Slide 4 : 「心理学」の誤解を解く
自閉症についてお話しする前に、「こころ」と心理学について、しばらくお話ししたいと思います。
というのも、自閉症という障害がなぜやっかいかというと、いわゆる「こころ」に関する障害だからだ、というところが大きいからです。
自閉症は、目に見える体の障害でもないし、外から見て分かるような形で脳が損傷しているわけでもありません。
その人の中にある、目に見えない「なにか」がうまく働いていない、そういう障害なわけです。
そして、実際に働きかけるときも、その目に見えない「なにか」を意識して、それを支援したり伸ばしたりしていくことになるわけです。
この、目に見えない「なにか」のことを、一般的に私たちは「こころ」と呼んでいます。
つまり、自閉症の療育を考えるためには、「こころ」というものをしっかりとらえて、しっかり理解することが欠かせないということです。
そして、その「こころ」を研究している学問が、皆さんもご存知のとおり「心理学」になるわけです。
ですから、自閉症に携わる方、自閉症のお子さんをお持ちの親御さんにとって、心理学はとても身近で切実な学問だということになりますね。
にもかかわらず、心理学というのはしばしば誤解されています。
例えば、私が心理学を専攻していたという話をすると、たいていの人は、「じゃあ私が今何を考えているか分かりますか?」なんてことを聞いてきます。
じっと見つめると相手の心が読める、そんなのが心理学者だとイメージしている方がたくさんいらっしゃると思いますが、それは正しい理解ではありません。
ですから、いきなりちょっと脱線しますが、最初に、心理学についての誤解を解いておきたいと思います。
実は、今回のお話のタイトルも、最初は「自閉症の認知システム」じゃなくて「自閉症の心理学」にしようかな、と思ったんですよ。
でもふと考えてみて、「ああ、これは絶対に誤解を招くタイトルだからやめておこう」と思って、心理学じゃなくて認知システムということばに変えました。
心理学って、「心理についての学問」だと思われていることが多いんですが、それがそもそも誤解のもとだと思います。
意外に思われるかもしれませんが、学問としての心理学では、例えば論文の中で「心理」ということばを単独で使うようなことはめったにありません。
「心理」というと、日常会話的な意味としては、例えば「好きな相手に素直になれずに冷たく当たってしまう心理」とか、そういう風に、ある特定の人が特定の場面でとった行動の理由を説明できるような、内面のはたらきのことを指すことが多いですね。
実はここには、私たちのなかに「心」という実体があって、その「心」っていうのが、いろんな状況判断をして、私たちの行動を決めているという前提、考えかたが隠れています。
で、そういった、言ってみれば擬人化された「心」っていうのがどんな性格で、どうすれば読んだり操ったりできるのかといったことをあれこれ考えるのが心理学だと思っている方が非常に多いと思うんですが、こういったものは、通俗心理学とか心理学モドキと呼ばれます。本来の心理学ではなくて、占いとかオカルトに近いものなんですね。
本屋さんの心理学のコーナーに並んでいる本の9割以上は、残念ながら、こういう、本来の心理学ではない心理学モドキの本です。
もう一つ加えておくと、最近は「脳ブーム」なんていわれて、脳についての本もたくさん出ていますが、脳はこんな性格だとか、脳がナニナニをしてくれるとか、やっぱり擬人化してしまっている本がすごく多いです。
でも、脳も心と同じで、擬人化しちゃうとオシマイなんですね。
だって、脳はこんなふうにふるまいます、考えます、と言うのと、私たちはこんな風にふるまいます、考えます、と言うのと、何が違いますか?
同じなんですよ。
つまり、「脳」ということばは、擬人化した瞬間に、ほとんど意味がなくなってしまうわけです。
そしてそれは、「こころ」も同じです。
一方、大学の心理学科で学ぶような心理学というのは、心理の学ではなくて「心の理学」です。
「理学」というのは言い換えると「科学」ということですから、心理学とは「心の科学」だ、ということになります。
つまり、私たちが心と呼んでいるものはそもそも何であって、それはどのような原理・法則にもとづいて動いているか、ということを実験によって検証しながら研究するのが、心理学なんです。
「心がある」という前提から始めるんじゃなくて「心と私たちが呼ぶものは、何から構成されていて、それぞれはどんな働きをしているのか」という問題意識から始めるわけです。
ですから、私たちが素朴に考えるような「心理」の話題というのは、大学の心理学ではほとんど出てきません。知覚だとか学習だとか記憶とか、そういうことが実際の主な研究領域です。私も、大学で心理学を専攻して、最初にやったのはネズミに迷路を学習させたり、えさの出るレバーを押すことを教える実験でした。
ただ、いまお話ししたような心理学は、心理学のなかでも「実験心理学」と呼ばれる心理学のことになります。
一方、例えばスクールカウンセラーですとか、いわゆる「心理の先生」が学ばれるような「臨床心理学」では、もっと広い範囲で心というものを扱いますので、若干趣が異なることを、最後に申し添えておきます。
で、結局、何が言いたいかというと、自閉症の人の「こころ」を考える、といったときに、それは、自閉症の人がこういう行動をするのはこんなことを感じているからですよー、という説明をすればいい、といったような単純なものではない、ということなんです。
そうではなくて、そもそも「こころ」ってなんだろう、というところから出発しなければいけません。
そして、じっくり考えて姿かたちをはっきりさせた「こころ」が、自閉症の人の場合にはどんな風に違っているんだろう、その違いによってどんな困難が生まれるんだろう、そんな風に順を追って一歩ずつ確実に前に進んでいくことが、とても大切です。
それでは、この後は「こころ」について改めて考えてみましょう。
(次回に続きます。)
心ってなんだろうという所が聞けるのですか?
めっちゃワクワクが募ります。
早く続きが読みたいです。
コメントありがとうございます。
今回の記事でも触れられているとおり、石川の講演では、「こころとは何か」という話題を話しました。
とはいえ、もちろん私が「こころとは何か」という超難問に明快に答えられるはずはなく(そんなことができたら、哲学の歴史に名を残せてしまいます(笑))、とても大切な部分についての問題提起をしていく流れですが、私なりの「こころ論」にはなっていると思います。
ちなみに、最後の赤字部分ですが、最終稿では「自閉症の人がこういう行動をするのはこんなことを感じているからですよー」となっていますが、途中までは、「自閉症の誰かが飛び跳ねる理由はこれこれですよー」でした。こちらのほうが「過激」だったわけですが、最終的には穏当な表現に落ち着きました(^^;)。
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「思っていたのと違ってた」という心理学専攻の友人の言葉を思い出しました。
そらパパさんの著書とまた違った感じで読めるので楽しいです。
続き、楽しみにしてますね。
コメントありがとうございます。
(実験ないし基礎)心理学ほど、入ってくる学生の期待と実際の内容がずれている学問も珍しいのではないかと思います。
もう1ついうならば、心理学ほど、研究の対象の定義ができていない(幅広く分散している)学問も珍しいでしょう。
(だからこそ、脳の化学反応を見ているひとから集合的無意識を思念している人までがみな「心理学者」になったりするわけです)
なお、このシリーズ記事ですが、次の月曜日はレビュー記事を予定しているので、次回は再来週以降になります。ご了承ください。