自閉症―私とあなたが成り立つまで
著:熊谷 高幸
ミネルヴァ書房
1章 どうしてやりとりができないのか?―三項関係の成り立ち
2章 どうしてことばが消えるのか?―折れ線現象
3章 どうしてことばが必要なのか?―「いま・ここ」にないものの表現
4章 どうして文字や機械が好きなのか?―認知のアンバランスとその利用
5章 どうしてこだわりを示すのか?―ルーチンづくりとルーチンくずし
6章 どうして会話が成り立たないのか?―過去や未来への視点合わせ
7章 どうして時間的見通しを持てないのか?―前頭葉機能障害仮説
8章 どうして人の心が読めないのか?―私・あなた・彼・彼女の視点
9章 私とあなたが成り立つまで―四段階発達モデルの提案
TEACCHモデルを活用して自閉症児教育の前線に立っている心理学の先生が、自閉症児の認知障害に関する著者オリジナルの仮説を、認知心理学・発達心理学の知見に基づいて解説する本。
この人の本は、新書の「自閉症からのメッセージ」も読んだことがあったのですが、そのときの印象は、「自閉症児の臨床像を描きたいのか、理論的な解説をしたいのかが少し中途半端」といったものでした。新書というボリューム上の制限もあってか、自閉症という障害について、少し毛色の違った角度から一般向けに紹介した本という以上の感想はもてなかったのです。
が、この本は違いますね。いい意味で裏切られました。
自閉症への認知心理学的アプローチである「心の理論」と、乳幼児期の発達心理学の主要テーマの1つである「三項関係」とを有機的につなぎ合わせ、「心の理論」の前段階として「三項関係」の発達を考える、という視点は、言われてみればなるほどと感じる、コロンブスの卵的な新しさがあります。
この仮説も、自閉症の3つ組の障害(社会性、ことば、興味)をすべて包括的に説明できる力を持っており、説明力テストに合格しています。
※心の理論とは、他人の心を推測し行動に反映させる認知スキルのこと。自閉症児はこのスキルに障害があるという仮説が、認知心理学者から提示され研究が進められている。詳細はこちらを参照。
※三項関係とは、「私」と「あなた」と「それ以外の対象」の三者の関係、もしくはその関係を理解する認知スキルのこと。例えば、道で犬を見た乳児が「ワンワン」と言って犬を指差し、親の注意を引いている状態などは、1つの三項関係と言える。自閉症児は、このようなスキルにも明らかに遅れが見られる。
それだけではありません。
「心の理論」という高度な認知プロセスと、より単純で早期に発達する「三項関係」とが結びつき、その間も埋められて一本の道筋が示されたということは、私たちが自閉症児の療育プログラムを考えるにあたって、大きな力になる可能性があると思います。
「心の理論」というのは、自閉症児の認知障害の本質を探るうえで、とても魅力的な仮説です。この障害を克服できる療育法が開発できれば、自閉症児が抱えているコミュニケーション上の困難を大きく改善できるかもしれません。
しかし、この仮説を療育に応用する際の大きな問題は、「心の理論」を語れないような発達段階の自閉症児はどうするのか、という点です。
言うまでもなく、「心の理論」が問題になってくるのは、ことばがある程度話せて、相手の気持ちを想像するような高度なコミュニケーションスキルが必要になるケースに限られます。でも、多くのより障害の重い自閉症児にとって必要な療育は、そもそも自分の意志を相手に伝えるとか、「私」と「あなた」の関係を理解するといった、もっともっと素朴で根源的なコミュニケーションスキルです。
私自身、今まで、「心の理論」に関する記述を読むたびに、この仮説を(けっこう障害の重い)自分の娘に応用するにはどうしたらいいんだろう、と思いをめぐらせていました。本書は、その私の問いに、1つの答えを提示してくれていると感じます。
本書には、二項関係、三項関係の発達から心の理論の発達に至る「四段階発達モデル」という発達モデルが提示され、各段階における発達課題が整理されています。
つまり、まだ指差しもできないような発達段階にあっても、「心の理論」の確立という最終ゴールを目指しながら、目の前の発達課題にチャレンジするという療育方針をとることが可能になっています。
具体的な療育プログラムが書いてあるわけではありませんが、それぞれの段階に必要な支援・療育についても言及され、PECSは段階1、TEACCHは段階2の発達課題の克服に特に効果的であるといった指摘もされています。
TEACCHといえば、本書は、経験主義で理論的枠組みが弱いTEACCHプログラムに対して、認知心理学からの理論的サポートを試みた本という側面も持っています。つまり、TEACCHの構造化が、三項関係の構築が難しい自閉症児にとって、効果的な認知的支援になっているという考え方です。このあたりの説明も興味深いですね。
現場主義の臨床家の書く療育本は、療育モデルが不明確で家庭の療育への応用ができないものが多く、一方、療育モデルがはっきりした本といえばABA本ばかりで、最終ゴールは常に「健常児と同じ行動を取ること」という「洗練されていない」ものだという不満がありました。
それに対して、本書の方向性は、最終ゴール(「心の理論」の確立)も納得できるもので、かつ療育モデルも明確(四段階発達モデル)だという点で注目すべきものだと思います。
細かい部分を読んでいくと疑問も多く、いきなり「前頭葉機能障害仮説」と言われてもピンと来ない部分もあるのですが、全体としてはとてもいい本だと思います。「行動療法でない療育のヒントを探したい」「TEACCHプログラムをもう少し理論的に考えたい」といったニーズにはぴったりとはまります。
私も、もう少しじっくり読み返して娘の療育に生かしていきたいと思っています。
※その他のブックレビューはこちら。