2009年12月14日

ライブ・自閉症の認知システム (3)

このシリーズ記事は、先日、石川にて行なわせていただいた講演の内容を、ダイジェストかつ再構成してお届けするものです。


Slide 5 : 「こころ」をとらえなおす

さて、私たちは普段から当たり前のように「心の教育」とか「こころを育てる療育」みたいなことを言いますけど、そもそも「こころ」ってなんでしょうか?

こういうことを考える学問を、心の哲学とか認知哲学といいます。
もちろん心理学についても、そもそも心理学というのは心の科学ですから、こころとは何かということについて考えることがすべての出発点になります。

そして、この21世紀に「こころ」について考えることは、そのまま「脳」について考えることにつながっていきます。
いまの時代を生きている人で、「こころ」を作り上げているいちばんの臓器が脳である、という意見に反対する方はほとんどいないと思います。

ここで、自閉症ともつながってきますね。

自閉症とは、なんらかの脳の器質的障害である、というのが現在の私たちの共通認識です。
ですから、もし私たちがどんなことでもできるスーパーマンなら、脳を直接いじって、「自閉症じゃない脳」に作りかえてしまえば、自閉症という問題は解決してしまうのかもしれません。
でももちろん、そんなことはできません。まあ、できるのならやってもいいのか、というのはもっと難しい問題になるわけですが、それにはここでは触れません。

で、脳そのものに働きかけることができないので、脳そのものじゃなくて自閉症の人に働きかける、つまり「療育」という働きかけを行なうわけですが、このとき、私たちは何に働きかけているのでしょうか?
ちょっと抽象的になりますけど、その働きかけの対象こそが、「こころ」ということになるんじゃないでしょうか。

つまり、私たちは、脳の障害である自閉症の人に働きかけるために、脳そのものではない何か、おそらくそれが「こころ」と呼ばれるものなわけですが、それに働きかけていることになります。
ですから、こころについて考えることは、「脳」というキーワードを介して、自閉症の療育の対象について考えることと同じだ、ということになります。

ところで皆さんは、幽霊とか超能力を信じますか?
「信じます」と言われてしまうと話が進まなくなっちゃうので、ちょっと極端な例を出しますが、たとえばいまこの会場のなかには霊気が充満していて、当たり前のように物体が念力で動いています、という話ならどうでしょうか。
それなら、さすがにそれはちょっとないんじゃないだろうかと思っていただけるんじゃないでしょうか。

じゃあ今度は別の質問をします。
皆さんは、自分が思ったとおりに体を動かせますか?
例えば、いま私が手をあげてくださいと言ったら、「手をあげよう」と思って手をあげることができますか?
あるいは、「ああ言ってるけど、手はあげないでおこう」と思って、手をあげないでいることができますか?
つまり、自分の意思で手をあげたりあげなかったりということがコントロールできますか、という質問です。そう思う方、手をあげていただけますか?

ありがとうございます。
いま現に手をあげてくださっているわけですから、それ自体が「できる」ということの証明になっているようにも思えますね。

でも実は、ここに矛盾があるんです。とても不思議なんですけれども。

たとえば、私の目の前にあるコップ、もし私が心の中で「コップよ動け」と念じて動かせたら、それは念力ですね。
つまり、「こころ」の作用によって物体を動かすということを、私たちは念力、超能力と呼んで、まあ常識的にはありえないことだと理解しているわけです。

ところが、私たちの腕というのも、やはりそれは物体なわけです。
腕を動かしているのは筋肉で、筋肉を動かすきっかけになっているのは神経のなかの化学物質や電気信号ですが、やはりそれらはどこまでいっても物理的な存在で、本質はコップとなんら変わりません。
だとすれば、そういう物体でしかない腕を、「手を上げよう」と念じることで動かしているわけですから、これは実は念力でコップを動かすのとやっていることは同じになってしまいます。なぜならそれは、「こころ」の作用によって、「物体」である腕を動かしていることになるわけですから。

先ほど、霊気が充満していて念力で物体が動いている、というのを「ありえない話」と切り捨てましたけど、そうすると、皆さんがそれぞれに自由な意思をもっていて、それによって自由に行動できる、手をあげたりあげなかったりをコントロールできる、というのも「ありえない話」になってしまうんです。

この謎が解けるでしょうか?

もし、自信をもって「解ける」とおっしゃる方がいらしたら、いますぐそれを本に書いて出版すれば、哲学の大家になれるでしょう。
なぜなら、この問題は「心身問題」という、心の哲学のなかでも難問中の難問で、大昔から偉大な哲学者がよってたかって考えているのに、いまだに決定的な答えが見つかっていない問題なんです。

じゃあ哲学じゃなくて科学だったらどうだろう?と期待されるかもしれませんが、残念ながら脳科学などの世界でも、答えは見つかっていません。

ですので、私もここで答えを出すことはとてもできませんし、これ以上深入りすると時間がいくらあっても足りないのでこのくらいにしておきますが、確実にいえることは、私たちが考える素朴な「こころ」のイメージには決定的な矛盾があって、たぶんどこかが間違っている、ということです。

