Slide 6 : 「知識とは」とは「一般化された経験」のこと
前回、私たちは、過去の個別雑多な経験から、捨てるべき部分をうまく捨てて、重要なエッセンスだけを残す「一般化」をすることによって、将来に役立つ知識を学習するという、すばらしい能力をもっている、というお話をしました。
実はいま、非常に重要なことをお話ししています。
この話は当たり前のように感じるかもしれませんが、当たり前だと思ってはいけないのです。
先ほど、せっかく長い時間をかけて、当たり前を当たり前と思わないことが大切だ、というお話をしたわけですから、ここでも「当たり前」にしばられずに話を聞いてください。
というのも、このあと改めてお話ししますが、自閉症のお子さんは、実はこの「一般化」というスキルが障害されているのではないか、そしてそれが、自閉症という障害のすべてではないか、というのが私の基本的な立場だからです。
ともあれ、このように、雑多な個別の過去の経験のなかから、将来に役立つ一般的な知識を学習するプロセス、そういう脳のすばらしい情報処理能力のことを、これ以降は「一般化」とか「一般化処理」と呼ぶことにします。
では、この「一般化」は、子どもの発達過程のなかで、どんな風に役に立つのでしょうか?
まず1つめのポイントとして、この「一般化」と、「ことば」との間には、とても密接な関係があります。イメージ図をあわせてご覧ください。
Slide 7 : 知識 = 一般化された経験 : イメージ
こちらのイメージ図は、「一般化」という能力が、どのように「ことば」の発達と関係しているのか、ということを示したものです。
たとえば、赤ちゃんが「いぬ」ということばを理解して使えるようになるまでの発達を考えてみましょう。
そのためには、その赤ちゃんが個別の犬というものに接して、かつ、そばにいる親御さんが「ああ、いぬだねー」と語りかける、という経験を何度も繰り返すことが必要です。
でも、それだけじゃだめですね。
さらに、その繰り返された経験を「一般化」して、個別の犬ではない、より一般化された「いぬ」という概念を獲得するところまでいかないと「ことば」にはなりません。
そこまでいければ、初めて見る犬についても、その一般化された「いぬ」という知識、概念をあてはめて、ああ、あれは犬だな、ということが分かるようになるわけで、ここまでいって初めて「いぬ」ということば、「いぬ」という概念を獲得した、ということになるわけです。
つまり、「いぬ」ということばは1つしかなく、一方で個別に経験する犬は無限にあるわけですから、そもそも対応関係は1対1じゃなくて、「1対多」、もっといえば「1対無限」なわけです。
そういう、無限にくり返される経験をたった1つのことばにうまく閉じ込めて活用できるようにするためには、この「一般化処理」というプロセスが脳の中で働いていることが絶対に必要になるわけです。
(次回に続きます。なお、今回の記事の内容は、下記の拙著にて詳しく取り上げています。)
お昼休みにちょっとまとめて読ませてもらってます。どんどんおもしろくなってきましたね。
下の息子(たぶん定型です)が今1歳過ぎ。「一般化」の作業をほぼ自動的に行っているのだなぁと感心します。
現在のところ、ウチの子は「ママ」は“親(パパ含む)への要求”として、「ニャンニャン」は“妻のコートのフサフサ”から“毛に覆われた小動物全般”までを指す言葉として使っているようです。
「汎用」とも言われるやつですよね。
ウチの子などは、妻の実家の猫を「ニャンニャン」=「フサフサした質感のある物」として <捨てるべき(?)部分をうまく捨てて、重要なエッセンスだけを残す「一般化」> を行い、その概念に合う物を「ニャンニャン」とよんでいるのでしょうか。
「汎用」とは「概念が未分化」なのではなく、どこを手がかりに一般化されたのかが大人(コミュニケーションの受け手)には解らない状態なのでしょうか??
そうすると「一般化」の際どこを残すか、残した物と語彙が一般的に正しい使用の状態で結びついた物が増えるのが、定型の子の言葉(語彙数)の発達なのかな???
「つぶやき」のようなコメントでごめんなさい。次回楽しみにしてます。
コメントありがとうございます。
小さい子どもが、たとえば「ニャンニャン」ということばを覚えつつあるときに、犬でも猫でも(場合によっては人さえも)「ニャンニャン」と呼んでしまうのは、私の仮説に寄せて考えれば、「過度の一般化」が行なわれている状態であるといえます。
つまり、ネコの経験から「ニャンニャン」ということばを覚えたときに、そのことばを「動く動物ぜんぶ」にまで「一般化」している状態です。
赤ちゃんは脳のキャパシティなどの問題もあって、語彙が少ないです。
その少ない語彙のなかで、できるだけ多くのことを表現するためには、「過度の一般化」は最適化戦略になります。
つまり、「ニャンニャン」ということばを知っていて、犬をあらわす表現を知らないとき、犬を見かけた赤ちゃんは、黙っているよりも「ニャンニャン」と声を出したほうが(それが多少間違っていたとしても)そのコミュニケーションによって得るものが大きいでしょう。
そして、やがて脳のキャパシティが増大してより多くの語彙を覚えられるようになれば、犬と猫、それぞれに対応する語彙は分化していくのでしょう。
(この「過度の一般化」の現象は、例えば英語圏の子どもが過去形や過去分詞形を覚えるときにも見られるそうです。英語圏の子どもの動詞は、最初は全部現在形で、その後「-ed」の過去形を覚えると、goとかcomeも「goed」「comed」と言うようになり、その後ようやく「went」とか「came」を覚えていく、という過程をたどるそうです。「goed」とか「comed」のような発音を実際に見たり聞いたりすることはありません。それなのに、子どもが一時的にそういう発音をするようになるのは、まさに脳の中で「一般化」というプロセスが走っていることを示すものだと言えそうです。)
発語のある自閉圏のお子さんが要求として「ジュース飲む?」などと使う事にも通ずるんですね。
「最適化」に関しては過去の記事でお話しされていた部分で、結びつけて理解することができました。
ありがとうございます!
そらパパさんの論理的で鋭い切り口がとても興味深く、夜更かしをして記事を読みふける日が続いています。
自閉症が「一般化の障害」というのは息子を見ていると非常に納得がいくのですが、「一般化」よりもむしろその前提となる「情報の抽出」のほうに問題があるため「一般化」が阻害されているように思えてなりません。
彼は「自分が誤解に到った理由」を説明できるだけの語彙と表現力があるので、なおさらそう思います。
多くの場合、一般化に必要なだけの情報を抽出できていないのです。
「他人によって抽出された十分な情報」を取捨選択し、一般化することについては、抽出作業のような困難はなさそうです。
発達検査などで、日常生活での不得手や困難が浮かび上がらないのはそのせいではないかと思っています。
彼にとっては、情報の「抽出」より「一般化」のほうが、代替能力で補うのが容易なのかもしれないので、
「本当は一般化のほうにより大きな問題があるけれども、代替能力で補完できない抽出作業の問題のほうが目立っている」
ということなのかもしれませんが・・・。
これからも、面白い記事を楽しみにしています。
上記Altstadtさんのコメントは、以下のエントリに続いていますので、参考までにリンクを貼っておきます。
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/24619504.html
本講演では、自閉症のメカニズムを少し単純化して説明したために、高機能な自閉症の方について考える場合には、やや分かりにくくなっています。
その部分を補うため、リンク先の記事もあわせてご覧ください。