皆さん、今年もよろしくお願いします。
2010年は、昨年から続いているシリーズ記事のうち、昨年、石川にて行なった講演を、ダイジェストかつ再構成してお届けする「ライブ・自閉症の認知システム」で始めたいと思います。

Slide 6 : 「知識とは」とは「一般化された経験」のこと
脳みそを少しかきまわしてもらったところで、こんどは私たちが世界をどんなふうに認識しているかということについて考えていきましょう。
たとえば私の目の前にはマイクとかコップとかがありますけど、なぜ私は、あるいは皆さんは、これがマイクだと分かり、これがコップだと分かるのでしょうか?
ここには、いくつかの仕組みが働いていると考えられます。
まず、生まれたばかりの赤ちゃんには、マイクもコップも認識できるはずがありません。
そんなものは、それまで一度も見たことがない、経験したことがないからです。
赤ちゃんは生まれたあと、マイクやコップというものとのかかわりを何度もくりかえし経験して学習していくことで、どこかのタイミングで、マイクとかコップといったものが認識できるようになるわけです。
ところが、これで話はまだ終わりません。
なぜなら、いま目の前にある、まさにこのマイクや、まさにこのコップについていえば、赤ちゃんと同じで、私にとって生まれて初めて見るものだからです。
もちろん、これらとよく似たマイクやコップは過去にたくさん経験していますけど、いま目の前にあるものとは初対面なわけです。
そういう意味では、この会場にあるすべてのものは私にとって初対面になるわけですが、なぜか私は、それらを見慣れたもの、見知ったものとして、パニックすることなく受け止めることができます。
逆にいえば、もし私がこの会場に入って、すべてものが初めて見る得体の知れないものだったら、私はきっと恐ろしくて、パニックしながらこの場から逃げてしまうでしょう。
初対面なのに、見慣れている。それはなぜでしょうか。
それは私たちが、過去の経験を個別の雑多なものとしてではなく、無視すべき細かい違いを無視して、より「一般化」されたものとして学習しているからだと考えられます。
つまり私たちは、過去に経験したたくさんの「コップ」について、1つ1つの個別の経験として学習しているのではなく、それらの経験のなかから浮かび上がる「コップ一般」の知識を学習していることになるわけです。
ですから、初めて見るコップであっても、私は、これはすでに知っている「コップ一般」と同じものだと認識することができるので、安心してこのコップを受け止めて、コップから水を飲むことができるわけです。
コップやマイクに限らず、私たちが経験することは、すべて過去のことで、まったく同じことが将来おこることはほとんどありませんから、過去の経験そのままの知識では、将来への応用がききません。
過去の個別雑多な経験から重要なエッセンスだけをとりだして「一般化」することで、過去の経験が、未来への応用の効く知識、知恵に変わっていくわけです。
つまり、私たちは経験から学ぶとき、残しているものと捨てているものがあるのです。
「捨てる」というともったいない感じですが、逆に、うまく捨てないと将来に役立つ知識にならないわけですから、捨てるべき部分をうまく捨てて「一般化」ができるところにこそ、私たちの学習能力の素晴らしさがあるわけです。
(次回に続きます。なお、今回の記事の内容は、下記の拙著にて詳しく取り上げています。)