そう考えていくと、安易に「心の教育」とか「こころに働きかける療育」、あるいは「心理学はこころの学問です」といったことばを使うのはまずい、ということがお分かりいただけると思います。
なぜなら、私たちが素朴に考える「こころ」は、実は突込みどころが満載で、矛盾に満ちたものだからです。

「こころ」についてしっかり考えていくためには、この「念力問題」という矛盾を何とか解決してやらなければなりません。

(次回に続きます。)
posted by そらパパ at 21:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 理論・知見 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
その分野を詳しく勉強したことがない私はただ、
「手をあげるということ」は
脳から信号が手に送られて行われることだと思っています。

だから、信号が伝わるための神経などの「物理的なつながり」のない遠隔地の物体が動いたらびっくりするし、それは「念力」かな?と思います。

これを考えるとコンピューターのことを私は思い出します。

コンピューターも頭脳によく例えられますが、その情報伝達は最近、ワイヤレスなどでも可能になりましたね。

つまり電話線などでつながってなくても情報伝達が可能なんだなということを考えると、やっぱり念力も可能なのかなあと思ったりします。

すみません、勝手な解釈と、凄く低レベルな感想ですが。

ところで質問です。
心というとよく思い出されるのは、
「感情」とか「気持ち」とかいわれるものですよね。

最近、鬱などは「化学物質のアンバランスによるもの」などと言われて、薬物で治療されますよね。

鬱って凄く悲しい「気持ち」とか、感情に関係のある症状だと思うのですが…。

この「悲しい」とか、「胸の辺りがもやもやする」というのも、脳から送られる化学物質の分泌調整機能などだけで説明されるのものなのでしょうか?
Posted by Mママ at 2009年12月15日 06:19
Mママさん、

コメントありがとうございます。

この「念力問題」について、今回いただいた反論は一般的によく言われるものだと思いますが、これだと残念ながらまだ「迷路」を抜けられないのです。
なぜなら、そこに「脳にこころが宿っている」という前提が残されているからです。

確かに、脳という「物理的存在」を出発点にすると、そこから神経と筋肉を通じて腕が動くメカニズムは説明できます。
でも、脳自体がそもそも物理的な存在なわけです。
物理的存在、というのは、物理学や化学などの「我々が信じている科学」のパラダイムのなかで説明できる仕組みでできている存在、ということです。
言い換えると、物理的存在は、「物理法則」とか「化学の法則」に従う存在、ということになるわけですが、そこには「自由意思」なるものは存在しません。
(例えば、目の前にあるコップが、物理法則以外の「自由意思」で動くこともある、と前提したら、そもそも物理学が成り立ちません。ワイヤレスでものが動くことについては、電波などの物理的な説明が可能です。)

そう考えると、脳という物理的存在と、「こころ」と私たちが呼ぶ、自由意思を含む=物理的存在ではない存在とを同一視することはできません。

つまり、自由意思を含む「こころ」がなぜ「物体である腕」を動かせるのか、という「念力問題=心身問題」は、そういう非物理的存在であるはずの「こころ」が、なぜ「脳」という物理的存在のなかに宿る(そして、その外にないように思われる)のか、という「心脳問題」に行き着くわけです。

最近では、「脳=こころ」という認識が強まっているために、心身問題はこのように「心脳問題」と呼ばれることも多いですね。
ここで、「こころには科学でとらえられない側面もあるのだろう」と言ってしまうと、あらゆるオカルトに道を開いてしまって、自閉症の療育についても、クリティカル・シンキングをすることがまったくできなくなります。
なので、こころについてクリシンするというのは、実はそう簡単なことではなく、場合によっては常識と闘うことにもなるのですね。

ちなみに、脳内の化学物質の存在と、「悲しい」などの感情との関係をどう考えるか、というのは、俗にいえば「クオリア問題」の一種、「クオリアの自然化」の問題だと言えます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2#.E3.82.AF.E3.82.AA.E3.83.AA.E3.82.A2.E3.81.AE.E8.87.AA.E7.84.B6.E5.8C.96

心身問題とクオリアの問題は密接につながっていて、「こころは脳とは別の実在」で、「脳への刺激でこころが感じるのがクオリアだ」、というのが一般的にもたれているであろう素朴な「こころ」観(心身二元論)ですが、そこには、「こころと脳はどうやって相互作用するのか?」という「念力問題」が横たわっている、というのが今回のトークでのメインテーマになっているわけです。
Posted by そらパパ at 2009年12月15日 22:22
コメントを書く
コチラをクリックしてください
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/135633119
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
子どもが自閉症かもしれない!どうしよう!という親御さんへのアドバイスはこちら
孫が自閉症らしい、どうしたら?という祖父母の方へのアドバイスはこちら

fortop.gif当ブログの全体像を知るには、こちらをご覧ください。
←時間の構造化に役立つ電子タイマー製作キットです。
PECS等に使える絵カード用テンプレートを公開しています。
自閉症関連のブックレビューも多数掲載しています。

花風社・浅見淳子社長との経緯についてはこちらでまとめています。