達障害を「治す」と簡単に言ってしまう、こういった人たちの背後には、障害者を「矯正すべき存在」と位置づけ、今ある姿を否定する思想が透けて見えてきます。
それが露骨に出ているのは「人間性を回復」のくだりだというこのエントリの指摘は、まさにそのとおりだと思います。
私も上記コメントで懸念している、「治る」ということばに感じられる思想性について触れられています。
[障害者支援]「治るのか」という問いを問う - lessorの日記
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20100423/1272049073
>ここで「治る」「治らない」が、保護者の問題にされるという
>「病気」では考えにくい事態が起きる。だから、このような言
>葉は使うべきではない。
>
>早期の療育・介入・支援によって、本人の生活上の苦労を緩和
>・軽減することができる、と言えば、それで足りるはずである。
>にもかかわらず、あえて「治る」と言いたがるのは、その背後
>に様々な思想の存在を勘ぐられても仕方がない。
著者の方からの直々のコメント、大変恐縮です。
ありがとうございます。
今回のエントリですが、ちょっとコメント欄が脱線気味で申し訳ありませんが、「脱線」部分を除外して読んでいただければ、決して本書やロヴァース的なABAを全面的に否定しているものではなく、若干メリットが強調されデメリットが抑えられた記述になっているのではないかという印象について批判的に書かせていただいているものである、ということはご理解いただけると思います。
また、個別の臨床ではない、本という形で一般化して語ることによる限界(特に、自閉症スペクトラム障害への療育のような個別性の強い働きかけについて)も、十分承知しています。
「ロヴァース式」ABAは、自分の家の療育に「組み込むか」「組み込まないか」という二者択一を求められますので、ロヴァース式ABAについて何かを語るときは、どうしてもそれに対して肯定的か批判的か、どちらかの立場をとらざるを得ません。
私自身は、「組み込む」ことのリスクがとても大きいことと、我が家が療育に期待するアウトカムが「家族全体の幸せの最大化、負担の軽減」にあることから、消極的に「組み込まない」という立場をとっています。
その文脈上に今回のレビューがあり、その点についてはレビューでも一部触れさせていただいています。
また、本日「つみきの会」の藤坂代表と井上先生が書かれた新刊についてもレビューを書かせていただいており、そちらでも同じ文脈から評価させていただいておりますので、もしお時間ありましたらそちらもあわせてお読みいただければ、私のロヴァース式ABAへのスタンスをよりご理解いただけるのではないかと考えます。